ロームシアター京都杮落し公演「フィデリオ」

今週の月曜日、成人の日の祝日にロームシアター京都でフィデリオを聴いてきました。岡崎公園の中、旧京都会館と呼ばれていた施設がリニューアルし、新たに「ロームシアター京都」としてオープンする初日の記念公演です。
下世話な言い方をすれば、平安神宮の隣。市バスはその前に停まりますし、地下鉄東西線の東山駅からも歩いて10分ほど。ロケーションも良く、新たな音楽芸術文化の発信地となる期待のホール群となるでしょう。
(ホールは全部で三つ。公演の性格や規模に合わせてメイン・ホール、ノース・ホール、サウス・ホールがあり、オープン・スペースでの公演も可能)

http://rohmtheatrekyoto.jp/

私がこの事業を知ったのは、確か去年5月に赤坂で行われたソプラノ歌手・木下美穂子の私的なリサイタルで、そのプロフィールに「京都ロームシアターのフィデリオ出演予定」と記されていたからです。
その時には本人と話す機会も無く、ネットなどで京都会館改築の計画を知ったのでした。そう言えば少し前に平安神宮に出かけた折、京都会館の周囲が工事用のシートで覆われていましたっけ。

ということで概要も判り、夏にはロームシアターの会員登録も済ませ、ネットによるチケット先行発売でシッカリ当日の席を押さえました。
問題は1月10日という日程。正に寒中の公演で、寒さで知られる京都のこと、大雪で東京からの遠征がスムースに行くだろうか。この時期に京都に出掛けるのは初めての経験です。
しかし実際は杞憂というか、東京と同じで京都も拍子抜けするような暖かさで、厚着をしていったのが悔やまれるほど。地元の方々に伺えば、初雪も未だだそうで、こんな冬は経験したことが無いという声が大勢を占めていました。

さてフィデリオ、主催者側の発表ではロームシアター京都オープニング事業とありましたが、公にはこの日が開場初日ですから「杮落し公演」と言って良いのでしょう。前日には開幕の式典も行われた由。
以下の陣容で初のロームシアターを味わってきました。

ベートーヴェン/歌劇「フィデリオ」(セミステージ形式)
 レオノーレ(フィデリオ)/木下美穂子
 フロレスタン/小原啓楼
 ドン・ピツァロ/小森輝彦
 ドン・フェルナンド/黒田博
 マルツェリーネ/石橋栄実
 ロッコ/久保和範
 ヤキーノ/糸賀修平
 演劇/地点(阿部聡子、石田大、小河原康二、窪田史恵、河野早紀、小林洋平)
 管弦楽/京都市交響楽団
 指揮/下野竜也
 合唱/京響コーラス、京都市少年合唱団
 演出/三浦基
 他

ベートーヴェンの「フィデリオ」と言えば、かつて東京の日生劇場の杮落しに選ばれた演目ですし、海外でも新しい劇場のオープンや、再開・改装の記念公演には度々登場する演目です。
特にベートーヴェンがその目的で作曲した歌劇ではありませんが、その祝典的な内容、台詞の中に“この日を待っていた!”という一節があることからも、新劇場の幕開けには相応しい作品と言えるでしょう。今回のロームシアターも、京都のパワーを結集した素晴らしい公演で新たな歴史をスタートさせました。

京都のパワー、と書きましたが、もちろんオーケストラは京都が世界に誇る京都市交響楽団、指揮者は同オケの常任客演指揮者を務める下野竜也。合唱も京響コーラスと地元の少年合唱団。
更に京都に本拠を置く演劇団体「地点」も参加し、そのリーダーである三浦基の演出。京都市とロームシアター京都が主催する、京都が世界に向けて発信して行く文化芸術活動のスタートともなる記念公演でもあります。
前日の記念式典でボレロを指揮した常任指揮者・広上淳一氏もこの日は観客の一人として聴いておられましたし、我々も含めて東京など他都市から駆け付けたファンも多く見掛けられました。

私は以前の京都会館を知りませんので、具体的に何処をリニューアルし、何が残されているかを指摘することは出来ません。かつて京響の定期は京都会館が会場でしたし、当時の常任指揮者だった井上道義氏から“音響がデッドで、そこでショスタコーヴィチを演奏するのは自虐的な快感さえあった”と聞いたこともあります。
初日の印象だけ、唯一度の公演だけで判断するのは危険ですが、そのデッドな感じはどうやら健在なようで、私の席(1階6列、事実上被りつき)では豊かな残響と言うより、歌手の発声や特に管楽器の音色などが直接耳に伝わってくる印象。5階まである階上の席ではどのように聴こえたのでしょうか。

フィデリオと言えば、もちろんドイツ語。ナマの台詞と歌が交錯して行く創りで、それとなく聞いた所では、歌手は歌にだけ専念し、台詞の個所は他の出演者が受け持つ、ということでした。
会場に入ると、オーケストラは舞台上に展開しており(今回の演奏では弦楽器は対抗配置)、その後ろに歌手が歌うスペースと思われる階段状の構造物が設置されている。その後ろは壁が覆い、舞台の奥は見えません。
更にオペラ舞台上演ならばオーケストラが入ると思われるピットに相当するスペースは、今回は無人のガラリという空間(通常の公演なら1列目から5列目の座席が置かれるのでしょう)。このピットに相当する空間、仮に「奈落」とでも呼んでおきましょうか。

