2010クラシック馬のプロフィール(3)

今回はフランス2000ギニーの勝馬を取り上げます。フランス1000ギニーに勝ったスペシャル・デューティー Special Duty については英1000ギニーで紹介しましたので、そちら(プロフィール2)をご覧ください。

さて最初に馬名の訂正です。私は、Lope de Vega をこれまで英語読み風に「ロープ・ド・ヴェガ」として来ました。どうも教養の無さを暴露するようですが、これはスペインの詩人から採った名前であることに気が付いたのです。
Lope de Vega (1562-1635)は波瀾万丈の生涯を送った詩人で、華やかな女性遍歴でも知られていた由。日本では「ロぺ・デ・べーガ」、あるいは「ローペ・デ・べーガ」と表記されているようですが、私は中を取って、「ロぺ・デ・ヴェーガ」と呼ぶことにしたいと思います。

ここから本題。

ロぺ・デ・ヴェーガ Lope de Vega の血統は、父・シャマーダル Shamardal 、母・レディー・ヴェットーリ Lady Vettori 、母の父・ヴェットーリ Vettori というもの。
例によって母系を辿りましょう。

まず母レディ・ヴェットーリは競走馬としても優れ、フランスで2歳時に5ハロンから7ハロンの距離で7戦5勝、2着1回、3着1回という堅実な成績を残しました。GⅢのカルヴァドス賞に勝った他、2歳牝馬チャンピオン決定戦であるクリテリウム・デ・プーリッシュ(GⅠ、現在のマルセル・ブーサック賞)で3着に入った馬。

ロぺ・デ・ヴェーガは彼女の5番仔に当たります。今年の仏2000ギニー馬に先立つ4頭はいずれも勝馬で、中でも2004年生まれのバル・ド・ラ・ローズ Bal de la Rose (父はカドー・ジェネルー Cadeaux Genereux)は4勝馬。フランスのローカル競馬ですが、3歳時にアンドレ・バボアン賞(GⅢ、2000メートル)というパターン・レースにも勝っています。また母と同様にマルセル・ブーサック賞(2006年)にも出走しましたが、ここは7着に終わりました。

レディ・ヴェットーリの母はレディ・ゴルコンダ Lady Golconda 。この馬の競走成績は不明ですが、娘のロージー・ド・メジェーヴ Rosey de Megeve (2006年生まれ、父・エフィシオ Efisio)がフランスで3勝、今年アメリカで出走したあとそのまま繁殖に上がっています。

ロぺ・デ・ヴェーガの3代母に当たるレディ・シャープ Lady Sharp は、フランスで10戦1勝。競走成績には見るものがありませんが、産駒からはローウェル Lowell とレディ・ブレシントン Lady Blessington がそこそこの活躍を見せました。

牡馬のローウェルは19戦3勝。3勝の中には、ロペ・デ・ヴェーガの姉・バル・ド・ラ・ローズも勝ったアンドレ・バボアン賞があります。このローカル重賞は、よほどロぺ・デ・ヴェーガのファミリーに縁があるようですね。
ローウェルはこのあとニュージーランドで種牡馬生活に入っています。

また牝馬のレディ・ブレシントンは、フランスとアメリカで27戦11勝。フランスのミネルヴァ賞(GⅢ)、アメリカのオール・アロング・ステークス(GⅡ)、ブエナ・ヴィスタ・ハンデ(GⅢ)とパターン・レース3勝の実績もあります。

レディ・シャープの産駒には何故か牝馬が多く、その1頭であるレッド・キャット Red Cat が輸入されたのが日本との繋がりの始まり。
レッドキャット(日本での登録名)の日本での子供たちには未だ名前を後世に残すほどの馬は生まれていませんが、ロードウイザード、ヘイアンルモンド、ダイレクトキャッチ、ポンバルリーナ、ディミータなど、頭の片隅に名前を記憶されている方もあるでしょう。
中では共同通信杯と中日新聞杯で2着したダイレクトキャッチ、桧原湖特別に勝ったポンバルリーナが稼ぎ頭でしょうか。

以上、ロぺ・デ・ヴェーガの牝系を3代遡りましたが、最近では最も活躍しているのがロぺ・デ・ヴェーガ本人と言えましょう。
このファミリー、更に遡れば7代母に名牝ラ・ミランビュール La Mirambule に行き当たります。ラ・ミランビュールは1952年のクラシック世代の最強牝馬で、春はクラシックでは一歩足りませんでした(1000ギニー2着)が、秋に素質が開花し、ヴェルメイユ賞を8馬身差で圧勝したチャンピオンです。

ファミリー・ナンバーは、11-d 。

ところでロぺ・デ・ヴェーガの父、シャマーダルについても簡単に触れたいと思います。

シャマーダルは父がジャイアンツ・コーズウェイ Giant’s Causeway で、2005年のクラシック世代。生まれたときは体が弱く、とても競走馬には育たないと思われていた馬でした。
それが2歳時に3戦3勝、デューハースト・ステークス(GⅠ)を制して2歳チャンピオンの座に座ります。

ここでゴドルフィンにトレード、その血統からケンタッキー・ダービーを目指しますが、ドバイのダービーで大逃げを打ちながら失速して惨敗。目標をフランスのクラシックに定めます。

次走となったフランス2000ギニーをデットーリ騎乗でまんまと逃げ切り、続くフランス・ダービーも見事逃げ切ってクラシック2冠を達成。
血統的に1マイル半のスタミナは疑問視されていましたが、シャマーダルに幸いしたのは、この年(2005年)から仏ダービーの距離が2100メートルに短縮されたこと。実際ゴール寸前ではハリケーン・ラン Hurricane Run の猛追を受けて着差は僅かに首差でした。

シャマーダルはこのあとロイヤル・アスコットでセント・ジェームス・パレス・ステークスを快勝し、GⅠ3連勝を達成します。

しかしエクリプス・ステークス直前、脚部の骨折が判明し、そのまま種牡馬として引退。ロぺ・デ・ヴェーガが初年度産駒。
もちろんシャマーダルにとってロぺ・デ・ヴェーガの仏2000ギニーは、種牡馬としてのクラシック初制覇になります。

ロぺ・デ・ヴェーガが父と同じく仏ダービーにも勝てるか、血統的には微妙なところでしょう。調教するファーブルは大丈夫だといい、騎乗するグイヨンは若干頭を捻っている。
ただ、シャマーダルとロぺ・ド・ヴェーガの違いは、父が典型的な逃げ馬だったのに対し、仔は後方待機で末脚を活かすタイプだということでしょうか。

さてどうなる、フランス・ダービー。

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