強者弱者(111)

杜鵑

 小夜更けて山の手の空に杜鵑の鳴くを聞くこと頻りなり。深山幽谷、木立暗く霧深き処にありては昼もなほ絶えず此鳥の声を聞く可し。春より夏にかけて鶯と其声を競ふ。英の詩人が『アントート、ゼ、ハーモニー』といへりしも思ひ合はされてうれし。近くは日光、天城につきて其幽邃を味ふ可し。
 夜は大都の空に此鳥の声をきく。東京には殊に多し。六月の試験を前に控えて読書に余念なき青年、若くして世に慣れ、人に仕へて身の憂きをかこつ少女、宴闌にして燭にそむき、欄によりて私に物思ふ人、翠帳紅閨の裡、甘睡を欲してならず、千金にかへて一刻の夢を貪らんとする神経衰弱症の人、鳴く鳥の音色はひとつなれど、聞く人の思ひは千戸萬窓、境涯の異るにつれて其差多かりぬべし。
 山の手に藪蚊発生す。

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「杜鵑」は「ホトトギス」。不如帰とも時鳥とも書きます。鳴き声を“テッペンカケタカ”とする聞きなしが有名でしょう。
私は都心で聞いた記憶はありませんが、100年前は山の手には出没していたようです。東京には殊に多いとあるのは意外な感すらしますが。

「英の詩人が『アントート、ゼ、ハーモニー』といへり」という行はよく判りませんが、一つ心当たりがあるのがトーマス・グレイ Thomas Grey の詩。
トーマス・グレイ(1716-1771)はもちろん英国の詩人で、彼の作品に「Ode on the Spring」(春への頌歌)というものがあり、この詩の第7節に“The untaught of Spring”という文句がでてきます。「春の教えられぬ調べ」とでも訳すのでしょうか。
“Untaught the Harmony”とは微妙に違うのですが、他には見つかりませんでした。

「幽邃」(ゆうすい)とは、静かで幽玄な風景のこと。

「闌」は「たけなわ」と読みます。物事の盛りのことですね。

「欄」は「おばしま」と読み、欄干、手摺りのことです。

「翠帳紅閨」(すいちょうこうけい)は、緑のとばりと紅の寝屋。即ち貴婦人の寝室を意味します。

「甘睡」(かんすい)という言葉は辞書には見当たりませんが、要するに甘い眠り、即ち熟睡のことでしょう。甘眠(かんみん)と同じこと。

「千戸萬窓」(せんこばんそう)という表現の出典も不明ですが、千の家と万の窓。つまり数が多く多様だという意味合いだと思います。

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