強者弱者(44)
新年
一日 除夜の鐘鳴り歇みて終夜運転の電車に乗客漸く稀なり。暁に近く市は闃寂として音なし。蓋し此数刻は道路が市民より与へられたる一年一回の休憩時間と知るべし。銀座の朝は昨宵の雑踏にくらべて街頭唯、寂寞たり。山の手はまだきより色めきて賑はし。きらびやかなる武官の制服と、よき人の毛皮の襟巻と紺の香高き書生の晴衣とは神楽坂、四ツ谷伝馬町、赤坂見附、本郷四丁目あたりの明き空気に映えて色あり。新橋南地、北地の夜は暗淡として声なし。唯見る巨怪の如き逓信省の大廈、空を摩して氷の如き星光を遮る処、物あり暗中を走る。微に襟の白きを見るのみ。ゴムの砂を呑むを聞くのみ。河岸の水灯の影にうるみて夜やゝ更けたり。
二日 初荷の景気例に依りて例の如し。戦争以来の慢性病も今日はフト忘れられたるが如し。各座興行始め。昨日は街頭多く官吏、軍人、会社員の廻礼を見、今日は商人の廻礼多きを見る。
三日 元始祭、山の手の邸町、雪釣りしたる松の枝に羽子のかゝれる。電柱に凧のからめる。霜解けの土新しき道をさゝ鳴きしたる鶯のツと横りて生垣の間にかくれたる。其奥にかるた取るよき人の声の洩れたる。新年の興楽漸くにして極みなんとす。
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「歇みて」は「やみて」。現代は「欠」で代用する場合もあるようです。「つきる」とか「なくなる」の意味。
「闃寂」は「げきせき」。しずかでさみしいこと。
「まだき」という言い方はスッカリ使われなくなりましたが、未だ時間が早いのに既に、というようなときに使ったものです。「朝まだき」と言えば思い出される人もいるでしょう。「朝まだきくるすの小野のいと萩につらぬきかくる露の白玉」
「大廈」は「たいか」。言うまでもなく、大きい建物のことですね。
100年前は年賀状などという風習はありませんでしたから、みな直接義理ある方面に年始回りに出掛けたものでした。葉書1本では失礼にあたります。
その年始回りも一日と二日では階層も異なっていたようですね。
三日の「元始祭」(げんしさい)というのは宮中の行事。天孫降臨、即ち天皇の位の起源を祝って天皇自らが執り行う大祭です。1月3日に行うべきもの。現在では2日の一般参賀の方が馴染みある儀式になっているようですが・・・。
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