二期会公演「サロメ」

6月に入ってから上野にばかり出掛けていますが、昨日は二期会のオペラ、サロメの初日を楽しんできました。このあと6・8・9日と3公演が予定されています。キャストは二組。
登場人物が多いオペラで、今回は初日の配役全てをリストアップしましょう。名前をタイピングするだけで疲れてしまいます。タイプ・ミスがあったら指摘してください。

リヒャルト・シュトラウス/歌劇「サロメ」
 ヘロデ/今尾滋
 ヘロディアス/池田香織
 サロメ/森谷真理
 ヨカナーン/大沼徹
 ナラボート/大槻孝志
 ヘロディアスの小姓/杉山由紀
 ユダヤ人1/大野光彦
 ユダヤ人2/新海康仁
 ユダヤ人3/高柳圭
 ユダヤ人4/加茂下稔
 ユダヤ人5/松井永太郎
 ナザレ人1/勝村大城
 ナザレ人2&奴隷/市川浩平
 兵士1/大川博
 兵士2/湯澤直幹
 カッパドキア人/岩田健志
 死刑執行人/仲川和哉
 エジプト人&召使/須藤章太、山田貢央
 カッパドキア人2/石川修平
 管弦楽/読売日本交響楽団
 指揮/セバスティアン・ヴァイグレ
 演出/ヴィリー・デッカー

私がナマでサロメの舞台に接するのは、確か3度目。びわ湖で見たカロリーネ・グルーバー/沼尻竜典コンビと、二期会の前回公演ペーター・コンヴィチュニー/ステファン・ゾルテスの舞台に続くもの。最初に断言してしまえば、本格的且つ納得の舞台は三度目の正直で実現しました。
グルーバー演出は、一言で言えば「サロメの夢」がコンセプト。7枚のヴェールの踊りではヘロデ一家のバドミントンが始まる無茶な演出で、グルーバー女史には盛大な「ブー」が掛かりました。
一方コンヴィチュニー演出はと言えば、こちらは「核シェルターからの脱出」がテーマかな? 台本は完全に無視され、改竄と捏造の山また山。コンヴィチュニーにも猛烈な「ブー」が浴びせられていましたっけ。

ということで、私にとっては何とも相性の悪いサロメでしたが、今回が3度目となる二期会プロダクションによる演出は、ハンブルク州立歌劇場の定評ある舞台をそのまま持ち込んだ共同制作。ヴィリー・デッカーの演出はハンブルクで1995年にプレミエを迎え、以後も定期的に登場している「古典」とも言える名舞台だそうです。
デッカーと言えば、数年前に同じ二期会で「トリスタンとイゾルデ」を見たばかり。シンプルな中にもデッカーならではの視点があり、個人的には信頼できる演出家でもあります。因みにデッカーと二期会は「イェヌーファ」でもコンビを組んでおり、私は見たような記憶がありますが、思い出せません。
また二期会のサロメは、2000年4月に新国立劇場で上演されたものが最初だそうで、エヴァーディングの演出で指揮は若杉弘。これは見ていません。今回のプログラムの最後に詳しいキャストが掲載されていました。

オペラと言うとどうしても演出に触れないわけにはいきません。初日の感想文に詳しく書いてしまうとネタバレになりますが、本演出のポイントはプログラムにデッカー本人が一文「心を凍らせる場」を寄せていますから、早目に文化会館入りし、じっくりとプログラムを読んでおくことをお勧めします。舞台写真も掲載されていますから、あらかじめ頭に入れておくことが理解の手助けになるでしょう。
とは言ってもデッカーの文章は難解。これを参考に見たままの感想を記すことにしました。

幕が上がると、舞台前面に巨大な階段が出現します。これを囲むように両側から壁が迫り、床面とで三角形を作る。この造形、そう、トリスタンとイゾルデでも使われていましたね。壁が真っ直ぐではなく、若干の角度を持っているのは、見る人に不安定感とか、どこか不安な気持ちを抱かせる。
階段の真下、舞台のほぼ中央が隠れていて、ここは台本にある「古井戸」ということでしょうか。
デッカーが言うとおり、階段は滞在する場ではなく、通り過ぎる道。落ち着いて留まることが出来る確固とした地が無く、その不安定な感覚が、作品の基本的状況を表します。

