2011年クラシック馬のプロフィール(3)

シリーズ第3回は、先週末行われたフランス1000ギニーの勝馬を取り上げます。ゴールデン・ライラック Golden Lilac 。
ゴールデン・ライラック(2008年、鹿毛、牝馬)は、父ガリレオ Galileo 、母グレイ・リラス Grey Lilas (2001年、芦毛)、母の父デインヒル Danehil という血統。例によって牝系を見ていきますが、この母娘は実に国際的だということが話題になるでしょう。

先ず本馬ゴールデン・ライラックは、父がクールモアの秘宝ガリレオということから想像できるように、アイルランド産です。オーナーはドイツのゲシュトゥート・アマーランド、調教師はフランスのアンドレ・ファーブルという具合。しかしそれだけではないのです。
ゴールデン・ライラックは2歳時には2戦2勝。サン=クルーの新馬戦(1600メートル)と同じくサン=クルーの条件戦(これも1600メートル)に連勝しましたが、未だこの時点ではクラシック候補としては未知数でした。
明けて3歳、無敗のまま仏1000ギニーの最大のトライアルであるグロット賞(GⅢ、1600メートル)に勝って一躍クラシックの有力馬にのし上がり、本番も1番人気で圧勝したことは既に報告の通りですね。

この成績、実は母のグレイ・リラスを髣髴させるものでもありました。
グレイ・リラスも娘と同じアンドレ・ファーブルが調教しましたが、同じくアイルランド産、成長したのはイタリアの牧場で、競りはフランスのドーヴィルでした。この競りで現ドイツ人オーナーに私的に買い戻されています。
2歳時は2戦し、娘と異なり母は未勝利。ドーヴィルのデビュー戦は6頭立てのシンガリ負け、2戦目はローカルのフォンテンブロー競馬場に出走して2着と全く無名の存在でした。
明けて3歳、グレイ・リラスは4月初めにロンシャンのルーヴル賞(1600メートル)という小レースで初勝利を飾ります。実はこのとき騎乗していたのは、アメリカの名騎手ゲイリー・スティーヴンスでした。2004年のことです。

ここで暫く、ゲイリー・スティーヴンスのことに話題を転じましょう。
スティーヴンスは1963年生まれ、1997年にはアメリカで競馬殿堂入りを果たしたほどの名手で、ヨーロッパ競馬界とも既に密接な関係を築いていました。1988年にはファーブル厩舎のナスル・エル・アラブ Nasr El Arab でサンタ・アニタのオーク・トゥリー・インヴィテーショナルに勝っていましたし、その2年後にはイン・ザ・ウィングス In The Wings でブリーダーズ・カップ・ターフも制しています。
イギリスに目を転じても、1997年と2003年にはロイヤル・アスコットでパターン・レースに勝っていますし、1999年にはマイケル・スタウト厩舎の主戦騎手として活躍していた時期もありました。当時慢性的に膝を痛めていたスティーヴンスは、アメリカのダート・コースよりヨーロッパの芝コースの方が膝に負担を掛けないだろうと考えていたためでもあります。
しかし結果は逆、却って患部を悪くしたスティーヴンスはスタウト厩舎の主戦を3ヶ月で辞し、1999年の末には現役を引退してしまいました。

しかし思うところがあったのか、膝が好転したのか、2000年末には1年ぶりに現役に復帰。再びスティーヴンスの運命は上昇カーヴを辿りはじめます。
いきなりブリーダーズ・カップ・マイルを制し、翌年にはポイント・ギヴン Point Given でプリークネス・ステークスとベルモント・ステークスで2冠を達成。更には映画「シービスケット」で主役のライヴァルであるジョージ・ウルフ騎手を演じた演技力が認められてハリウッドからの出演依頼も舞い込むようになったのでした。

そんな中で世界をアッと言わせたのが、2004年に結んだアンドレ・ファーブル厩舎の主戦騎手契約です。このコンビは、先ずドバイのシーマ・クラシックをポリッシュ・サマー Polish Summer で制し、フランスのシーズンがスタートして最初のフランスでの勝利が、グレイ・リラスでの優勝だったワケ。
グレイ・リラスはそのあとグロット賞にも勝ち、スティーヴンスにフランスでのパターン・レース初勝利をプレゼントします。その後、今年のレポートでも紹介した通り、仏1000ギニーは1番人気で2着、仏オークスは仏1000ギニー勝馬には雪辱したものの3着と惜敗。クラシック・ホースの夢は果たせませんでした。

