NHK交響楽団・第1666回定期演奏会

昨日は久しぶりにN響定期を聴いてきました。1月のBプログラム、サントリホールでの定期2日目です。

先ず1月のN響はアクシデント続きだったようで、当初AプロとCプロの指揮者に予定されていたローレンス・フォスターが健康上の理由により来日できなくなり、Aはこの度N響の正指揮者に就任した尾高忠明が、Cはアメリカのジョン・アクセルロッドがピンチヒッターに立っています。

指揮者の交替はかなり前から決定していたようで、当日配布されたプログラムにも変更後の出演者が紹介されていましたが、一昨日と昨日行われたBプロの出演者変更は余程急なことだったようで、そのプロフィールについてはチラシを挟み込むことで対処していました。

その変更とは、ベートーヴェンでソロを弾く予定だったヴィヴィアン・ハーグナーも同じく健康上の理由で来日不能になったこと。急遽大役を引き受けたのが堀米ゆず子でした。
ハーグナーがどんなヴァイオリニストか私は知りませんが、このコンサートを聴いた限りでは変更はラッキーだったと思わざるを得ません。ハーグナーさん、ごめんなさいね。プログラムは、

武満徹/3つの映画音楽
ベートーヴェン/ヴァイオリン協奏曲
     ~休憩~
プロコフィエフ/交響曲第7番
 指揮/広上淳一
 ヴァイオリン/堀米ゆず子
 コンサートマスター/篠崎史紀

ということで、この夜の白眉はベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲でした。
改めて彼女がヴァイオリン界の、いや世界の音楽界の大御所であることを実感した次第。

彼女がブリュッセル在住というのは日本にとっては一種の人材流出でありましょうが、彼女の教育界への貢献も貴重なもの。現に日本からも彼女の門を叩く若手ヴァイオリニストも数多いと聞きます。

広上淳一が事あるごとに彼女と共演してくれるのも我々にとって楽しみなこと。このコンビでは日本フィルとのショスタコーヴィチ(第1協奏曲)、九州交響楽団とのブルッフ(スコットランド幻想曲)、先日京都でのベートーヴェン(三重協奏曲)など、いずれも素晴らしい共演を聴かせてくれました。

彼女のベートーヴェンは若手によくある突っ張った音楽ではなく、フレーズを丁寧に且つ深々と歌っていくもの。ソロとオーケストラは決して「競争」にならず、あくまでも「協奏」に徹するのでした。
その上で醸し出される音楽は正に室内楽そのもの。室内楽というのは音が小さいという意味ではなく、ソロとオケが、ソロと指揮者が互いの音をジックリと聴き合って協奏していく、という意味です。

1回券を手にした私の席は1階20列の右方。このホールでは後ろから数えた方が早いような位置でしたが、ソロ・ヴァイオリンの音は大管弦楽に埋もれることなく、どんなに弱音であっても一音一音が明瞭に聴きとれるのでした。
もちろん彼女が弾くグァルネリ・デル・ジュス(1741年製)の名器もあるでしょうが、広上の絶妙なオーケストラ・コントロールの賜物であることも言を俟ちますまい。

第1楽章の長いカデンツァは定石通りクライスラーを弾きましたが、このカデンツァの後のコーダに入るまでの間のテンポをグンと落とし、最後の5小節のクレッシェンドで一気にテンポを元に戻していく辺り、作品の緊張と開放を物の見事に表現していました。

それは速度を普通より遅めに取った第2楽章の緊張感を、第3楽章ロンドで豊かに謳い上げることで解放感に導くのと同じ。
緩急を自然に、且つ自在に駆使したベートーヴェンの名演と言うべきでしょう。

忘れてならないのは、やはり広上の指揮。協奏曲の伴奏指揮というのは目立たない仕事ですが、有名なマエストロと言われる人でも協奏曲がマトモに指揮できる人は存外少ないものです。
その点で広上は指揮者の中の指揮者、正に巨匠と呼ぶに相応しい仕事をしてくれます。

客席も堀米の渾身のベートーヴェンに敏感に反応。休憩のために会場の照明が明るくなってもなお、彼女をカーテンコールに呼び出すほどの沸き様でした。

緊張と開放、それは最初の武満作品でも同じこと。
この曲は、広上が一昨年の日本フィル定期で取り上げた時に予習としてバシュメット指揮モスクワ・ソロイスツのCDでも聴いていますが、あれは単に楽譜をそのまま音にしただけ。残念ながらそれだけでは武満徹にはならないのです。

この日の広上/N響の弦楽アンサンブルは、オケのやや重めにして暗い響きが作品に見事にマッチ。日本人にのみ可能だと思えるほどに繊細で多彩な「武満ワールド」を堪能させてもらいました。

第1曲の「ホゼ―・トレス」のクールでジャッジーな感覚。第2曲の「黒い雨」はほとんど「弦楽のためのレクイエム」の世界。この緊張感を第3曲「他人の顔」のワルツで開放する振幅の大きさは、このコンサートのメイン・テーマだったのかも知れません。

メインに置かれたプロコフィエフまた然り。
第7は広上では初めて聴きましたが、確か1月の群馬交響楽団でも取り上げたばかり。今後彼の重要なレパートリーに定着するものと思われます。

プロコフィエフ最後の交響曲も、大雑把に見れば緩急緩急から構成された作品。広上の指揮も相変わらず作品の多彩な響きに光を当てつつも、構成をシッカリ見据えた構えの大きな解釈で唸らせます。
ここでは、ラザレフに言わせればプロコフィエフが「書かされた」フィナーレを採用してコンサートを締め括りました。

最後はN響恒例になっている(らしい)、楽員から指揮者への花束プレゼント。

それにしてもN響定期会員はどうしてサッサと席を立つのでしょうかね。恐らく平均年齢が最も高いN響の客層、トイレに駆け込むためとしか思われませんね。

なお、このコンビは23日(土)に同じプログラムで足利公演を行います。会場は足利市民会館。近所の方は是非この二人の素晴らしいコラボレーションを楽しまれることを強くお薦めしておきましょう。

 

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