三浦演出の第1幕では、この奈落で地点のメンバー(最大4人)が入り乱れて動いたり、床に寝転がったり、時に動きを止めて天を仰いだりする。全員がオレンジ色に統一されたフード付の衣裳を纏っている。第2幕では奈落でのパフォーマンスは無く、地点のメンバーは舞台上を時に応じてゆっくりと動き回る。
この様子が舞台上方に据えられていると思われるカメラを通し、舞台後方のスクリーンに映し出され、場面によっては別撮りされた映像と重ねられたりする。
歌手の面々も両幕とも奈落から登場し、再び奈落から舞台裏に戻り、いわゆる舞台袖からの出入りは一切行われない。

台詞に関しては、地点のメンバー二人(男女)が舞台上左右両端に分かれ、台本に書かれている台詞とは異なるストーリー風、かつ解説風な文言を独特なイントネーションで語り、歌と歌、歌と音楽を繋いでいく。
特に女性の語りは、「てにをは」を単語の前に置く風変わりな台詞回しで、オペラの舞台となる状況の意質感を強調する。
ドイツ語訳に付いてはスクリーンに日本語が映し出され、舞台を見れば自然に目に入ってくる配慮。良くあるように、観客は字幕を見るために首を横に振る必要は無い。

この演出、最初は違和感もありましたが(序曲の最中も奈落で人間が動き回り、演奏を聴くのに集中できない、など)、明らかにメッセージの発信でしょう。奈落は即ちフロレスタンが幽閉されている監獄であり、第1幕では登場してこないフロレスタンの存在と、その苦悩を表現しているのだと考えました。
更にこの演出のテーマは「反転」にあるとのことで、舞台とオーケストラ・ピットの反転、主役であるレオノーレがフィデリオとして登場する性の反転、それが政治を反転させ、監獄を自由の場へと反転させ、地下が地上に反転する。という象徴的な意味なのでしょう。

しかし、私にとってこの演出は謎も多く、例えば登場人物全てが濃いオレンジ系の衣裳で統一されていたことも謎の一つ。オレンジ色には何か隠された意味があるのでしょうか?
また第2幕では、地点メンバーが右手の前腕(手首)を左手で掴み、右手を開くというポーズを採ります。この仕草にも何らかの暗号が隠されているように見ましたが、私の貧しい知識では解答が見出せません。

音楽は正に開場に相応しい堂々たる祝典音楽で、冒頭から右肩下がりに状況が暗さを増し、第1幕後半の囚人たちの合唱を底に急激に「反転」、慣習通り夫婦再会の二重唱(第15番)に次いで演奏されたレオノーレ序曲第3番以降は歓喜の爆発に転じます。
第2幕冒頭、フロレスタンの登場は意外でもあり、それに続くメロドラマ(台詞と歌が交互に交替する)ではフィデリオとロッコの二人はドイツ語による語りを披露し、言葉と歌の分離に違和感を感じさせません。

レオノーレ序曲のコーダに突入すると、少年少女を含む合唱団が奈落から客席に手を振りながら登場し、フィナーレの合唱で「この日を待っていた」と喜びを謳い上げる。オペラの最後に、それまで下げられていた舞台奥のスクリーン兼壁上の垂れ幕が静かに下され、舞台の全貌が見渡せるという仕掛け。
序曲から最後までの下野の指揮、京響のアンサンブルは乾坤一擲、素晴らしいスピード感と推進力と以て、記念公演を感動の頂点に駆け上っていくのでした。流石に凄いのは、ベートーヴェンの音楽そのもの。歌劇でありながらシンフォニーにも通じ、オラトリオでさえある。

舞台に近い私の席からは、出演した歌手たち、演奏に加わったオーケストラのメンバーたちの多くが感動の涙を溢れさせていたのが見えました。杮落しという特殊な状況、ベートーヴェン作品の再現に携わった満足感と、客席から期せずして起こった大歓声が、演奏者をも大きな感動に導いたのでしょう。
新装なったロームシアター、今後も興味深い公演予定が発表されていますし、古都京都に相応しい伝統芸術の場としても重要な拠点になるのは必至。京響も北山のコンサート・ホールと二つの会場でフル回転が約束されていますし、私共も京都に行く口実が更に増えるのではという予感がします。

最後に余談を一つ。この日の京都は晴着を召した新成人でごった返していましたが、従来京都の成人式は京都会館で行われてきた由。それが、改装工事に入ってからは、向かい側にある京都市勧業館(みやこめっせ)に移されての開催。この日も朝から東山界隈は若人の熱気と、それを目当てにした政党の宣伝カーで歩くのも儘にならないほどでした。
どうやら京都の成人式は、二条通を軸にクルリと「反転」してしまったようです。

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