グレイ・リラスは夏場のドーヴィルに転戦、ノネット賞(GⅢ、2000メートル)に出走しましたが、このレースはスタートの事故があって不成立。しかしグレイ・リラスとスティーヴンス騎手のコンビは、2日後に改めて行われた再戦を制します。実は、これがスティーヴン騎手にとってフランスでの最後の勝利ではなかったのですが、スティーヴンスは帰国を表明。その公式発表があったのは、グレイ・リラスが勝ったその日のことでした。
俳優業が忙しくなったから、アメリカでの騎乗要請が増えたから等々、噂はいろいろありましたが、スティーヴンスとファーブルの関係は解消され、スティーヴンスはアメリカに戻ります。しかし両者の間が険悪になったわけではないようで、10月には再びスティーヴンスはファーブル厩舎の馬(前記ポリッシュ・サマー)でサンタ・アニタに出場しています。

閑話休題。

以上がスティーヴンスとグレイ・リラスの関係ですが、このあとグレイ・リラスは9月に1マイルのGⅠ戦ムーラン・ド・ロンシャン賞を見事に制してGⅠホースになります。スティーヴンスに代わって騎乗したのはエリック・ルグリ騎手。前年まで香港で騎乗していたルグリは、膝の手術のために一時フランスに帰国していたのです。ここにまた一つ、国際的な関係が生じたことになります。

母の話題が長くなってしまいましたので、後は手短に紹介することにしましょう。

グレイ・リラスの初仔はグレイ・リリー Grey Lily (2007年、芦毛、牝、父ボレアール Boreal)といい、ゴールデン・ライラックと同じドイツ人馬主。この半姉は現在まで6戦1勝、ドイツの名調教師ペーター・シールゲンが管理し、ドイツとフランスで主に10ハロンから12.5ハロンで走っているようです。
ゴールデン・ライラックは2番仔。

2代母ケミスト Kemist (1994年、芦毛、父ケンメア Kenmare)は英国でルカ・クマニ師が調教した馬。ミラノの2000メートル戦でデビュー勝ちしましたが、その後は1マイルで活躍し、アスコットのリステッドにも勝ち、ミラノのGⅢ戦(バグッタ賞)で3着の実績もあります。
ケミストの初産駒ステンダール Stendhal (2000年、せん)はフランスで1800メートルまでの勝鞍があり、グレイ・リラスはケミストの2番仔。

その後のケミストの産駒では、フランスで2400メートルに勝鞍があるナイト・デュー Night Dhu (2002年、牝、父モンジュー Montjeu)、同じくフランスで7ハロンに3勝しているシャンボール Chambord (2003年、牡、父グリーン・デザート Green Desert)、セシル厩舎に所属し、イギリスで8ハロンから10ハロンで3勝、ダービーにも出走した(14着)カンダハール・ラン Kandahar Run (2005年、牡、父ロック・オブ・ジブラルタール Rock of Gibrartar)などが出ていますが、グレイ・リラス以上の馬には恵まれていません。

3代母ミストラルズ・コレット Mistral’s Collette (1987年、鹿毛、父シンプリー・グレート Simply Great)はアイルランドでデビューしたあと転売されてイタリアに転厩、9ハロンのリステッド戦に勝った他イタリア・セントレジャーで4着というスタミナ実績も残しています。

このファミリーからはラウザー・ステークスに勝ったキッティーホーク Kittyhawk や、セザレウィッチ・ハンデに勝って障害レースでもトップ・クラスの成績を残したノマディック・ウェイ Nomadic Way も出ています。

基本的には1マイルが適距離というタイプが多いのが事実ながら、配合によっては父馬のスタミナを引き出す能力にも欠けていません。
ゴールデン・ライラックの父は、冒頭に記したようにスタミナ系のガリレオ。これに仏1000ギニーの勝ち方を加味すれば、仏オークスの2000メートルは克服できそうな気がします。ここでも母の無し得なかったクラシック連勝が出来るか否かが見所になりましょう。

ファミリー・ナンバーは、1-e。

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