ヘルベルト・フォン・カラヤン

今日はカラヤンの誕生日で、今年は丁度100年になります。NHKのハイビジョンではほぼ一日中カラヤンものを放送するようですね。
世に「アンチ・カラヤン」と呼ばれる人達がいて、その代表格が某カリスマ評論家Uです。彼らがカラヤン生前からよく発言していたことに、“カラヤンなんて死んでしまえば誰も見向きもしなくなる。カラヤンのレコードなんか聴く人もいなくなる。”、と。
どうもこの予言は見事に外れちゃったみたいですね。誰も見向きもしなくなるどころか、亡くなって益々カラヤン信仰が深まっているようだし、録音も毎月のように「カラヤン・エディション」が発売されています。まぁ、マスコミの空騒ぎ、商売という事情もあるでしょうけど・・・。
で、私はどうか、というと、立派なカラヤン・ファンです。
カラヤンを初めて聴いたのは、もちろんレコード。フィルハーモニア管弦楽団と録音した「プロムナード・コンサート」を音楽好きの従兄弟から安く譲ってもらって手に入れたレコードです。
ジャケットも未だ覚えていますが、日本コロンビアから出たモノラル盤。多分ステレオになって再録音した演奏だったと思いますが、当時はステレオ装置が普及途上、モノラルとして発売された盤。
これを擦り切れるまで聴きました。スケータース・ワルツ、軽騎兵序曲、雷鳴と電光、天国と地獄、スペイン狂詩曲等々。
ナマでも何度か行きました。なんだかんだ言っても、海外の音楽家による来日公演で一番足繁く通ったのは、カラヤンとベルリン・フィルの公演だったと思いますね。
全部覚えていますから印象も強烈だったし、それだけインパクトの強い芸術家だった、ということでしょう。以下、私がナマで聴いた記録。
① 1966年4月13日(水) 東京文化会館
 ベートーヴェン/交響曲第4番
 ベートーヴェン/交響曲第7番
② 1966年5月2日(月) 東京文化会館
 ブルックナー/交響曲第8番
③ 1970年5月17日(日) 東京文化会館
 オネゲル/交響曲第3番
 ドヴォルザーク/交響曲第8番
④ 1977年11月16日(水) 普門館
 ベートーヴェン/交響曲第6番
 ベートーヴェン/交響曲第5番
⑥ 1981年10月29日(木) 東京文化会館
 ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲
 ベートーヴェン/交響曲第5番
  独奏/アンネ・ゾフィー=ムター
ええ、たったこれだけです。カラヤン・ファンとしては少ない方でしょう。
①と②は徹夜して並び、銀座と日比谷を何度も走って往復したっけ。このときは一人一枚しか買えないルールでした。それで2箇所を掛け持ちしたんですな。
①はベートーヴェン全曲演奏会の二日目。初日は(コリオラン-第6-第5)テレビでナマ中継されていました。その衝撃。コンサートの後、サインを貰おうと知人と並びましたが、カラヤン、文化会館裏口から脱出。
②は当日、春の嵐、上野駅から文化会館まで行く間にずぶ濡れになりました。しかしこのブルックナーは凄かった。私のブルックナー体験の原点です。ですからU評論家の論調など全く馬鹿馬鹿しく、私には空しく響くだけ。
③は会社をサボって東京に出てきました。当時は地方住まいでしたから。震撼のオネゲルに圧倒されましたね。
④は会場の不満にも係わらず、田園の最初のクレッシェンドで完全にノックアウトされました。近くの客席にアレクシス・ワイセンベルクと小澤征爾が並んで座っていて、最後は二人ともスタンディング・オーヴェイションを贈っていました。カラヤン、それを見てニヤリ。
⑤は家内と二人で出掛けました。お腹に長男がいまして、胎教のつもりだったのかも知れません。そのせいかクラシックに関心のない息子も、カラヤンの名前と顔は一致するようです。
⑤に先立つ1978年の4月初頭、我々は新婚旅行でアムステルダムにいたのですが、ホテルのテレビを点けたら「カラヤン生誕70年記念特集」をやっていました。カラヤン/ベルリン・フィルの最初の北米旅行のドキュメントと、ワシントンでのブラームス第1の全曲放送。
しばらく呆然としてこのテレビに見入っていたことを思い出します。あれから30年かぁ~。

 

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