英国競馬1960(4)

前回の続きで、1960年英国の牡馬クラシック戦線の最後、セントレジャーを概観しましょう。

さてダービーは様々なアクシデントに見舞われながらもセント・パディ St Paddy の圧勝で幕を閉じました。
しかしながら競馬マスコミは、この年の3歳馬のレヴェルに対して一斉に疑問を投げかけます。セント・パディは質の落ちる3歳馬の中で頂点に立っただけではないか、と。

先ずダービー4着のオーロイ Auroy がロイヤル・アスコットで行われたキング・エドワード7世ステークスに出走しますが、6着までにも入れずにフランスのエイトラックス Atrax に惨敗。
続いてダービー2着のアルカエウス Alcaeus もアイルランド・ダービーでシャムール Chamour に1馬身の完敗。

エプサムで5着だったプラウド・チーフテン Proud Chieftain は9頭立てのエクリプス・ステークスで8着と凡走、止めはセント・パディ自身もグッドウッド競馬場のゴードン・ステークスで、5ポンド負担重量が重かったとは言いながらキプリング Kipling を半馬身捉えることができませんでした。

相次ぐダービー好走組のその後の凡走は、1957年生まれの牡馬の水準の低さを主張する競馬ジャーナリストたちの格好な餌食になってしまったと言えるでしょう。

しかしセント・パディはダービーでの疲労、風邪で調教を休んだなどの悪条件を漸く克服し、セントレジャーのトライアルに相当するヨーク競馬場のグレート・ヴォルティジュール・ステークスで見事に復活します。手古摺りながらもアポッスル Apostle に4分の3馬身差を付けての優勝。

これで復調したセント・パディにとってセントレジャーでの死角は、スタミナだけと考えられました。母は5ハロンにしか勝鞍が無く、父オリオールのセントレジャーでの敗因がスタミナ不足にあったのも事実です。
しかしオリオールは折り合いの難しい馬で、セントレジャーではその為にスタミナを消耗したというのも事実でしょう。
何よりセント・パディはダービーを楽勝し、春の時点より馬が成長したことで気性面も遥かに改善されたという強みもありました。陣営ではペースメーカーとしてオフ・キー Off Key を出走させてペースを作り、万全の態勢で最後のクラシックに臨みました。

結果はセント・パディの楽勝。2着にはダービー2番人気のダイ・ハード Die Hard が食い込みましたが、勝馬とは3馬身の差が付きました。ダービーに続いてセント・パディの手綱を取ったピゴットが最後は馬を押さえましたが、マトモに走っていれば5馬身差はあったというほどの楽勝劇。
2着と3着ヴィエナ Vienna との差は、1・2着の差以上に離れたもので、セント・パディは文句なく同世代のチャンピオンであることを証明して見せました。

以上が1960年の英国クラシック戦線の結果です。

セント・パディは4歳も現役に留まり、古馬の代表としてエクリプス・ステークスなど重賞に3連勝しますが、キング・ジョージでは一つ下の世代であるライト・ロイヤル5世 Right Royal Ⅴ に完敗します。
やはり1960年のクラシック世代は平均的なレヴェルだった、と言えるのではないでしょうか。

種牡馬となったセント・パディはセント・チャド St Chad 、コンノート Connaught 、ウェルシュ・セント Welsh Saint 、パッチ Patch などを出しますが、オリオール直系を含めて、今日では絶滅状態になっていますね。
日本ではジャパン・カップのジュピター・アイランド Jupiter Island がお馴染ですが、これも懐かしい存在になってしまいました。

前回も少し触れましたが、この世代の牡馬には日本で供用された馬たちが少なからず活躍しました。最後に彼らの日本での活躍をザッと振り返っておきましょう。

ヴェンチャーは(1)で紹介した通り。

セント・パディ自身は、持込でサチタローが活躍した程度。関西馬で、瀬田特別と御池特別に勝ちました。

ダイ・ハード(日本ではダイハード)は彼らの中では最も成功し、ダイパレード、ムオー、キタノダイオー、ハードウェイなど重賞勝馬は枚挙に暇がないのですが、ダービー2着のインターグッド、菊花賞2着のタマホープ、桜花賞2着・オークス3着のスイートフラッグなど、父に似てクラシック惜敗組が多いのが面白い所。

オーロイは何と言ってもカブトシローでしょう。天皇賞と有馬記念でアッと言わせた名馬? ですね。

タルヤートスは現役引退後直ぐに輸入された馬で、英国には産駒がありません。エプソム、シードラゴン、ゲンカイなどを思い出す人もおられるでしょうが、クラシックでは皐月賞2着のホウゲツオー、桜花賞2着のホマレマツが僅かに名を残すだけ。

チューダ・ぺリオッド(日本ではチュダーぺリオッド)も現役から日本直行組で、競走成績よりは種牡馬として成功しましたね。晩年に菊花賞のハシハーミットを出しましたが、他にもライトワールド、ハマノパレード、タケクマヒカル、ヒカルジンデンなど、古馬になって本格化した馬が多いのが特徴。

アポッスル産駒もクラシック・レースには縁無けれども、アポオンワード、ワカシオ、タフネス、スズノツバサ、アポスピードなど、そこそこ活躍していました。

ダービーには出ませんでしたがエイトラックス(本当はアトラスと読むべきか)も1963年産馬から日本で活躍し、ミドリエース、ファイナホープ、ブラックスワン、シネマゴーストなど。と言っても余りにもマイナーかな。

以上、長々と日本競馬史も含めて回顧しましたが、この世代の馬たちは競走馬としても種牡馬としても最高級のクラシック世代とは呼べなかった、というのが正直な実態でしょうか。

 

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