第5回・エク蓼科音楽祭

今年もまた夏休みを兼ねて出掛けたのが、5回目を迎えた「チェルトの森 アフタヌーン コンサート」。
蓼科の隠れ山荘「むさし庵」で始まったこの夏休みスペシャルも早や5回目を迎え、一定のスタイルが確立してきたようです。

即ち夏場の、それも別荘で内々に行われるコンサートの常である名曲の美味しい部分を取り出して楽しむというスタイルではなく、本格的な室内楽コンサート、というもの。
今年も去年に続き土・日の2回公演で、私が聴いた土曜日のプログラムは以下のものでした。

ハイドン/弦楽四重奏曲第38番 変ホ長調 作品32-2「ジョーク」
ボロディン/弦楽四重奏曲第2番 ニ長調
     ~休憩~
クライスラー/弦楽四重奏曲 イ短調

因みに翌日演奏されたのは、ヴォルフのイタリア・セレナードとショスタコーヴィチの8番、後半は土曜日と同じクライスラーという構成で、もちろんショスタコーヴィチは全曲です。
蓼科の別荘でショスタコーヴィチというのも凄いプロですが、初日も負けていません。

今年の挨拶及び解説は、チェロの大友肇氏。確か毎年メンバーが交替してこの役割を演じていたと思います。
で、大友チェロによると、例会は5年目にして漸く避暑地らしい気候に巡り合えました。私の記憶でも1年目は梅雨が明け切っていないような天候で雨と寒さに閉口しましたし、ある年は猛暑の中で汗を拭き拭き鑑賞したものでした。

挨拶は続き、毎年のプログラムは室内楽の王道とも言える本格的なもので、弦楽四重奏の父でもあるハイドン(去年も幕開けはハイドンでした)、第3楽章だけが有名なボロディンの全曲、そして珍しいクライスラーという選曲。
ボロディンは3楽章だけが有名、ということは他の楽章はつまらない、というか退屈というか。もちろん優しき大友パパはそんな露骨には言いませんが、苦い薬もオブラートに包んで飲み易く解説してくれます。

最後のクライスラーも、ヴァイオリン・ソロの名曲を知っている人にはチョッと馴染み難い、カモシレナイ・・・。イメージしながら聴くとすれば、白黒の恋愛映画の一シーンを見ているような感じ、ということで善男善女の笑いを誘っていました。
当日配られたプログラムには、「とりとめのない印象を持たれがち」とか、「真剣に聴くと疲れる」、揚句は「忘れられるべくして忘れられた作品」との酷評まで書かれる始末。
さすがの大友氏も“これ、まずいんじゃない”と思ったそうですが、書き人知らずの解説故、司会も正直にクライスラー作品の本質を暴露してましたね。

ということで、相変わらず楽しいコンサートでした。ハイドンは仇名の通り、終わり方にジョークが隠されている。
ボロディンは夜想曲でウットリさせたあと、チョッと弱いかな? と感じさせるようなフィナーレ。
クライスラーは私も初めて実演で聴いたもので、オーソドックスな4楽章形式。冒頭ファンタジアのチェロの朗々たる出だしが、第4楽章の最後で再び登場する循環風な凝った作り。スコア持参で「真剣に聴いて」みましたが、そんなに「疲れる」ものじゃありません。どうかご安心を。

最後は聴き易いアンコール。ドヴォルザークの糸杉から、第11番目のアレグレット・スケルツァンドで締めとなります。

終演後はワインとお摘みを肴にパーティー。メンバー4人、その関係者の面々を囲んで音楽談義に花が咲きます。定員40名、もちろん遠方のため演奏会だけ聴かれる方もいましたが、多くはパーティーも楽しみに来られた方たち。
メンバーを囲む輪がいくつも出来ていました。
話題で多かったのは、やはりクライスラーだったよう。第2楽章は「中国の太鼓」に似ているね、とか、作曲されたのは何時頃なんでしょうか、とか。クライスラーは自作であることを隠して発表したこともあったはずですが、それとこのクァルテットは関係があるのかしら、とかネ。

この日は直ぐ近くのロッジに泊まることになっていたので、パーティーも最後まで参加。去年に続いて集合写真を撮り合ったりして、夏の夜長を目一杯楽しんだ音楽祭? でした。
また来年も、という挨拶が飛び交います。

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