二期会公演「タンホイザー」

2021都民芸術フェスティバル参加公演、ワーグナーの歌劇「タンホイザー」最終日を見てきました。2月21日、上野東京文化会館大ホールでの公演です。
二期会創立70周年記念公演、フランス国立ラン歌劇場 Opera national du Rhin との提携公演でもあり、在日フランス大使館とアンスティテュ・フランセ日本、日本ワーグナー協会の後援でもありました。

二期会としては1966年、1976年、1988年、1999年に続く、ほぼ10年毎に上演してきた演目としては、前回からは20年振りとなる5回目のタンホイザーでした。
個人的には何故かこのオペラには今まで縁が無く、恥ずかしながら今回がタンホイザーの初ナマ体験でもあります。最近の公演ではびわ湖の舞台、新国立劇場の公演、バイエルン歌劇場の引っ越し公演なども全て見逃してしまい、私にとっては唯一ナマ舞台に接していないワーグナー作品(リエンツィ以前のものは除く)でもありました。そんなわけで大いに期待して出掛けたものです。その期待、十二分に満足できるものだったことを報告しておきましょう。

私が聴いた4日目のキャストは以下、いわゆるB組と言うんでしょうか。

領主ヘルマン/長谷川顯
タンホイザー/芹澤佳通
ヴォルフラム/清水勇磨
ヴァルター/高野二郎
ビーテロルフ/近藤圭
ハインリヒ/高柳圭
ラインマル/金子慧一
エリーザベト/竹多倫子
ヴェーヌス/池田香織
牧童/牧野元美
4人の小姓/横森由衣、金治久美子、実川裕紀、長田惟子
管弦楽/読売日本交響楽団
合唱/二期会合唱団(合唱指揮/三澤洋史)
指揮/セバスティアン・ヴァイグレ
演出/キース・ウォーナー
演出補/ドロテア・キルシュバウム
装置/ボリス・クドルチカ
衣裳/カスパー・グラーナー
照明/ジョン・ビショップ
振付/カール・アルフレッド・シュライナー
映像/ミコワイ・モレンダ

この日は2月とは思えないほどに気温が上がり、上野公園は緊急事態宣言発令中とは思えないほどの人出。文化会館大ホールも入場者数を50%に限定しているのでしょうが、それでも客席は限度一杯に近かったのではないでしょうか。
初タンホイザーということで私共は優先発売を使って早々にチケットをゲットしましたが、この時点での規制からか真ん中を空けての席、いわゆる市松模様でのチケットが届きました。しかしその後に座席制限が一旦緩和されたためでしょうか、実際には客席は市松模様の列があったり、ビッシリと埋まっている列もあったりと、かなり疎らな印象でした。

ホールに入ると、舞台上手と下手には透明な仕切り板で囲まれた一角があり、一部の楽器がここで演奏する様子。後で判りましたが、上手は第2幕の入場行進曲で演奏する金管楽器が、下手はハープと特殊打楽器(大太鼓、シンバル、タンバリンなど)がこの位置で演奏しました。
一つにはオーケストラ・ピット内の密を避けるために採った苦肉の策であり、もう一つはワーグナー自身が指定している舞台上のオーケストラを敢えて見せるという効果も考慮したためと思われます。

尤もスコアに指定されている舞台上のオーケストラはイングリッシュ・ホルン、ピッコロ2、オーボエ4、クラリネット6、ファゴット4、ナチュラル・ホルン12、トランペット12、トライアングル、シンバル、タンバリンという巨大なもので、今回の上演では遥かに小規模な編成に抑えられていたことは言うまでもありません。
そしてもう一つ、開幕前に舞台中央奥、何やら円錐状の塔のような構築物が静かに回転しているのが見えます。あれは何だ、ということで早速プログラムに眼を通します。

