英国競馬1966(6)

1966年の英国競馬シーン、これまでそのクラシック・レースを見てきましたが、最後にその他の分野をザッと見て行きましょう。

さて前年のクラシック勝馬は、セントレジャーのプロヴォーク Provoke 以外は全て3歳の裡に引退してしまいました。そのプロヴォークも結局1966年は一戦もすることなく、ロシアに種牡馬として輸出されてしまいます。

大陸からの馬の移動が禁止されて最初の大レースとなるコロネーション・カップは、前年のダービーでシー・バード Sea-Bird の3着だったアイ・セイ I Say が優勝。
3歳時は気性の悪さを見せていた同馬でしたが、古馬になってこの点はかなり改善し、この年は1マイル半のレースに3勝。しかし最後となった凱旋門賞はボン・モ Bon Mot の9着で現役を終えます。

6月のロイヤル・アスコットで最大の話題となったのは、ファイティング・チャーリー Fighting Charlie のゴールド・カップ2連覇でしょう。特にこの年は2着以下に8馬身差を付ける圧勝でしたが、ステイヤーの常で、この馬も種牡馬としては完全な失敗に終わります。

前回セントレジャーの回顧でも短く触れたように、エクリプス・ステークスに勝ったのは、急成長してきた3歳牡馬のピーシズ・オブ・エイト Pieces of Eight でした。英国で生産され、調教はアイルランド(ヴィンセント・オブライエン)、オーナーはアメリカ人、父もアメリカ産馬で、母はイタリア系と言う正に国際的な背景を持った馬で、エクリプスではレスター・ピゴット騎乗でダービー2着馬プリテンダー Pretendre を破りました。
ピーシズ・オブ・エイトは秋にもチャンピオン・ステークスを勝ち、タイムフォームの最終評価は128でした。このレーティングはソディウム Sodium と同じで、シャーロットタウン Charlottown より1ポンド上に当たりますから、如何に高評価だったかが判るでしょう。

キング・ジョージ6世・アンド・クィーン・エリザベス・ステークスも前項で紹介したように、後のセントレジャー馬ソディウムを半馬身差で破ったのは4歳牝馬のオーント・エディス Aunt Edith でした。この馬に付いては1965年の英国競馬でも取り上げたように、クラシックに縁は無かったもののフランスでヴェルメイユ賞を制した馬です。
彼女を管理するノエル・マーレス厩舎は、何故かキングジョージには縁がありませんでしたが、今回はピゴットの絶妙な騎乗で遂に念願のビッグ・レースを制したのでした。マーレスとピゴットはこの年のオークスを巡って決裂しましたが、キングジョージの時点ではお互いに感情も改善し、ここで再びコンビを組んだのです。

マイル部門では、愛2000ギニーを制したパヴェー Paveh がグッドウッド競馬場のサセックス・ステークスも4歳馬シリー・シーズン Silly Season との激闘を短頭差で制して頂点に立ちます。パヴェーはより長距離にも適性があると考えられていましたが、結局サセックス・ステークスが最後のレースとなってしまいます。
パヴェーが目標にしていたクィーン・エリザベスⅡ世ステークスは、シーズン半ばにアメリカから転戦してきたヒル・ライズ Hill Rise が優勝。英国ではノエル・マーレス厩舎に所属し、クィーン・エリザベスⅡ世では又してもピゴットとのコンビで、シリー・シーズンを首差破っての勝利でした。
サセックスとクィーン・エリザベスで共に2着だったシリー・シーズンもこの年ロッキンジ・ステークスとハンガーフォード・ステークスに勝っており、3頭のマイラーはほぼ互角の実力だったと言えるでしょう。タイムフォームのレーティングはヒル・ライズが127、パヴェーは126、シリー・シーズンも126と、ほぼ拮抗した評価が下されています。

短距離部門には抜けたスターが無く、アスコットのキングズ・スタンド・ステークスは20対1のラフリン Roughlyn が制してこの部門の不安定さの象徴となりました。
日替わりで勝馬が替った短距離界では、ジュライ・カップを制したラスカランド Luscaland が比較的堅実だったと言えましょうか。

1966年のリーディング・ジョッキーは、191勝で文句無くレスター・ピゴット。第2位のスコービー・ブリズリーは、8月13日の落馬で残りのシーズンを棒に振ったため97勝だったとは言え、ピゴットは2倍以上の勝鞍を挙げて断然のチャンピオンでした。

最後に日本の競馬界にも簡単に触れておきましょう。

日本競馬は、シンザンの五冠達成に沸いた前年より更に右肩上がりに成長しました。クラシックでは菊花賞に勝ったナスノコトブキがこの年の最強3歳馬に選ばれました。
桜花賞はワカクモ、皐月賞がニホンピローエース、オークスはメジロボサツ、ダービーもテイトオーとクラシックは全て異なる馬が勝っています。

古馬部門では秋の天皇賞と有馬記念を制した4歳のコレヒデが文句無いチャンピオンでしたが、有馬記念で3着に食い込んだ3歳馬スピードシンボリが、後に日本馬として初めて海外遠征を試みることになります。その意味で記念すべき年でもありました。

 

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