東京シティフィル・第九特別演奏会

昨日は計画通り、アカデミア・ミュージックでささやかな散財をし、上野に向かいました。今年最後のコンサート。

東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団
ベートーヴェン/交響曲第9番
指揮/飯守泰次郎
独唱/木下美穂子、手嶋眞佐子、小貫岩夫、東原貞彦
合唱/東京シティ・フィル・コーア
合唱指揮/藤丸崇浩
コンサートマスター/戸澤哲夫

第9一曲のコンサートということで、7時半始まりです。前々日との比較の意味で、事務的なことを記録しておきます。
まずオーケストラの配置は、普通の並び。使用した楽譜は、間違いなく旧来のブライトコプフでしょう。ただし、第2楽章のヴァイオリンのオクターヴ書き換えなどは実行していました。
合唱は最初からステージに乗っていましたが、ソリストと第4楽章だけに登場する楽員は、第3楽章の前に舞台に上がります。普通このスタイルですと拍手が起きるのですが、この日は静かに入場。コンサート慣れしていない聴衆が多いせいなのでしょうか? 真相は分かりませんけど。

東京シティ・フィル、12月の定期でもそうでしたが、実に入念にチューニングをしますね。そのせいでしょうか、オーケストラ全体としての均質さが快く保たれている感じがします。最初のフォルテを聴いた時、東京オペラシティでのコルンゴルトと全く同じ音質を実感しました。オケとしての個性が確立され、極めて安定しているのが判ります。
下野/読響による第9の若さ、斬新さ、スピード感に圧倒されつつも、何か違和感をも感じた私は、飯守泰次郎の指揮によって、“うん、これが昔ながらの第9、これでなくちゃ” と、我が「おじん度」に納得したものです。
これは飯守第9が古臭く、陳腐なものという意味ではありません。頭の中には音楽のことしか無いマエストロは、過去の様々な解釈を知り尽くしつつも、自身のフィルターを通してそれらをシッカリ咀嚼し、自らのベートーヴェン像を打ちたてようとする姿勢を貫いていました。

オーケストラもマエストロの意向を充分に汲み取り、独自の音色と真摯な演奏姿勢でこれに応えます。私の席では(1階15列中央やや左寄り)、特にホルン群の充実した響きが目を惹き、耳を刺激します。
しかしここにも第9の難しさが・・・。

バリトンのレシタティーヴォが始まると、我が耳を疑うような叙唱。まるでシラーの詩に付けたベートーヴェンの落書きを際立たせるような・・・。う~ん、こういう解釈もあるのかぁ。テノールもあっという間にトルコ軍の行進に飲み込まれてしまうのでした。
男声ソリストたち、よほど緊張していたのでしょうか、正に「大苦交響曲」でしたね。

さすがだったのはソプラノ。どこまでも安定し、歓喜を堂々と謳い上げます。ただし、いつもと比べれば声量を大分セーブしていたように聴こえました。
この「空気が読める」ソプラノは、一人突出してしまう愚を避け、見事に四重唱の一人に溶け込む余裕を感じさせます。なるほど「N・Y」在住のことはある、と妙に感心。

私どもの後列のご一行は、出演している合唱団員の友人の「おじさま・おばさま」たちのようです。全曲が終わった直後、一斉に“うわ~”という歓声。“○○さん、凄いねぇ~、よしッ、来年はオレも、ワタシも第9歌うぞぉ~”と励ましあっているのでした。
恐らく東京文化会館に初めて足を踏み入れた方たちなのでしょう。「第9」に惹かれてクラシック初体験。その感動が老後の生き方を前向きにする。第9には、そういう「力」があるのです。ベートーヴェンにはそういう「カリスマ」がある。
年末になればどこのオーケストラも第9・第9。少しやり過ぎじゃないか、と、すれっからしの私は思うのですが、やはり草の根的な第9も絶対に必要なのです。飯守/東京シティ・フィルの第9は、極めて高いレヴェルで、クラシック音楽の大切さを教えてくれたような気がします。

ということで、私の今年の演奏会通いはおしまい。また来年も、たくさんの素晴らしいコンサートに出会えますように。
まずは素晴らしい音楽を創り出してくれた作曲家たちに感謝。続いて、それを再創造してくれた演奏家たちを賞賛いたしましょう。みなさん、ありがとう。

 

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