今回の演出はキース・ウォーナーの原案をキルシュバウムが補ったもののようで、プログラムにはウォーナーのインタビューが掲載されていました。やや難解な解釈が語られていますが、ワーグナーによれば芸術は新しい宗教で、舞台上演の体験が社会を生まれ変わらせ、再生できるとのこと。そのコンセプトを把握しやすくするために作ったのがこの舞台装置で、これが「第三の道」への可能性を提示するのだそうな。
ウォーナーによれば、タンホイザーでは様々な相反する概念の対立、即ち「二項対立」によって劇の筋が展開していて、二項対立の向こうに開ける一つの道が、ヘーゲルの言うアウフヘーベン、人間を崇高な高みに持ち上げてくれるとのこと。プログラムに掲載されている挨拶の一人、某都知事殿の大好きな言葉がここで登場し、なるほど都民芸術フェスティバルに相応しい公演なのだと、改めて感心した次第です。

それはさて置き、全3幕の中で常に舞台中央に下がっている第三の道は、オペラの幕切れで壮大な効果を発揮します。ローマ教皇からは許されなかったタンホイザーの罪がエリーザベトの殉死によって救われ、第三の道の先端部が緑色の光に輝く。感動的な最後の合唱が響く内、塔の上部に見える昇天したエリーザベトに向かい、タンホイザーが一歩また一歩と第三の道を昇っていく中で全曲の幕が下ろされます。
難しい理屈はどうあれ、この場面は極めて感動的。ここで涙腺が崩壊しない人とは付き合いたくない、とさえ思ってしまいましたね。いやぁ~良かった。

ウォーナーの舞台は、任意の「どこか」。瞬時に変貌し、ヴェーヌスブルクにもなり、歌合戦の舞台である会堂にも変わる。これがタンホイザーの人間性の二つの側面を象徴しているのは言うまでもありません。
しかし第3幕になると、その「どこか」は「どこでもない」に変わる。この演出にはヴェーヌスブルクもヴァルトブルクの谷も、ヴァルトブルク城も登場しませんが、見る人の想像力を掻き立てるような効果が隠されており、いわゆる読み替え演出にも拘わらず違和感を感じさせなかったのは見事でした。

その例が、舞台の奥に設けられている小舞台でしょう。ここがバレーの舞台になったり、歌合戦のステージに変わったりするのですが、時に絵画を連想させるような使われ方をする。
ウォーナーが思いついたのは実物と原型という概念で、これが二項対立にも通じ、この演出での本舞台と小舞台というアイデアに結びついているのではないでしょうか。
一つだけ謎として残ったこと。それは第1幕と第2幕に登場する子役で、これは何を意味するのでしょうか。第2幕では本来なら登場しないヴェーヌスにしがみ付いたりするところを見ると、タンホイザーの子供時代なのか、あるいはワーグナーその人を暗示しているのか。これだけは理解に苦しみました。

タンホイザーと言えばドレスデン版とパリ版があるとこれまで解説されてきましたが、今回はパリ版に準拠しながら一部はドレスデン版を使用とクレジットされていました。
しかし序曲の途中からパリ版の為に改作した長大なバッカナールに流れ込んだのを聴いて、実際にはウィーン版と呼ばれている演奏スタイルだったと思われます。

歌手たちは何れも高い集中力と見事な歌唱、私が聴いた組では特にエリーザベトとヴェーヌスの存在感が際立っていました。
しかし何と言っても最大の功労者はヴァイグレ指揮の読響でしょう。本来はバイロイトで高く評価されているアクセル・コーバーが指揮する予定でしたがコロナ禍で来日出来ず、去年12月から来日していたヴァイグレに白羽の矢が立ったもの。これが却って良かったのではないかと思わせるほどにダイナミックな指揮で、指揮者とオーケストラの長期に亘る協力関係が如何に大切であるかを実証して見せた公演でもありました。

毎回のことですが、二期会公演のプログラム誌も読み応え十分。上記ウォーナーとのインタビューの他にも「明治のワグネリアン」(竹中亨)、「バイロイト音楽祭~21世紀のマエストロたち~」(舩木篤也)、「愛か、本能か?」(山本大輔)、「ドイツの巡礼地を訪ねて」など、公演終了後でも、その感動の余韻に浸る時間をタップリと提供してくれています。

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