第3回・エク蓼科音楽祭

先週末は避暑地に行ってました。カテゴリーを「旅」にするか「演奏会」にするか迷いましたが、今年は両方混ぜ合わせて「演奏会」で纏めることに。

≪チェルトの森 アフタヌーン コンサート≫については去年と一昨年の日記でも詳述しましたから、今回は簡単な紹介に留めましょう。

この隠れ里コンサートは口コミで噂が伝わっていましたが、内容の素晴らしさに予約が殺到。去年は多くのファンに「お断り」をしなければならなかった由。そこで今年も8月6日(土)一日だけの発表でしたが、予約状況を見て追加公演をも辞さぬ構えだったそうな。
案の定、というか嬉しいことにチケットは定席40を早々とクリアー、早い段階から二日間開催(もちろん両日とも同じプログラム)が決まりました。結局、翌7日(日)の公演もチケット完売。両日とも満員御礼の札が下がる好評です。

正直に言ってこれは興業的には採算ギリギリでしょう。エクとしては「夏のプレゼント」的なコンサートかも知れませんが、音楽的な内容は定期演奏会と少しも変わらず、凡そ室内楽を楽しむ最高の環境の下で響く四重奏の響きに、駆け付けたファンも別荘族も大満足の一日となったのでした。

今年のプログラム、当初の案内には「狩」と「死と乙女」その他となっていましたが、実際に演奏されたプログラムは以下のもの。

モーツァルト/弦楽四重奏曲第17番変ロ長調「狩」~第1、3、4楽章
リゲティ/弦楽四重奏曲第1番「夜の変容」
     ~休憩~
シューベルト/弦楽四重奏曲第14番ニ短調「死と乙女」
 クァルテット・エクセルシオ

庵に着いて渡されたプログラムを見てビックリ、“リ・リ・リゲティーやるのォ~~” 。漸く夏らしい気候が戻ってきた蓼科に緊張が走ります。

午後2時、周囲の赤松林を揺るがすようなエゾゼミの大合唱の中、エク登場。今年はファーストの西野ゆかの司会で演奏会が進みます。先ずは大震災の犠牲者への想いを籠めてバッハのアリアから。

続いてはモーツァルト。冒頭だけは有名な「狩」が響き、時間の関係からかメヌエットは省略されました。

そしてリゲティ。どうするのかと思いきや、先ず西野ファーストから“ハッキリ言って現代音楽です”と正直なアドバイス。“でも、我々は素晴らしい作品だと信じているから演奏するのです” とエクの姿勢を強調(そうでなくちゃ、ね)。
更に、簡単ながら真に的確な解説を加えてくれました。冒頭の4音からなるモチーフを演奏、それが様々に「変容」していく様を実例を挙げながら何か所か取り上げて聴きどころをピックアップ。初めて聴く(ほとんどの人がそうでしょう)人にも付いて行けるような分析は蓋し聴きモノでしたよ。
私もリゲティの面白さを初めて体験した次第。実はラボ(第一生命ホール)で取り上げた際には事前の試演会も無く、いきなり本番。その時も素晴らしいと感じましたが、今回の解説(アナリーゼ)付きコンサートは画期的だったと言えるでしょう。

演奏も圧巻。様々に変化する音楽の姿に聴き惚れる一時、長さや難解さは全く感じませんでしたね。特にチェロの叩きつけるようなピチカートの連続、突然出現するワルツ、微妙なグリッサンド・ハーモニックスに乗ってモチーフが回帰する終結など、エゾゼミも負けじと合奏する大熱演でした。
こんな風に現代音楽を楽しめるなら、一層のこと「エク蓼科・現代音楽祭」にしても良いんじゃないかナ。

後半のシューベルトは今やエクの十八番。いつにも増して説得力に富む演奏に、流石のエゾゼミ軍団も黙して聴き入るほど。

“もうワインの準備は出来ているんですが” と振っておいてアンコールはボッケリーニの作品2の6ハ長調(G164)から第1楽章。前2回の日本のメロディーとは違った味わいでアフター・パーティーに繋げてくれました。

去年まではパーティー半ばで中座、霧ヶ峰に向かっていた我々も今年は最後まで参加、記念写真もシッカリ収めてきました。
というのも、今年はチェルトの森にロッジが新装なり、西野ママの紹介で一泊する機会を得たから。前泊のクヌルプ・ヒュッテとはまた違った避暑ライフを楽しんだ次第。このコースは癖になるかも、ね。

今年は天候がやや不順で、クヌルプの松浦翁によれば、我々が入った5日に漸く夏らしい好天が戻ってきた由。
恐らく「戻り梅雨開け」を待っていたのでしょう、例年にない夥しい数のコムラサキがヒュッテの周りを飛び交っていました。カメラを向ける手にも1♂が止まり、まるで「手乗りコムラサキ」状態。

コムラサキとリゲティに弄ばれる信州の夏でした。

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