柴田南雄の世界

昨日、11月7日は我が国音楽界にとっても、私個人にとっても記憶に残る1日となりました。赤坂サントリーホールで行われた柴田南雄の世界です。
コンサートは「柴田南雄生誕100年・没後20年記念演奏会」と銘打たれ、下記のプログラム、以下の方々の演奏によって実現しました。

柴田南雄/ディアフォニア No.62 (1979)
柴田南雄/追分節考 No.41 (1973)
     ~休憩~
柴田南雄/交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」 No.48 (1975)
 日本フィルハーモニー交響楽団
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 ソロ・チェロ/辻本玲
 指揮/山田和樹
 合唱/東京混声合唱団/武蔵野音楽大学合唱団
 合唱指揮/山田茂、栗山文昭、片山みゆき
 尺八/関一郎
 舞台監督/深町達

柴田南雄氏と言えば私にとっては音楽の師で、もちろん個人的な面識はありませんでしたが、氏がいなければ今日、私がクラシック音楽を糧として生きていることはなかったでしょう。
著書「西洋音楽史」は現在でも現役のバイブルですし、FMやテレビでの各種解説もほとんどを聴いてきました。この演奏会が開かれることを知って、真っ先にチケットをゲットした一人。プログラムの一節「柴田南雄の薫陶を受けた者は数知れない」、その内の一人でもあります。

そもそも当企画は指揮者・山田和樹が“やりたい”と発した一言からスタートしたそうですが、次第に話がエスカレートし、最終的には山田を代表とする14人の発起人による実行委員会が実現に漕ぎ着けたという経緯があります。
個人的な感想を言えば、“なんで若い山田が柴田南雄を知っているのだろう”という疑問がありましたが、それだけ柴田が後世にも大きな影響力を持ち続けているという事の証でしょう。この演奏会を切っ掛けに、更に若い世代、音楽には余り興味のない方々にもその存在を知る機会になることを期待しましょう。

山田和樹のコンサートでは必ず本人の(中々止まらない)プレトークがあります。それによると、招待状を発送した以外の客席は全て完売したそうで、なるほど満席に近いほどの盛況でした。
コンサートの性質上、年配の方が目立ちましたが、私が気が付いただけでも作曲家T・Y氏、I・S氏、Y・J氏など錚々たる方々とすれ違います。もちろん元日本フィルのヴァイオリン奏者で柴田夫人の純子氏も、遠くから拝顔させて頂きました。

配布されたプログラムも簡素ながら中身は充実。永久保存版として貴重な一品で、
「再発見の旅」(山田和樹)
「歴史と同時代、無名性、地域性」(高橋悠治)
「曲目解説」(佐野光司)
「交響曲「ゆく河の流れは絶えずして」」(柴田南雄)(1975年11月7日 初演プログラムから)
「家庭の中の柴田南雄」(柴田純子)
と、どれも力作。更には作曲家・仙道作三氏による柴田南雄略歴・著書一覧・作品表も充実しており、今後も何かに付けて参考になりそうな資料集と言えるでしょう。

更に加えれば、事前に配られていた演奏会案内チラシの裏面に掲載された山田和樹×柴田純子の対談も捧腹絶倒もので、これもプログラムに挟んで保管しておきましょう。
当日配られたチラシにも注目で、上記仙道氏の著作「評伝・畢生の作曲家柴田南雄」と、アルテスパブリッシング社の近刊「柴田南雄 音楽界の手帳」も驚きの情報。早速注文してしまいました。

山田の呟きから始まったコンサート、実は交響曲が初演されたのが昨夜と同じ11月7日で、この日は唯一山田のスケジュールとサントリーホールの予定が合致した日だったとか。偶然だそうですが、嘘のような本当の話です。
実は偶然は偶然ではなく、運命が導くものとも言えそうですね。今年2016年は柴田南雄の生誕100年ですが、交響曲のテキストにもなっている鴨長明の没後800年でもあります。
800年という数字は東西文明が交替する運命的な年号で、鴨長明が亡くなった1216年頃から東洋文明が衰退し、この演奏会が行われた2016年頃からは西洋文明が没落して行く。村山節氏の「文明法則史学」通りのサイクルになっていることに「神の手」を感じてしまうのでした。その中間、400年前にシェークスピアが没したというのも単なる偶然とは思えなくなってきませんか。

選ばれた3曲は、「偶然」とは思えないような暗示性に富み、冒頭のディアフォニアは西洋音楽の様々な手法を凝縮したようなオーケストラ作品。
2曲目は東洋音楽、特に日本音楽のエッセンスを柴田流に「偶然性」を盛り込んで創作されたもの。
最後の交響曲は、一言でいえば東洋と西洋の対立・合体・融合とも取れる音楽。

方丈記の世界は現在でも立派に通用し、世界は転生輪廻、同じことを繰り返しているという事実を改めて認識させてくれます。
大きく2つの部分に大別できる方丈記交響曲は、あのベートーヴェンが西洋音楽の頂点とも言える第9交響曲で用いたアイディアを連想させるものでもあります。前の楽章(西洋音楽の歴史)を否定し、来るべき未来を想う。

扉が多く、天井の高いワインヤード型のホール構造が最大限の効果を引き出していたことも特筆すべきでしょう。特に3000回以上演奏されているという追分節考や、交響曲での体験は圧倒的。

この演奏会はNHKが収録していましたが、合唱団が客席の間を練り歩き、歌う、究極のマルチ・チャンネル音楽を存分に体験するには、やはり現実にホールに身を置かなければ味わうことが出来ないでしょう。
西洋・東洋とは? 日本人のルーツは? 民族の違いとは? 音楽の起源とは? 様々な疑問を改めて想起させてくれた夜でもありました。

 

 

Pocket
LINEで送る

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください