日本フィル・第654回東京定期演奏会

急に寒くなった首都圏、先週までの暑さが嘘のような空気の中、赤坂のサントリーホールで日フィル定期を聴いてきました。10月は首席指揮者ラザレフ登場、同オケの首席フルート奏者をソリストに迎えて以下のプログラムです。

チャイコフスキー/バレエ組曲「眠れる森の美女」
武満徹/ウォーター・ドリーミング
     ~休憩~
スクリャービン/交響曲第3番「神聖なる詩」
 指揮/アレクサンドル・ラザレフ
 フルート/真鍋恵子
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/江口有香
 ソロ・チェロ/菊池知也

「ラザレフが刻むロシアの魂」と題された東京定期のシリーズ、プロコフィエフ、ラフマニノフに続き今回からはスクリャービンに突入です。
その1回目、滅多に演奏される機会の無い第3交響曲がメインですが、それにしても風変わりなプログラムじゃありませんか。ラザレフの武満というのも珍品でしょうが、それに合わせてチャイコフスキーのバレエ名曲とは・・・。
マエストロ・サロンでもあれば選曲の意図など尋ねたいところですが、今回はそれもならず。最後まで3曲の繋がりは見出せませんでした。ただ想像するに、武満とスクリャービンでは二の足を踏むファンも多いはず。その衝撃を和らげるためにチャイコフスキーが組まれたのじゃないでしょうか。そうとしか説明が付きません。ま、何もプログラムを統一させるのが全てじゃありませんから、次々と出されるレシピを味わえば良いのでしょう。

ということで若干懸念したように、これまでのラザレフの会に比較すれば空席が目立ちます。そんな中でロシア人を多く見かけたのはラザレフ故か。この回はテレビ東京の取材が入るということで、ホワイエにも撮影チームが動き回るのが目に入りました(放送は10月24日とのこと)。一般マスコミも注目する最近のラザレフ/日フィルではあります。

さて何時もの様にバタバタと登場したマエストロ、お馴染みのチャイコフスキーから激烈なスタートを切ります。この組曲は以前にも取り上げており、そのダイナミズムは既に経験済みですが、相変わらず激しいアクションでオケを煽っていました。
「眠れる森の美女」は、初演では概ね評判は良かったようですが、一部不評もあった由。その理由は、バレエにしてはシンフォニックに過ぎるというもの。その伝で行けば、ラザレフの演奏ではバレエ・ファンからは不満が噴出するでしょうね。あれじゃ踊れない、と。

そう、ラザレフはこの組曲(選曲はジロティが行った)をバレエ作品とは微塵も考えていません。完全な「シンフォニー」としてのアプローチです。そもそもチャイコフスキーの交響曲はバレエ風だし、逆にバレエは交響的な響き。両者の堺は曖昧、というのが私の考えでもあります。
当然ながら今回もメロディーを美しく流すようなアプローチとはほど遠く、例えば第2曲(第2楽章と言った方が適切)でヴィオラとチェロがユニゾンで旋律をたっぷり歌わせる所、ラザレフは思わず唸り声を発して“もっと大きく歌って!!”とでも叫ぶよう。
第3楽章の弦楽器の合いの手も、まるで歌詞が付けられているかの如く大きな表情を要求するのでした。有名なワルツにしても、メロディー前半を柔らかく歌わせ、後半は突如としてフォルテに変わる。なるほど譜面を見れば、前半は p なのに対し、後半は piu f と書いてありますね。こんなにハッキリ表情を変える解釈はラザレフの独壇場でしょう。“譜面を見ろ!”ってこと。

