二期会公演「ルル」
今年は例年以上に音楽会に出掛けた夏でしたが、その締め括りとして8月最後の日、31日に二期会のベルク「ルル」を鑑賞してきました。会場は、二期会のオペラ公演としては珍しく新宿文化センター。
新宿文化センターは確か新宿区民の要望として建設された文化施設で、大編成のオーケストラ作品が上演できるホールとして時々聴いてきました。拙宅からはやはりJR新宿駅が利用し易く、あの緑道を15分ほど歩いて行く、チョッと不便な立地ではあります。
このホールでのオペラ公演で印象に残っているのは、開館して間もない1980年3月のベルリン国立歌劇場公演で、ヘンデルの「ジュリアス・シーザー」をペーター・シュライヤーの指揮で聴いたこと。テオ・アダムの凄い声を堪能したものでした。
もしかしたら文化センター・オペラはそれ以来かも、などと思い出しながらホールに入ります。緊急事態宣言下、平日のマチネーとあって客席は疎らかと思いきや、私共がゲットした1階席はほとんど満席状態でした。
今回の「ルル」は二組のキャストによる3公演。私が見たのは森谷真理組の二日目で、最終日でもありました。キャストは、当初予定していたシェーン博士の宮本益光が体調不良のため降板ということで、次のメンバー。
ルル/森谷真理
ゲシュヴィッツ伯爵令嬢/増田弥生
劇場の衣裳係、ギムナジウムの学生/郷家暁子
医事顧問/加賀清孝
画家/高野二郎
シェーン博士/加耒徹
アルヴァ/前川健生
シゴルヒ/山川浩司
猛獣使い、力業師/北側辰彦
公爵、従僕/高田正人
劇場支配人/畠山茂
ソロダンサー/中村溶
管弦楽/東京フィルハーモニー交響楽団
指揮/マキシム・パスカル
演出/カロリーネ・グルーバー
装置/ロイ・スパーン
衣裳/メヒトヒルト・ザイペル
照明/喜多村貴
映像/上田大樹
舞台監督/村田健輔
今回の「ルル」は2幕版での上演。私にとっては二度目のルル体験になりますが、前回はやはり二期会公演で、2003年日生劇場、沼尻竜典指揮・佐藤信演出の3幕版でした。
他にルルと言えば、3幕版の世界初演となったブーレーズ指揮パリの映像も見ましたし、去年アーカイブ配信で見たウィーン国立歌劇場のヴィリー・デッカー演出も3幕版でしたっけ。2幕版では専らカール・ベーム指揮の録音でお世話になってきました。
今回は何故2幕版か、と言えば、事前に日本アルバン・ベルク協会が提供してくれたユーチューブでカタリーナ・グルーバーが語っていることが全てでしょう。
彼女は4点ほど挙げていましたが、第1にヘレーネ・ベルク未亡人の遺言、第2には準備時間の制約と上演の困難さ。これについては海外の歌劇場との共同制作を模索する中で、ヨーロッパではアンサンブル劇場が減っているという現実があり、それらの劇場でゲスト歌手を呼べばコストがかかるという点も考慮された由。そして最後に、最近のドイツではベルクが書いた音楽のみを求める真正さが主流であり、2幕版の上演機会が増えているという興味深い話も聞くことが出来ました。
グルーバーの演出は、びわ湖のサロメでも体験したように、登場人物の原点を探りながら歌手たちと共同で舞台を作り上げていくスタイル。今回のルルでも彼女の意図は明確に伝わってきましたし、事前にネットなどで情報が得られるのも、時代の変化と言えそうですね。
ホールに入ると、舞台下手にティンパニ以下の打楽器がずらりと並べられているのが目に入ります。そもそも専門のオペラ劇場じやありませんから、オーケストラ・ピットは囲いが低く、1階席でも指揮者だけでなくオーケストラのメンバーが良く見渡せます。
