大阪シンフォ二カー・第13回東京公演

すみだトリフォニーホールの名物企画、地方都市オーケストラ・フェスティヴァルがスタートしています。昨日はそのトップバッターを務める大阪シンフォ二カーの公演を聴いてきました。

このフェスティヴァル、去年は参加団体が少なくて寂しい思いをしましたが、今年は賑やかに5団体が参加します。大阪からはシンフォ二カーとセンチュリー、加えて仙台フィル、群馬響、京都市響も魅力的なプログラムで首都に見山する予定、乞うご期待ですね。

私は最近では地方オケは其々の本拠地で聴くべし、という考え方に傾いていますが、このように居ながらにして地方オケを纏めて聴けるのも有難いことではあります。
同じように春先に開催される東京都主催、都内のオケ総出演の都民音楽祭に比べて遥かにプログラムが斬新なところが良いですね。シンフォ二カーの演奏会にもプログラムの魅力に惹かれて出掛けた次第。3日前に大阪で取り上げた3月定期と同じプロは、

《大阪シンフォ二カー交響楽団》
ウォルトン/バレエ組曲「賢い乙女たち」
R.シュトラウス/クープランのクラヴサン曲による小管弦楽のためのディヴェルティメント
     ~休憩~
グラズノフ/交響曲第5番
 指揮/児玉宏
 コンサートマスター/森下幸路

各方面で話題になっているシンフォ二カー、私は3年連続で聴きましたし、一昨年の秋には本拠地のザ・シンフォニーホールにも出掛けてそのナマ演奏に接しました。
2008年に音楽監督に就任した児玉宏のもと、明らかにこのオーケストラは独自の個性を発揮し始めています。そのプログラムも実に意欲的で、陳腐な名曲ばかり並ぶ東京のオケばかり聴いている人間には真に新鮮に映るじゃありませんか。

このフェスティヴァルでは、公演に先だって指揮者がプレトークをするのが習わし。登場した児玉は開口一番、“指揮者が演奏前に話すのは感心しません” と本音から。
その理由付けに“料理人が味の素をどれだけ振りかけたかをバラすのと同じ” と言っていましたが、味の素を引き合いに出すのは如何にも現代の日本人の感覚からは外れていますね。そう、シンフォ二カーの音楽監督はほとんどドイツ人で、ヨーロッパが活動の中心と言う指揮者なのです。

プレトークの内容も曲目の解説は一切無し。去年もそうでしたが、名曲とは何か、というテーマと、西洋音楽は文化なのか文明なのか、という話題だけに徹していました。肝心の音楽は演奏で、ということ。

チラシにも書かれていましたが、このコンサートのキーワードはバレエ。冒頭のウォルトンは、バッハのカンタータをウォルトンがオーケストレーションしてバレエ上演したものですし、次のシュトラウスもミュンヘンでのバレエ上演ためにクープランの作品をオーケストレーションしたものです。
最後のグラズノフはバレエ音楽ではありませんが、交響曲にバレエ風のタッチを持ち込んだという意味で、チャイコフスキーの伝統を受け継ぐ作曲家と言えるでしょう。

さてウォルトン、私は初めて耳にした音楽ですが、ほとんどバロック音楽の世界です。イングリッシュホルンが加わった2管編成にホルン2、トランペット2、トロンボーン3、打楽器はティンパ二だけでハープと弦合奏という編成。
全体は6曲で構成され、バレエの題材はマタイ福音書の第25章にある賢い乙女たちの物語です。
第二次世界大戦の真っただ中で上演されたバレエですから、単なるストーリー以上の意味合いが籠められているのは当然のこと。ロンドンの劇場としては、敵国ドイツの音楽を基にしているというのも人々に何かを考えさせる切っ掛けになったはずでしょう。

児玉によって鍛えられたオーケストラは、柔らかな中にも重厚な音色を感じさせ、小編成にも拘わらず響きは豊か。

続くシュトラウスは、同じクープランによる舞踏組曲とは別の作品。作品番号86が充てられたディヴェルティメントで、私は初めて聴いた作品です。
これも木管は2管で(この曲にもイングリッシュホルンが加わります)、金管はホルン3、トランペットとトロンボーンは1本づつ。その代わり打楽器は色々使われていて、ハープ、チェンバロ、チェレスタに小型オルガンも登場します。

クープランの様々な標題付きチェンバロ作品を8曲に要領よく纏めたもの。舞踏組曲は曲が進むに従ってシュトラウス色が濃くなりますが、ディヴェルティメントはずっと大人しい感じがしました。

1943年にウィーン・フィルによって初演された作品ですから、こちらも戦時中に敵国フランスの音楽を題材にしたところに暗示を見るべきなのかもしれませんね。このコンサートの共通テーマと見做してもよいでしょう。

ということで、前半はほとんどバロック音楽の演奏会みたいでした。

さてメインはグラズノフ。

グラズノフの交響曲の中で私が最も好きなのがこの第5。2003年にラザレフ指揮する読響でも聴いたことがあり、何故この美しいシンフォニーがブレイクしないのか常々不思議に思っていました。
今回聴いても感想は同じ。もっと頻繁に演奏されるべき作品だと思います。この不当な扱いについてはジックリ考えて見る価値がありそう。そこにこそ児玉の意図があるのだと思慮します。

第1楽章は、私には何処となくシューマンのライン交響曲を思い出させるもの。序奏に出るテーマから派生した二つの主題から成り、3拍子の抒情的な美しさが魅力です。

第2楽章はメンデルスゾーン風の軽やかなスケルツォ。特に中間部の美しいメロディーは一度聴いたら忘れられません。そもそもこの種のスケルツォはグラズノフの最も得意とする所で、ほとんどバレエ音楽の世界と言ってもよいでしょう。

第3楽章はとろける様な美しいメロディーが綿々と歌われます。これまたロシア音楽の伝統。

第4楽章はリズムの面白さが聴きどころで、次第にテンポを挙げて盛大に盛り上げる効果は抜群です。ティンパ二連打のスリリングな妙技も見所。

前半はスコアを置いて指揮した児玉も、グラズノフは暗譜で振りました。
変っていると思ったのは、ハープとカンパネリを木管楽器の前に置いて演奏していたこと。明らかに第2楽章の美しくも軽やかなスケルツォを際立たせるための工夫でしょう。カンパネリは第2楽章だけで使われます。

児玉はドイツで学び、活動しているだけに音の出し方が往年のカペルマイスターを連想させる所があります。例えば最後の和音など、一呼吸置いて物々しく鳴らす傾向があり、それがグラズノフにもドイツ風な重厚さを加えているのでした。

極めて少ない客席の反応も良好。“グラズノフ、良いねェ~” という声が彼方此方で聞こえました。

ところで、今回のプログラムには定期演奏会の全記録が掲載されていて貴重な資料。舩木篤也の解説も優れモノで、これは永久保存版として大切にしましょう。

 

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