日本フィル・第624回東京定期演奏会
日本フィルの10月定期は、数年ごとに日本フィルの指揮台に立っている尾高忠明です。データによれば13回目の定期登場。今回のような曲目、昨今の氏の活躍ぶりから考えるに、マエストロサロンが無くなってしまったのは真に残念な気がします。新国立劇場のスタンスなどを含め、個人的に聞きたい話題がたくさんあったのに、ねぇ。
フランスものと英国ものを組み合わせた今回の曲目、ラヴェル以外はマエストロからの要望だそうで、これまで以上に気合いが入った指揮に大満足の一夜でした。
以下のプログラム、
オネゲル/交響詩「夏の牧歌」
ラヴェル/バレエ組曲「マ・メール・ロワ」
~休憩~
ウォルトン/オラトリオ「ベルシャザールの饗宴」
指揮/尾高忠明
バリトン/三原剛
合唱/晋友会合唱団
コンサートマスター/扇谷泰朋
フォアシュピーラー/江口有香
ソロ・チェロ/菊地知也
最初から個人的な話になりますが、冒頭のオネゲルも、メインのウォルトンも私がナマで初めて接したのは旧日本フィルの定期でした。もちろん両曲とも故渡邉暁雄氏の指揮で、細かいことは忘却の彼方ですが、特にウォルトンは大変に感激した記憶があります。
オネゲルも、当時は弦の首席ポストにボストン交響楽団の交換メンバーが座っていて、その演奏光景を昨日のことのように思い出します。
諸々の記憶が詰まったオネゲル、40年以上前は冒頭のホルンにヒヤヒヤしながら耳を傾けたものですが、最近の日本のオケは実に巧くなったもんです。管楽器はフルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット、ホルンが各1本づつという編成ですが、この日は真鍋/松岡/伊藤/木村/福川と、日フィルを代表する名手たちが見事なソロを聴かせました。
オネゲルの描く夏は、今年の猛暑のような猛威ではなく、爽やかな田舎の夏の朝の情景でしょう。
三部構成の中央部(速く、喜ばしく)でクラリネットが「ソミファソドーシラソファミーソファミレドーソー」(移動ド)という美しいメロディーを吹きますが、私はオネゲルがベートーヴェンの田園「ミファラソーファミレソドーレミファミレー」(これも移動ド)を意識していると思いました。
弦の伴奏するリズムを、ヴィヴァルディそっくり、と感じた人もいましたっけ。
自ら望んで選曲した尾高、オケから静謐な響をひき出し、特に弱音の美しさは特筆モノでした。
続くラヴェル。プログラムの曲目解説(國土潤一)には後に追加したバレエ版から間奏曲を省いた7曲が演奏されると書かれていて期待したのですが、何と演奏されたのは一般的に取り上げられる5曲の組曲版でした。従って演奏された曲順もプログラム誌に掲載されているのとは異なります。
これはオケの事務局?のミスでしょうね。指揮者もプレイヤーも原曲のピアノ連弾曲をオーケストレーションした通常の「組曲」を演奏する積りだったのでしょうが、企画部署では拡大されたバレエとして解説者に原稿を依頼したのだと想像します。行き違いがあったのは止むを得ないとして、なぜコンサート当日になっても誰も齟齬に気が付かなかったのでしょうか。リハーサルだってやっているんでしょ?
初日は何のアナウンスもありませんでしたから親しいプレイヤーにだけは伝えておきましたが、二日目の今日はプレトークもあります。団として何らかの訂正をすべきと思慮しますが、如何。
珍しいバレエ版かと楽しみにしただけに残念でした。
(プログラムに載っている演奏時間29分はバレエ版のもの。組曲版は16分しかかかりません)
以上のミスは別として、演奏は素晴らしいものでした。特にチェレスタの調律はどうしてもジュ・ド・タンブル(この曲に使われるもう一つの鍵盤楽器、何故かプログラムでは落ちていました)とは微妙に音程に狂いが生ずるのだそうで、耳の抜群に良いマエストロを満足させるのに苦労した由。コンサート当日も部品を削って音程調整に時間を掛けたのだそうです。
その甲斐あって「パゴダの女王レドロネット」も「妖精の園」も見事に決まりました。
尤も私のいい加減な耳ではそこまで聴き取れませんが、ね。
そして愈々ウォルトン。私としてはほぼ40年振りのナマ体験となります。
その間、英国音楽に凝ってレコードを聴き漁った時期もありましたし、スコアを手に入れて彼方此方チェックした経験もあります。少しは作品の全体像が見えるようにはなりましたが、やはりマエストロ自身の口から「聴きどころ」を直に伝授してもらいたかったなぁ。
日本フィルとしても久し振りにチャレンジングなプログラム、マエストロの熱意、ア・カペラの男声合唱で始まる音程の難しい合唱を見事に歌い切った晋友会の健闘、二階席の左右に振り分けた2対のバンダ(各トランペット3、トロンボーン3)の劇的な効果、バリトン・ソロ三原の堂々たる歌唱、真摯な客席などあらゆる要素が一つになって大きな感動を呼び起こす名演奏となりました。
日本フィルの演奏史に新たなページが付け加えられた一夜と呼んで良いでしょう。
この曲の演奏時間は35分ほどですが、全曲を聴いた印象では2時間の合唱大作を味わったようにも感じられます。俗に「長さを感じさせない名曲」なる表現がありますが、これは「短さを感じさせない名曲」とでも言いましょうか。
ウォルトンの大作は、聴くだけではなく視覚的にも見所満載です。合唱が“Bring ye the cornet, flute, sackbut ” と唄えば、オーケストラのトランペット、フルート、トロンボーンがすかさずこれに応えるのです。(プログラムの歌詞対訳で sackbut は琴を、竪琴を と書かれていましたが、古代のトロンボーンのことでしょ。)
更に進んで“銀の神を賛美せよ”ではグロッケンシュピールが、“鉄の神を賛美せよ”では鉄床が、“木の神を賛美せよ”ではウッドブロックが、“石の神を賛美せよ”ではムチが鳴らされるという具合。
これは難解さとは無縁のスペクタクルなのです。
それでも長い、と感ずる方は、大きく4つの部分に分かれる交響曲に擬して聴かれればより親しみが感じられるのではないでしょうか。
即ち、冒頭からバリトン・ソロが始まるまでが第1部。バリトンの無伴奏歌唱“バビロンはまさに大いなる都であった”から一旦音楽が大休止するまでのシンフォニックな部分が第2部。先の視覚的に楽しめるのはこの箇所です。
そして再びバリトンの朗誦“そのときそのさなかに”からア・カペラのセミ・コーラス(合唱全体の半分ほどの人数)で静かに静止するまでが第3部。この場面の最初、ベルシャザール殺害を伝える“ slain! ”が合唱団によって叫ばれる(shout)ところにも注目です。
そして最後の全員による狂乱が第4部。このフィナーレの演奏、特にオーケストラと指揮者はメッチャ難しい。
この4つの部分は交響曲の各楽章に看做しても良いでしょうし、人間の感情「喜怒哀楽」にも例えられるでしょう。このオラトリオの場合は哀・怒・楽・喜でしょうかねぇ~。
ということで、ウォルトンの傑作を聴き逃すことの無いように。全体でほぼ1時間半と短か目なコンサートですが、充分に満腹感が味わえる定期です。
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