強者弱者(14)

べッタラ市

 十九日、べッタラ市。日本橋大伝馬町を中心として、夜は戸毎の高張提灯。江戸時代のイルミネーションなど思ふもをかし。左右田銀行の角より小伝馬町の角に至る間は車馬通行禁止、品よき島田髷、ハイカラも悪からず。たまたま結わたの艶なるをも交へて、ひたもみに揉まれ行く様、をかしともをかし。月に更けゆく街頭の夜、ベッタラベッタラの声、此都市の生活に忘れ得ぬ印象の一つなり。
 各、キリスト教会は毎年此頃になりて全国各地に派遣したる牧師を呼び集めて、秋期伝道大会なるものを開催す。萬燈に説教牧師の名を大書したる法華の御会式と並びてよき対照なり。

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ここに書かれているように、ベツタラ市は「べったら漬」の市。10月19日の夜、日本橋大伝馬町一帯で毎年開かれています。
日本橋だけではなく、拙宅の近所のスーパー・マーケットでも「べったら漬」の大売り出しをやっていましたから、東京全体のイヴェントになっているのでしょう。
私には「べったら漬」は少し甘く感じますが、大根の漬物の一種です。

高張提灯(たかはりちょうちん)は、提灯を長い竿の先に付けて高く掲げたもの。提灯の文化そのものが下火になってしまいましたから、ピンと来ない人も多いでしょう。私もその一人。

左右田(そうだ)銀行は、後に現在の横浜銀行に吸収合併されてなくなってしまいましたが、横浜に本店がありました。100年前は日本橋にも支店があったのでしょう。
「左右田銀行の角より小伝馬町の角に至る間は車馬通行禁止」とあるのは、当時から歩行者天国という習慣があったことの証拠で、大変興味深いと思います。

キリスト教の秋期伝道大会というのは知りませんでした。現在でもこういう習慣があるのでしょうか。どうも私は無宗教なので、こういうことには疎くていけません。

交通新聞社から最近出版された「東京懐かし散歩」を見たことがありますか。昭和・大正・明治の地図でいく、という副題があるように、東京の古地図と現在の地図を比較しています。
この中の「日本橋」は、正に明治43年の地図。
これを見ると、大伝馬町と小伝馬町の間を電車が走っていたことが判ります。後の都電の前身でしょうが、現在では想像できない風景ですね。

 

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