強者弱者(147)

両国の花火

 毎年月の初め、両国に川開きの催しあり。舟を艤し酒を載せて大川の流に出づれば、橋上橋下水面儘く燈火を以て蔽はれ宛として焔の海を行くが如し。其舷々相接して彼我の交歓、恰も席を同うするに似たるは流石に都市固有の興楽として味ふに堪へたり。唯、陸より橋を渡りて水上の驩会を見んとする人堵の如く、雑踏往々にして死者を生ずるに至るはあまりに興ざめたり。
 両国の花火は山の手に在りてはお茶の水橋より、下町にありては芝浦より、遠く之を望むを以てよしとす。

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江戸時代から続いてきた両国の花火大会は何度か中断されましたが、現在は7月の最終土曜日と決まっているそうです。
ここにあるように、明治末年頃は8月初めに行われていました。

「艤」(ぎ)とは、舟を整えて岸に向かうこと。
また、「舷々」(げんげん)は、ふなべりとふなべりとをすれあって、船で接戦する時に使う表現です。

「驩会」(かんかい)は現代の「歓会」と同じで、楽しい会合のこと。

「堵の如く」の「堵」(と)とは、垣根のこと。「堵の如く」で、垣根を巡らしたように人が多く立ち並ぶ様を言います。見物客が多いことの譬え。

当時の両国花火大会は、毎年のように死者が出ていても開催を中止することなく、特に問題視されることでもなかったようですね。外国人が日本に来て驚くのは、日本では僅か一人の死亡事故でも大騒ぎすることだとか。
人の死がかくも重大視されてしまう昨今の風潮は、日本が極度に都市化したことの表れでしょうか。
少なくとも明治時代までは、花火見物で死人が出てもある程度は止むを得ないという、自然な感覚が働いていたのでしょう。

私は両国の花火を見に行ったことはありませんが、現在でもお茶の水や芝浦から眺めることができるのでしょうか。

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