名古屋フィル・第363回定期演奏会
厳戒態勢の東京を避けて、昨日は行ってきましたねぇ~、名古屋です。大手術をした義兄のお見舞いが目的ですが、序に名フィルの定期を覗きます。ホントかぁ~、と言われそうですが、ホントですよ。
年に2度ほどありますが、これから年内一杯は個人的に広上月間に入ります。いや3度位はありますかね。
名古屋を皮切りに、京都、札幌、東京と・・・。
超大国の大統領がスタンディング・オーヴェイションに迎えられている頃、品川を発って名古屋へ。名古屋は家内の実家なので、感覚としては山手線の延長。自由席を買ってホームに入ってきた「のぞみ」に飛び乗ります。
それにしても出がけの風の強かったこと!! これが今日のキーポイントになろうとはお釈迦様でも気が付きませんでした。
バックス/交響詩「11月の森」
ブルッフ/ヴァイオリン協奏曲第1番
~休憩~
グリーグ/劇音楽「ペール・ギュント」組曲第1番・第2番
指揮/広上淳一
ヴァイオリン/ポリス・ベルキン
コンサートマスター/日比浩一
愛知芸術劇場コンサートホールで名古屋フィルハーモニー交響楽団を聴くのは三度目です。今年は2月に続いてのリピート。
プログラムは見ての通り、如何にも広上らしい選曲です。
そもそも名フィルは毎シーズンにタイトルを付けています。今シーズンのテーマは「四季」。各回ともその季節に合わせた内容の作品が選ばれます。もちろん常任指揮者ティエリー・フィッシャーの意向でしょうが、具体的な作品まではどうなんでしょうか。
ということで冒頭は「お題」に叶うバックス。実はこれこそが名古屋行を決意させた一曲でもあるのですが、バックスにはチョッとした思い入れがあります。
時代はLPがCDに切り替わり始めた頃、日本のレコード屋さんの品揃えに物足りなさを感じていた私は、海外からレコードを個人輸入することを始めました。
その最初の購入リストにあったのが、BISのトゥービンとシャンドスのバックスです。
バックスのロマンティックな音楽と独特の暗い響きに惹かれ、勝手に日本バックス協会を立ち上げて会長兼小遣いに就任したものです。もちろん会員は私一人ですよ。
長らくバックスをナマで聴ける日を夢見てきましたが、名フィルのプログラムにこれを見つけた時は吃驚仰天したものです。しかも指揮するのが広上淳一。こういう時の気持ちを英語で「欣喜雀躍」と言います。もちろん嘘です。
ということでバックスですが、録音では良く聴くもののスコアを見たことはありません。カーマス社のカタログに載ってはいますが如何にも高価。今回の演奏には楽譜予習無しで臨みました。
バックスはストラヴィンスキーの一つ年下、1883年の生まれです。イギリス音楽で言うと、エルガー(1857)、ディーリアス(1862)、ヴォーン=ウィリアムス(1872)、ホルスト(1874)に次ぐ世代と覚えておけばよろしい。
交響曲は全部で7曲ありますが、「11月の森」は第1交響曲を書く前、1917年の作品です。
初めてナマで聴くバックス、耳の記憶を思い出しているうちに終わってしまう、あっという間の20分でした。
ほとんど知られていない作品ということもあるでしょう、演奏は広上レヴェルから見ればウォーミングアップという感じだったでしょうか。
続いて広上の盟友ベルキン登場。確かグァルネリ・デル・ジュスだと思いますが、弦をアルペジオ風に掻き鳴らしながらの出。最早ヴィルトゥオーゾという風格さえ漂ってきました。
広上が全幅の信頼を寄せるベルキン、ベルキンと言えば広上というほどに息の合った二人。ブルッフは冒頭から広上節、いやベルキン・スタイルが全開です。
オケとソロの丁々発止。暫くしてオーケストラだけが奏するテュッティなど、まるで暴風雨が吹き荒れんばかりの激しさ。その圧倒的な迫力に思わず仰け反るほどの素晴らしさです。
これと見事に対照をなす弱音部の繊細なこと。僅かな弦のタッチが息を呑むばかり。これに触れたくて指揮者・広上を追い続けることに改めて納得しましたね。
最後のグリーグも広上ならでは。オーゼの死における切々たる嘆き。軽妙洒脱なアニトラの踊り。息を吐くのも憚れるほど精妙なソルヴェイグの歌。
最後が消えるように終わるコンサート、これこそが広上の最も得意とするエンディングなのです。
ここで思い当ったのが、プログラムの繋がり。それは「風」。
バックス作品は所謂表題音楽ではありませんが、プログラムの曲目解説(名古屋音楽大学教授・西崎専一)にも書かれていたように、冬の森を吹きすさぶ風を感じさせます。
グリーグでは「ペール・ギュントの帰郷」で船を襲う嵐の激しさが描かれますね。
そしてブルッフ。オーケストによる総奏の激しさは正に暴風雨。確か指揮者としても活躍したブルッフは、一時期リヴァプールの音楽監督でした。この期間、イギリスの暗い気候や雨には耐えたものの、激しい海風には我慢がならず、遂にはドイツへ逃げ帰ったという逸話を聞いたような覚えがあります。
出がけの激しい風を思い出し、もちろんこじ付けではありますが、今日のコンサートは「風繋がり」ということにしておきましょう。
カーテンコールの三度目でしたでしょうか、広上がステージに向かったあと係員がドアを閉めてしまいました。あれっ、何かやるのかな。
拍手を制したマエストロ、話し始めたのは名古屋フィルとのハートフルな思い出。
彼がまだ修業時代、見習いとして育ててくれたのが名古屋フィル。当時は未だ24歳、その時の先生であり師匠であった外山雄三氏が51歳。
それから艱難辛苦如何ばかり、漸く一人前になった自分は今51歳。“生きてて良かった!” 。
をいをい、って話でしたが、これで帰っちゃ怒られます。アンコールは同じグリーグの二つの悲しき旋律から「過ぎにし春」。
名フィルの見事なアンサンブル、特にオーゼの死、ソルヴェイグの歌、過ぎにし春で聴かせた美しい弦楽合奏は第一級の素晴らしさでしたよ。
また良いプログラムを探して聴きに来にゃいかんがねぇ~。
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