英国競馬1960(5)
50年前の英国競馬、最後にクラシック・レース以外の大レースも簡単に振り返っておきましょう。
先ず英国最大のチャンピオン決定戦であるキングジョージ6世・クイーン・エリザベス・ステークスは、伏兵アグレッサー Aggressor が大本命のプチット・エトワール Petite Etoile に半馬身差を付けて優勝しています。
この日は重馬場で、やや距離に疑問があったプチット・エトワールを余りにも後方から進め、直線でも一旦内を衝いて前が開かず、外に持ち出して脚を使い過ぎたピゴットの騎乗振りにも批判が集まりました。
アグレッサーはこの時5歳。クラシック水準にはやや劣る馬でしたが、歳を重ねるごとに成長し、5歳時には能力のピークに達していました。このシーズンもジョン・ポーター・ステークス、ハードウィック・ステークスと連勝して大一番に臨んでいたのです。元々時計のかかる重馬場を大得意にしていた馬ですから、条件がピタリと揃っていたのが幸いしたとも言えるでしょう。
これに先立つエクリプス・ステークスは、フランスから遠征して来た4歳馬のジャヴロ Javelot がアイルランドの3歳馬タルヤートス Tulyartos を抑えて勝ちましたし、10月のチャンピオン・ステークスは既に紹介したように、イタリアの牝馬マルゲリート・ヴェルノー Marguerite Vernaut が二冠牝馬でフランス馬のネヴァー・トゥー・レイトⅡ世を破って優勝しました。
更にロイヤル・アスコットの頂点レースであるゴールド・カップ(当時はまだゴールド・カップが大きな権威を誇っていました)も外国馬の蹂躙するところとなり、優勝はフランスのシェシューン Sheshoon 、2着に元イタリアのエクサー Exar (このときはニューマーケットのマーレス厩舎に転厩していましたが)、3着もフランスのル・ルー・ガルー Le Loup Garou 、4着ベル・バラカ Bel Baraka もフランス馬という英国産馬にとっては惨憺たる結果になってしまいました。
ダービーとセントレジャーはセント・パディ St. Paddy が、キングジョージはアグレッサーが制して何とか面目は保ったものの、2000ギニー、1000ギニー、オークスばかりでなくエクリプス、チャンピオン、ゴールドカップと大レースを次々に海外勢に奪われた英国にとって、1960年は悪夢のような一年だったと言えるでしょう。
フランスに目を転ずると、1960年のフランス・ダービー(ジョッケ・クラブ賞)はシャーロッツヴィル Charlottsville が圧勝、続くパリ大賞典でも同馬の強さはケタ違いであることが証明されました。
実はシャーロッツヴィルとアスコット・ゴールド・カップの覇者シェシューンの母は共にヌーラニ Noorani 。父親の違う半兄弟で、日本の事例ではビワハヤヒデ/ナリタブライアン兄弟を思い浮かべれば良いでしょうか。
両馬の馬主は共にアガ・カーン(現在の)なのですが、1960年はここにも大きなドラマがありました。
先代のアガ・カーンからサラブレッド王国を受け継いだプリンス・アリ・カーンは、前年の英クラシックをタブーンとプティット・エトワールで制し、1960年の2000ギニーもヴェンチャーで2着と飛ぶ鳥をも落とす勢いにありました。
しかし、5月8日に行われたカドラン賞でシェシューンが僅差2着負け。写真判定の結果を見たプリンスは、“私の運命もこれで尽きたか” と呟きます。
その僅か4日後の5月12日、アリ・カーンはパリ郊外で自動車事故に遭遇し、49歳の生涯を終えたのでした。
プリンスはプレイボーイとしても有名で2度の結婚と離婚を繰り返しましたが、二度目の妻は女優としても有名なリタ・ヘイワース。この事故のニュースは日本でも大きく取り上げられたはずです。
社交界に浮名を流したプリンスですが、彼の競馬に関する見識の高さは専門家をも唸らせるものがありました。
父アガ・カーンは金だけにしか興味の無い馬主でしたが、息子アリは血統に関する高い知識と馬を見る目があり、父が売り飛ばした繁殖牝馬をプリンスが買い戻したこともあるほどです。
この馬(後に名牝として知られるスタッファラーラ Stafarralla )からセントレジャー馬テヘラン Teheran が生まれ、父親は息子からテヘランをリースして貰ってクラシック制覇を達成した事実も残されています。
フランスの秋の大一番である凱旋門賞は、プリンスの競馬遺産を相続した若きアガ・カーン(現在のアガ・カーン)の同一所有であるシェシューンとシャーロッツヴィルが圧倒的一番人気を集めましたが、当日は雨の降りしきる不良馬場が災いして両馬ともに完敗してしまいます。
勝ったのは、重の鬼で、同じく不良馬場で行われた前走のフランス・セントレジャーを制したピュイサン・シェフ Puissant Chef 。
以上5回に亘った50年前のヨーロッパ競馬シーン回顧を、この辺で閉じることにしましょう。
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