大編成のオーケストラではピットが狭く、打楽器群は入りきらずに舞台下手にはみ出さざるを得ない、というのが現実でしょう。しかしこれが却って効果を生み、大音量の箇所では迫力満点の奏者たちのパフォーマンスが目に飛び込んでくるし、音響的にも現代作品に相応しい鮮明さが獲得できていたと感じました。
プロローグは、よくあるように猛獣使いがピエロの格好をした打楽器奏者と共に登場するのではなく、紗幕越しに今回の目玉でもある上田大樹の映像を伴って演じられる。上田の映像は、やはり第2幕の間奏曲、ルルの脱獄を見せる映画が単なるドキュメントではなく、息も吐かせぬテンポと豊かなファンタジーによって聴衆を魅了してくれました。
これに続く第1幕は画家がルルの肖像を描いている場面で始まりますが、どの演出でもルルの肖像画が演出上の重要なツールとして扱われます。今回のグルーバー演出では、ルルの肖像としてマネキンの人形が使われているのが特徴でしょう。
ルルがどういう人間なのかは、誰も知らない。そのルルの原点は、何の飾りも無いマネキン。この肖像に、登場人物たち夫々が抱いているルルの姿を投影していく。ルルがネリー、エヴァ、ミニョンなどと呼ばれるのがその根拠です。
従って、登場人物の数だけルルを意味するマネキンが必要となる訳で、それが良く解るのが第2幕でした。この幕では中央の舞台を取り囲むようにいくつもの小部屋が仕切られており、そこに一体づつのマネキンが置かれ、アルヴァ、シゴルヒ、力業師、ギムナジウムの学生、従僕などが思い思いのルルを投影している。女性であるゲシュヴィッツ伯爵令嬢も男たちと同様で、自分が思い描いているルルを想定し、ルル本人を人間としては見ていないことが象徴的に示されるのでした。
このマネキンに魂を与えるのが、グルーバー演出独特のソロダンサーの登用。歌手のルルと常に同じ衣装で登場し、時々でルルの心情を表現する舞が舞われる。
これが最大の効果を発揮したのが、第2幕の後で幕が下ろされることなく演奏された「ルル組曲」からの2曲、変奏曲とアダージョでしょう。舞台には倒れ込んだアルヴァが残るだけ。先ず変奏曲では歌手のルルが着ていた衣装を脱ぎ捨てて下着姿になる。これは、ルルがこれまで覆われていた登場人物たちの妄想(投影)をかなぐり捨ててルル自身の原点を見せる、という意味だろうと解釈できます。
そしてこれを引き継ぐのが、ダンサーのルル。アダージョに乗ってルルの魂、その悲しみを表現していく。最後に二つのルルが重なり合うのは、これまで解釈されてきたファム・ファタールとしてのルルと、反対に被害者としてのルルとの二面性を表現しているのか、とも思われるのでした。
ルル組曲からの2曲は、公演全体を見事にまとめ上げた指揮者マキシム・パスカルの指揮姿も見もの。恰も舞うが如くに指揮棒を使わず、両の手だけでオーケストラからしなやかで繊細、かつダイナミックな音楽を引き出して見せた手腕は、これに見事に応えたオーケストラ共々、今公演の最大の立役者だったかもしれません。
パスカルは今年の初め、やはり二期会の演奏会形式公演「サムソンとデリラ」で初めて接しましたが、あの時以上に作品に寄せる想い入れが強く、改めてベルクの音楽の真髄に触れたような印象を持ちました。
ルルを熱唱した森谷真理は、これを最後に二期会を離れるそうな。彼女が二期会に残した置き土産という意味でも、感慨深い舞台として記憶されることでしょう。
今回のプログラム誌もカロリーネ・グルーバー自身による演出ノートを初め、沼野雄司氏の楽曲解説、長木誠司氏のルル上演史、酒寄進一氏の劇作家ヴェーデキント論など、読み出のある永久保存版。とても開演前、25分間の幕間に読み切れるものではなく、後でゆっくり拝読することにしましょう。
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