京都市響・第5回名古屋公演
10月最初の金曜日、この所恒例になっている京都市交響楽団の名古屋公演に行ってきました。前回が土曜日のマチネーだったのに対し、今回は平日の夜。最初から日帰りの計画でしたから、帰りの新幹線を何時の便にするか悩ましい所ではあります。
演奏会は夕方6時に開場、プレトークなどは無く、6時45分開演という少し早目のスタートが予告されていました。プログラムは次のもの。正味2時間では収まりそうもなく、アンコールがあれは終演は何時になるのかしら。
ブルッフ/スコットランド幻想曲 作品46
~休憩~
マーラー/交響曲第5番
指揮/広上淳一
ヴァイオリン/米本響子
コンサートマスター/泉原隆志
フォアシュピーラー/渡邊穣
夜の公演なので出発はゆるり。朝10時ごろののぞみに乗り、昼をチョッと回った時間に名古屋入り。そのまま家内の実家を表敬訪問し、積もる話で時間はあっという間に過ぎていきます。
席は愛知芸術劇場コンサートホールのチケット・センター任せ、券面を見ると少し左過かなと思いましたが、このホールは横が比較的短い上に両側に階段席が設けられていて、私共に配布されたのは9列目の1ケタ台でしたが、実際は中央よりやや左寄りという位置。ヴァイオリンのソロには絶好のポジションでしたね。
前半のブルッフ、曲のタイトルから想像すると15分程度に思ってしまいますが、実際は全4楽章に序奏まで付いた30分ほど掛かる大曲。有名な第1ヴァイオリン協奏曲よりは滞空時間が長く感じられる協奏曲です。
もちろん何度も聴いている作品で、広上マエストロでも一度聴いたはず。やや単調な場面もある作品、演奏によっては退屈してしまうこともありますが、そこは広上氏、敢えて何もしていないのに、ズシリとして聴きごたえで飽きさせません。
ソロの米本氏を聴くのは久し振りでしたが、やや小さめな音量ながら、テクニックは完璧。作品への共感もトップ・クラスで、改めてブルッフを見直しました。
恐らく演奏時間が長めなことを意識していたのでしょう、二度目のカーテンコールのあとで直ぐにアンコール。クライスラーの作品では数少ない無伴奏の小品、レチタティーヴォとスケルツォ・カプリース作品6が早目のテンポで弾かれました。
パガニーニ・コンクールで入賞した米本だけに、快刀乱麻を断つよう。
休憩は20分。後半のマーラーに入ります。
日頃マーラーが苦手な私が態々名古屋まで出掛けたのは、もちろん広上淳一に惹かれてのこと。マエストロのマーラーにも数多く接してきましたが、5番はこれまで聴いたことがありません。今回5番を征服したので、あとは3番、6番と9番を残すのみになりました。
で、5番。名古屋まで来た甲斐がありましたワ。最新研究の改訂稿とか、ホルン・ソロの扱いで機を衒うなどという「他人とは一味違う」のマーラーなどではなく、至極真っ当、直球勝負のマーラー。それでいて極度の集中力と、音楽への食い込み方の尋常ではない様は、一体何処から来るのでしょうか。
もちろん指揮台での大きな振りは、いつも以上に激しいもの。そういう外面的なことより、プレーヤーに与えるモチベーションの高さが、今回の名演を産んだと考えざるをを得ません。
清濁併せのむ壮絶な3楽章まで。グイグイと内面に食い込むアダージェット、最後は解放されたかのように、磊落なフィナーレ。
最後の和音が炸裂すると、客席からは狂ったような歓声が巻き起こります。やっぱり広上のマーラーは聴かなくちゃ。
前回はユーモアたっぷりにスピーチした広上、流石に今回は大曲の大熱演に短めな挨拶。それでも二言目に“来年もまた来ますッ”という一言に名古屋のファンも大拍手。
“静かな曲を一つ”と言ってアンコールされたのは、何とアルヴェーンの付随音楽「グスタフⅡ世アドルフ」作品49から第7曲の「エレジー」。もちろん初めて聴く音楽で、私は最初グリーグかな? と思ったほど。アンコール曲を予想させないのも、広上のお家芸。ホワイエの案内板の前には携帯カメラを持った人だかりが出来ていました。
前半も後半も大曲、しかもアンコール付き。ホールを出ると時計は9時20分を指していて、脱兎の如く地下鉄経由で新幹線のホームへ。あと10分というタイミングで無事にのぞみに飛び乗ることが出来ました。
それにしてもこの時間の新幹線を予約した家内は神業じゃな。多少の冷や冷やもありましたが、また来年も期待ですね、京響の名古屋公演。
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