続く武満、7月に広上が披露したような「武満ワールド」とは別の世界。キチンと譜面通りに音にして行く。それでも武満独特の世界は充分に出ていました、と思います。アボリジニの絵画に触発されたという「ウォーター・ドリーミング」。水と夢は武満音楽にとって重要な二つのキーポイントでもあります。
4小節目から入ってくるフルートのソロは、「シ・レ・ド・ソ・ファ・シ」という六つの音から成る音階。これが音程の上下を伴って作品中に9回登場します。最後にソロだけが残って全曲を閉じるのも同じ「シ・レ・ド・ソ・ファ・シ」。真ん中に極く短いカデンツァが置かれ、その後にコントラバスの激しいバルトーク・ピチカートが冴え渡る。短い中にも劇的な展開を含む佳曲。

こうしたツボを心得て接すれば、10分強の作品はあっという間の出来事でしょう。それこそが武満の「夢」。真鍋の深く、凛とした音色に暖かい拍手が贈られました。

メインのスクリャービン。皆さんはどう聴かれましたか。
ラザレフ御大は一般的には人気が無い曲を取り上げ、その真価を世に問うという癖、いや使命があるようですね。今回もそうした意欲の表れでしょう。私も第3交響曲をナマで聴くのは初体験でした。

実は折角の機会、手元のCDにNMLの助けを借りて8種類もの音源で予習しました。それでも疑問が残るのがこの作品。先ずは楽器編成が一定しないというのが問題ですね。
今回の曲目解説(大村新氏)に紹介された楽器編成では、打楽器はティンパニの他にタムタムとグロッケンシュピールのみが掲載されています。確かに手元のスコア(ベリャエフのポケット版)にはそうなっていますが、予習したCD全てで、そして今回のラザレフでもシンバル、大太鼓、トライアングルを加えていました。
一般的にはカーマス版が使われることが多いようですが、これはベリャエフ版とは異なるのでしょう。それだけではなく、ティンパニを含めた各種打楽器の扱いは、それこそ各人各様で同じものが二つと無いと言って良いほど。聴けば聴くほど疑問が増すスクリャービンではあります。

楽章数についても二説があるようで、多くのCDは4楽章で解説。冒頭の楽章は全体への序奏で、今回の解説では3楽章説を採用しています。楽章がいくつあるかはさておき、全体は通して演奏される作品。序奏に出るトロンボーンの勇壮な響きが全体のテーマになっていて、全体に何度も登場して耳に焼き付きます。
このトロンボーンに対抗するように鳴らされるトランペットの上行6度も重要。トリスタン冒頭の6度上行を連想させる音程が、如何にもスクリャービンとタチアナ・シリョーツェルとの不倫を暗示するよう。複雑な第3交響曲ですが、不倫の性的悦楽を感じながら聴くのがポイントかな、と感じた次第。

そのように理解すれば、各楽章にフランス語で付けられたタイトル、「闘争」「快楽」「神聖な遊戯」も耳に馴染もうというもの。スクリャービンの手に罹れば、○○も神聖な遊戯に変貌するのですな。
チョッと危ない夜を体験、というのがスクリャービンを味わう極意じゃないでしょうか。

ラザレフの演奏は、予習を重ねた様々なモノに比べれば最もマトモで、説得力に富んでいました。打楽器の扱いも比較的大人しい範囲でしたし、最後のミス拍手を誘う様な終結部も無事に通過。終わってから客席に親指を立てて、“よくやった!”と意思表示をしたのも、フライング拍手が無かったことへの感謝だったのでしょう。
貴重な体験のスクリャービン、それでも謎の残るスクリャービンでした。

お終いに予習盤から傑作なものを二つ紹介しておきましょうか。
上記終結部の処理について、一つはギーレン盤。これは何と、最後の二つの和音をカットしています。これはスタジオ録音ですから、あるいは編集の段階で最後を落としてしまった可能性もあるでしょう。
もう一つはロジンスキー/NBC響のライヴ。カットだらけの演奏の上、最後は全休止の個所にショスタコーヴィチの第5から採用したと思われるティンパニの連打を追加。これは笑うしかありません。ほとんど暴挙ですが、つい先日まで皆が扱いに苦慮してきた交響曲であることが偲ばれましょう。時代は変わったのだ。

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