英国競馬1960(2)

50年前の英国競馬回顧、2回目は1000ギニーとオークスを取り上げましょう。二つのクラシックを同時に扱うのは、同じ馬が勝ったから。つまり二冠馬ですね。

1959年、イギリスの最強牝馬はパディーズ・シスター Paddy’s Sister でした。この馬も牡馬のシング・シング同様に無敗馬で5戦5勝、ジムクラック・ステークスやシャンペン・ステークスなどの重賞を制し、フリーハンデでは9ストーン1ポンドに評価されていました。

しかし残念ながらパディーズ・シスターはアクシデントのために3歳時は出走できず、そのまま引退してしまいます。

全般に英国牝馬が不作の中、1000ギニーで11対8の圧倒的1番人気に支持されたのがフランスから挑戦して来たネヴァー・トゥー・レイトⅡ世 Never Too Late Ⅱ でした。

アメリカのブル・ラン・スタッドで生産され、ハウエル・ジャクソン夫人の所有する美しい栗毛馬。フランスで名伯楽エティエンヌ・ポレによって調教されていました。

父はダービーとセントレジャーに勝ったネヴァー・セイ・ダイ Never Say Die ですが、母グローリア・ニッキ― Gloria Nicky は英国産で、スプリンターを数多く輩出している牝系です。

2歳時にドーヴィルでデビュー、ロンシャン競馬場の重賞であるサラマンドル賞に勝って注目されます。フランス2歳のチャンピオン決定戦に当るグラン・クリテリウムでも、牡馬のチャンピオンであるアンガース Angers に僅か短首差2着していました。

この結果により、ネヴァー・トゥー・レイトはクラシックに勝つ水準は充分にあり、1マイルを克服する能力も証明していました。問題は無事に冬を越したかにかかっています。

ネヴァー・トゥー・レイトは、3歳初戦のアンプルーダンス賞(メゾン=ラフィット競馬場)を圧勝して順調に調整されていることをアピールし、ドーヴァー海峡を渡りました。

そして本番の1000ギニーでも名手ロジャー・ポアンスレを鞍上に、2着レディー・イン・トラブル Lady in Trouble 以下を問題にせず2馬身千切って圧勝します。

実はゴール前で鞍ずれを発生したのですが、2着以下との差が大きく離れていたためにポアンスレ騎手は激しく追うことなく難を免れました。もしコール前で接戦になるような展開であれば、あるいはすんなり勝てなかったかも知れません。

この後はオークスに直行、再びポアンスレの騎乗で1番人気に支持されましたが、今回はやや人気を下げて6対5のオッズ。1000ギニーの圧勝にもかかわらずオッズを下げたのは、牝系にややスタミナ不安があるという評価が囁かれていたからです。

馬場がパンパンの良馬場であったことは、スピードに優れたネヴァー・トゥー・レイトにとっては好条件。父のスタミナと母のスピード、どちらが勝るかは神のみぞ知る、という雰囲気で本番を迎えます。

1960年のオークス、名手ポアンスレにとっては必ずしも好騎乗とは言えず、馬にはかなりの負担を強いる結果になってしまいました。

スローペースで流れた前半は最後方を進み、タテナム・コーナーでも後ろから4番手に付けていたネヴァー・トゥー・レイトは、直線で一気に外から追い上げます。

ゴール手前40ヤード辺りで、先に先頭に立っていた同じフランス馬のパイムポン Paimpont に外から並びかけた時、ネヴァー・トゥー・レイトは左に大きくよれ、結果的に更に後方から追い上げてきたアンベルリン Imberlin (これまたフランスからの遠征馬)の進路が大きく遮れてしまいました。

結局、ゴールではネヴァー・トゥー・レイトがパイムポンに頭差を付けて先頭でゴール、2馬身遅れてアンベルリンが馬をほとんど止めた状態で入線します。

このアクシデントにより、アンベルリンは結果的に3着。当時のルールでは、アンベルリンが2着でない限り勝馬は失格にならず、最終的には入線通りで確定しました。

検量室では激しいフランス語の応酬があり、イギリスの騎手たちは呆気にとられて傍観するだけだったという記録が残っています。

小柄なネヴァー・トゥー・レイトにとってオークスはかなりの消耗戦になり、再び競馬場に姿を現したのは秋のロンシャン、重馬場で行われたオークスと同じ距離のヴェルメイユ賞でした。
ここでも英オークスで死闘を演じたパイムポン、アンベルリンが顔を合わせ、人気もこの3頭に集中しています。

しかし結果は大荒れ、アンベルリンが6着、ネヴァー・トゥー・レイト8着、パイムポン9着(10頭立て)に終わります。ネヴァー・トゥー・レイトの敗因は休み明けとされましたが、そのレース振りはスタミナ不足のようにも見えました。
(ヴェルメイユ賞の勝馬はレズギンカ Lezghinka)

ネヴァー・トゥー・レイトは凱旋門賞には出走せず、再度英国に渡ったチャンピオン・ステークスが最後のレースとなります。

僅かに4頭立ての寂しいレースでしたが、ネヴァー・トゥー・レイトはイタリアから遠征して来た3歳牝馬のマルゲリート・ヴェルノー Marguerite Vernaut に半馬身差の2着に終わりました。
敗因は重馬場と言えるでしょう。彼女のスピードが活きる馬場であれば、恐らくマルゲリート・ヴェルノーに差し切られることはなかったと思われます。

結局、彼女はこのレースを最後に引退、生まれた国であるアメリカで繁殖牝馬となりました。

ネヴァー・トゥー・レイトの生涯成績は9戦5勝2着2回。凡走はデビュー戦(5着)と上に述べたヴェルメイユ賞だけ。様々な要素を考慮すれば、1960年の最強3歳牝馬はネヴァー・トゥー・レイトと評して良いでしょう。

現在までのところ、彼女の直接の子孫からは大レースを制した馬は出ていないようです。日本にも輸入された牝馬もいたと記憶しますが、私が知っている限りでは、ここからも目立った活躍馬は出ていないはずです。

 

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