更にデッカーの言葉を続ければ、この演出では極力「色彩」が排除されています。サロメの魅力が色彩にあるという定説を払拭することを意図した由。
舞台全体の色調、登場人物の衣裳の色、使われる小道具などは全て灰色、青白い色などが使われ、確認できた原色は死刑執行人の被る真っ赤な帽子だけだったのじゃないでしょうか。その分、死刑執行が強烈なインパクトとして記憶される。

デッカーが従来のサロメから払拭したかったもう一つが、装飾的で異国的なもの、そして淫欲という月並みなイメージ。これを端的に表しているのが、サロメはもちろんのこと、ヘロデもヘロディアスも髪が無い。ヘロデとヘロディアスは銀色の王冠を被っているのですが、サロメはほとんど全編に亘って丸坊主のまま。髪こそが女性の象徴であり、敢えて言えば淫欲にも通ずるのでしょうが、これを排することでデッカーの意図が伝わってくるのでした。
とは言ってもサロメはサロメ、シュトラウスのオーケストレーションは色彩そのもの。舞台とオーケストラの響きとのギャップが、デッカー演出の最大のキモじゃないでしょうか。

前回体験したトリスタンでは演出の細部にも拘りが見られましたが、サロメでも同じ。
いくつか気付いたことを列記すると、ナラボートが自殺に用いた短剣が、オペラの最後、サロメが自害する時にも使われる。この短剣、サロメがヨカナーンを口説く時にも小道具として使われますが、この過程でサロメがヨカナーンの首を所望するアイディアを生んだ、とも解釈できましょう。
また、ヘロデが登場してサロメに宴席に戻るよう指示し、その際に果物を一口食べてくれれば残りは自分が食べる、という台詞があります。その果物を載せている銀色の盆が、最後にヨカナーンの首を乗せる盆として登場する。

この辺り、演出家の意図が完全に理解できたわけではありませんが、デッカー演出を楽しむためのキーポイントである、ということだけは判りました。
最初に演じられるナラボートの自殺は、最後のサロメの自害とペアになっている。だからデッカーは、最後にサロメを兵隊たちに殺害させなかったのでしょう。一度見ただけで全てが理解できるような舞台ではありませんが、また見たい、もう一度確認したいと思わせるに十分なサロメでした。

タイトルロールを演じた森谷真理。私は多分初体験ですが、また素晴らしいソプラノが出てきました。夜の女王で鮮烈なメトロポリタン・デビューを飾った逸材だそうで、サロメも圧巻の歌唱と演技で客席の喝采を攫いました。
ヴェテランの池田ヘロディアス、大沼ヨカナーン、今尾ヘロデも存在感タップリ。脇役、というには重要な配役にも、例えばトリスタンで舵取りを歌った勝村がナザレ人で、水夫の声の新海もユダヤ人で登場。デッカー演出の体験者でもありました。あのトリスタン、大沼徹はクルヴェナルで、今尾滋もメロートとして参加していましたよね。

しかし、今回のサロメでの最高の立役者は、ヴァイグレ指揮する読響でしょう。デッカーが敢えて排除した色彩を、ものの見事に観衆に感じさせてくれた真に雄弁な演奏は、改めてシュトラウスのゴージャスな音響を実感させてくれました。
ヴァイグレはフランクフルト歌劇場の監督として、シュトラウスは得意中の得意。シュトラウスを聴かずにヴァイグレを語ることなかれは、ヴァイグレを聴かずにシュトラウスを語ることなかれ、と言い換えられるかもしれません。一音一音に全て意味がこめられ、作品全体を見通す表現の的確なこと。
既にヴァイグレは同じ二期会・読響でばらの騎士を上演していますし、これからの首席指揮者としての任期中にエレクトラ、アリアドネ、影の無い女等々、シュトラウス・シリーズを企画していってもらいたいと熱望しましょう。

会場で販売されているプログラム、デッカーの演出ノートの他に、もちろん音楽面から(沼野雄司氏による楽曲解説と、広瀬大介氏によるシュトラウス研究の現在)、文学面から(大鐘敦子氏へのサロメ文学に関するインタヴュー)、そして美術面から(木村泰司氏への3人の画家が描いたサロメ像に関するインタヴュー)と興味津々の記事満載。一冊千円は安過ぎでしょ。
サロメ開幕前だけでなく、終わってからもたっぷり楽しめるプログラムです。

恒例のカーテンコール、次々と出演者が喝采に応え、最後はウィリー・デッカー本人も登場。会場からはスタンディング・オヴェーションとブラヴィ~の歓声こそ盛大にかかりましたが、ブーは一切ありませんでした。納得のサロメです。

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