サルビアホール クァルテット・シリーズ第23回

個人的に10月最初のコンサート通いは鶴見、サルビアホールのクァルテット・シリーズでした。
第7シーズンの2回目。2011年に同シリーズがスタートして、同一団体が2度目に登場する最初のグループは、記念すべき第1回も担当した我がエクセルシオです。

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第2番ト長調 作品18-2
ショスタコーヴィチ/弦楽四重奏曲第8番ハ短調 作品110
     ~休憩~
クライスラー/弦楽四重奏曲イ短調
 クァルテット・エクセルシオ

「エク」の活動のメインは定期演奏会とラボ・シリーズですが、今回はその間を縫って首都圏で行われる重要なものの一つ。今回改めてサルビアで聴き、彼らの実力に納得の一夜でした。

今回のプログラムは、緊迫の前半に対し、リラックスの後半とでもしておきましょうか。一夜のプログラムとしてもバランスを考えられていると感じます。
緊迫の前半は、弦楽四重奏の2大巨匠の作品。サルビアに登場するのも初めてではありません。記録を繙いてみると、ベートーヴェン2番は去年11月の上海Q以来2度目、ショスタコーヴィチ8番は2011年6月のパシフィカ、同年11月のカザルスに続き2年振り3度目の登場です。

エクにとってもベートーヴェンは中心に据えられてきた巨匠。来年結成20年を迎えるエクとしても集大成を見据えた演奏で、独自のベートーヴェン像を提示してくれました。
それは前衛最前線の尖った、あるいは怒ったベートーヴェンではなく、ヨーロッパで培われてきた伝統に根差したもの。オールド・ファンにも快く受け入れられるでしょうし、新しい聴き手にも十分刺激的だったと思慮します。

続くショスタコーヴィチ。私が彼らの演奏で聴くのは、晴海のSQW初期、エクがラボ世界巡りを敢行していた頃のロシア編以来でした。その時がどんなアプローチだったかは正直記憶にありませんが、今回はベートーヴェン同様正統的スタイルだったと言えるでしょう。
それにしてもサルビアで聴くショスタコーヴィチはどれも凄い。眼前での演奏、適度な残響を持つアクースティックに広がる弦の木質的響きは、正に室内楽の醍醐味。暗示的な作風で知られるロシアの巨匠の心の裡を覗いてみたくなる衝動に駆られるではありませんか。
8番はショスタコーヴィチが唯一特定の個人には捧げなかった作品。「ファシズムと戦争の犠牲者の思い出」とは、実は「共産主義と暴挙の犠牲者」、即ち作曲家本人を譬えたものと解釈して良さそうですね。

今回の演奏でも、例えば第3楽章。冒頭から展開する死の舞踏が、練習番号46以降は全員の弱音器付きで繰り返されます。これは恰も「光と影」「建前と本音」の様でもあり、メンバーがソルディーニを着脱する光景を目にして思い当たる場面でした。CDによる音のみの鑑賞では中々思い及ばないこと。
楽章の最後に「怒りの日」が登場して第4楽章に突入。叩きつけられるワーグナー/葬送行進曲の暗示が、4回目に和声が変わる。この瞬間も、ホールの残響の質が微妙に変わることで、何かを暗示しているものではないかと聴き手を驚かせるのでした。
この楽章の最後、チェロのハイ・ポジジョンに出る「マクベス夫人」のアリアも、大友チェロの前屈みの姿勢から明瞭に引用を「見る」ことが出来る点も付け加えなればなりますまい。

後半のクライスラー、この珍品は流石にサルビアでも初登場の一品です。実はエクは夏の蓼科でも2回続けてこれを演奏。私も初回を聴いてレポートもしましたが、むさい庵の空間とサルビアとではまた印象も異なります。
もちろん演奏を重ねるに従って演奏も習熟度を増すということもありましょうし、聴く側も作品に馴染が増すということもありましょう。今回は馴染以上に愛着すら沸いてくる感想を持ちました。

プログラム前半の緊迫感を解きほぐすような解放感。弦楽四重奏という堅苦しい衣裳を纏ってはいるものの、まるで無声映画の伴奏を聴いているようにレトロな郷愁漂うクライスラー節が、何とも魅力的なのです。
チェロの序奏で始まり、アレグロ・モデラートの3拍子に変わって登場するテーマは、ほとんどチャップリンを連想させます。

中国の太鼓を連想させる第2楽章。「喜ばしく」と表記された一節は、ファースト+ヴィオラ、セカンド+チェロの二つのチームが呼応する場面があり、これが現在のエクの並びでは右対左の動きとなって、視覚的にも楽しさ倍増。反復の際には、ここがファースト+チェロ、セカンド+ヴィオラに替り、そのやりとりに思わずニンマリ。
この楽章の中間部も聴き所、いや見所でしょうか。テンポが80に落ち、起伏の大きなレチタティーヴォ風楽節がファースト→ヴィオラ→チェロ→セカンドと、左から右に順次受け渡されていく。このキャッチボールの面白さ、それはエクというより、メンバー個々の個性が垣間見られて真に楽しい瞬間なのです。

ラヴ・シーンの伴奏さながらの緩徐楽章に続き、カプリッチョ風に始まるフィナーレ。その最後には第1楽章の冒頭がそのまんま再現。あのチャップリン・テーマがチェロのピチカートに乗って消えて行く辺り、映画の主人公の後ろ姿がフェードバックしていくよう。この知られざる佳曲を、理想的な演奏、最高の空間で体験したと感じたものでした。

アンコールは、ドヴォルザークの糸杉、最後から2番目のアレグレット・スケルツァンドで、蓼科の初日でもアンコールした小品。紹介した大友氏は、“次回の予告編です”とスピーチ、やっぱりクライスラーは映画音楽なのだ、と膝を打ちましたね。
その次回は、来月14日のパノハ。糸杉全曲と作品106というオール・ドヴォルザーク・プロです。また鶴見でお会いしましょう。

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