読売日響・第463回定期演奏会
続け様に日記書きます。でも書いておかなければ・・・。
昨日のコンサート、読売日響の定期のことです。半年振りにサントリーホールで行われた次のもの。
読売日響第463回定期演奏会 サントリーホール
モーツァルト=ブゾーニ/歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲
ルトスワフスキ/交響曲第4番
~休憩~
ブルックナー/交響曲第3番(ノヴァーク版)
指揮/スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
コンサートマスター/デヴッド・ノーラン
フォアシュピーラー/小森谷巧
これぞスクロヴァチェフスキ・ワールド。そんな演奏会でした。
まずプログラム誌。今回(遠山菜穂美)は良く書いてありましたね。読響コミュの聴きどころ見たのかしら?
ドン・ジョヴァンニのブゾーニ版についても、ルトスワフスキについても実に適切な曲解。ここまで踏み込んでくれれば、何も素人がお節介を焼くことはないんです。さすがプロ、要領よく纏まっていましたね、拍手ウ~。ただしブルックナーは相変わらず、前半で紙幅が尽きたのかな。
オケ登場。何かあると思いましたが、ヤッパリ。今日はヴィオラとチェロを入れ替えましたね。この方がチェロが客席には良く響き、よりブルックナー・サウンドがホールに満ち渡るというものです。
以前に日本フィルが第7を取り上げたとき、小林研一郎が金曜定期からこのスタイルに変更したことを思い出しました。あれ以来日本フィルはこの並びですね。
さてモーツァルト、最初からティンパニーの固い響きが度肝を抜きます。見れば岡田全弘氏が叩くのはバロック・ティンパニ。しかしバロック・スタイルはティンパニだけ、ハーディング小僧の嫌らしいドンとは正反対の演奏スタイル。
ブゾーニのアレンジは初めて聴きましたが、プログラムの詳しい解説が大いに参考になりました。この解説、永久保存版です。
続くルトスワフスキ。これまたスクロヴァチェフスキの真骨頂でしょう。決して小難しい現代音楽ではなく、かと言って通俗に堕するような軟弱なものでもなく、正に現代の傑作。
演奏もオーケストラの自発性を巧みに刺激し、オケも各パートの名人芸で応えました。曲解じみたことはコミュニティにも書きましたし、この日のプログラムも簡潔にまとめられていましたので、これで充分でしょう。あっという間の20分強。
休憩後のブルックナー。みんなこれが目当てで来ているんでしょう。期待に違わぬ、というか、“おぉ、ここまでスコアを読み込んでいるのか”という驚異の第3でした。
第1楽章からして気迫が違います。贅肉を一切排除し、それでいながら極めて豊かな響きを醸し出すという矛盾。それが見事に解決され、完璧に達成されていくのでした。
特に第2主題部の表情豊かなこと。滋味と共に溢れてくる涙。最初からこんなに感動していては後が持ちませんよ、マエストロ。
それが極まったのは第2楽章。出だしの弦合奏の透明でいて部厚いこと! 3拍子に替わってアンダンテ・クワジ・アレグレット。両ヴァイオリンが2部に分かれ、ヴィオラとの5声部が綾なす音の織物。ここではマエストロの歌声も聴かれます。
更にヴィオラが分割され、チェロとコントラバスが加わる弦八部。“オーケストラは室内楽のように”の見事な実例がここに出現していました。
そしてクライマックス。トランペットの安定したファンファーレが円熟したブルックナーの世界を屹立させる、その感動。
もう止めましょう。
一つ心残り。あの天国も斯くや、と思われた第2楽章が鳴り止んだ瞬間、二階席から傍若無人な咳が聞こえました。なぜもう少し我慢できないのか。
楽譜を見れば判るとおり、最後の一小節は休符が「書かれて」いるんです。音が鳴り止んでもここは音楽の演奏中。何も楽譜を知らなくとも、マエストロは両手を挙げて構えたままでしょ。
スクロヴァ先生も怒ってましたね。左手を何度も突き上げて客席に抗議していましたよ。
私はこれで緊張の糸が切れかかりましたが、第3楽章のティンパニの豪打で復活。特にトリオと第4楽章の第2主題の扱いが素晴らしかったですね。ハッ、と思ったことは全てスコアに書いてありました。何と深い読み。というより、読みの浅い指揮者が多すぎるんでしょう。それを批評家が無理に持ち上げるからイケナイ。
ということで、真にスクロヴァチェフスキらしいコンサートでした。ホルン、トランペット、トロンボーンが指定より1本ずつ多かったですね。ホルンとトランペットはアシスタントと考えられなくもないんですが、トロンボーンまで1本追加したのは明らかに確信犯。ミスターS、さすがに何か仕掛けてきますね。
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