読売日響・第522回定期演奏会

昨日は読響の今年最初の定期を聴いてきました。去年の12月から始まった同団ならではの重厚長大交響曲シリーズの第2弾です。指揮はお馴染み「北欧の巨人」セゲルスタムで、以下のプログラム。

モーツァルト/ピアノ協奏曲第23番イ長調K488
     ~休憩~
マーラー/交響曲第5番
 指揮/レイフ・セゲルスタム
 ピアノ/菊池洋子
 コンサートマスター/小森谷巧

セゲルスタムを前回聴いたのは確か2010年の今頃で、3年振りということになりましょうか。マーラーの第7交響曲が予想に反して(失礼!)名演奏だったことを思い出します。
ということで今回もマーラーの第5、大いに期待できそうですね。
実際、演奏は大変面白いものでした。セゲルスタムのマーラーについては前回かなり詳しく触れましたので、今回は極く大雑把な印象だけ。

かなりギア・チェンジの激しい演奏で、テンポの遅い所はほとんど止まってしまう様な危なっかしさがある一方、下り坂に差し掛かると猛烈なテンポで爆走する。ついていくオケは如何にも大変だったろうと思慮します。

またフレージングの扱いが独特で、この曲に良く出てくる付点のリズム(例えば付点4分音符+8分音符)では、次の音に移る時に“ドッコイショ”という感じになる。第1楽章で言えば練習番号「2」の頭、ファーストとチェロに出る主題の扱いがそう。マーラーはスコアに煩わしいほど書き込みをした人ですが、セゲルスタムは更に輪を掛けて手を加えているようにも聴き取れます。
この辺りは聴く人の好みの問題で、“思い入れが深い”と感ずる人がいる一方、“やり過ぎ”と拒否する向きもあるのではないでしょうか。(マーラーを余り得意としない私は、どちらか言えば後者の意見)
セゲルスタム節が全開したのは第3楽章と第4楽章で、前者は変幻自在の面白さ、後者はあまりの超スローに辟易という印象。それでいて全体にユダヤ風の粘っこさが感じられないのは、北欧人の特質なのでしょうか。この感触が「北欧の巨人」というレッテルに行き当たるのかと思われます。「名は体を表す」と言いますが、セゲルスタムの場合は「体は音楽を表す」ということでしょう。

重戦車軍団読響も絶好調で、特に膨大な音量で圧倒する個所は真にスリリング。オーケストラ・ファンは、こういう音が聴きたくてせっせと演奏会通いをするんですからね。

前半に演奏された協奏曲は、モーツァルトのスペシャリストというレッテルが貼られている菊池のソロ。ストレートと言うか、飾り気のない演奏で、ピアノの音色にも深さは感じられません。
セゲルスタムの伴奏も、モーツァルトばかりは体に似合わずスリムなもの。

ところでセゲルスタムの困った所は自身の作品を無理矢理?披露することで、今回も池袋と横浜で交響曲第252番なるものを世界初演することになっています。
3年前も何百番かのシンフォニーに付き合わされて迷惑しましたが、今回は聴かずに済む、と胸を撫で下ろしていたら、何と菊池女史がアンコールで“マエストロの作品を”と挨拶して弾き始めたではありませんか。
極めて短いのがせめてもの救いでしたが、最後は鍵盤の蓋を閉め、その蓋の上をカタカタと叩くという趣向の小品。セゲルスタムもオケの後ろで聴き、曲名を大声で叫んでいましたが、私にとっては失礼ながら蛇足そのもの。折角のモーツァルトの爽やかさが消し飛んでしまいました。

この日は日本テレビの収録の他、恐らくフィンランドのクルーと思われる取材が入っていて、カメラとマイクのペアが終始マエストロを追いかけていました。セゲルスタムのお国で放送されるニュースかドキュメントなのでしょう。
このあとセゲルスタムは札幌に飛び、札響の2月定期に登場。そこでも自作の交響曲245番という「旧作」?を世界初演する予定になっています。

それにしても長いと感ずるコンサートでした。実際、会場を出て時計を見ると9時を20分以上回っています。マエストロ、あの巨躯を支えるのでかなり脚に負担が掛かった様子で、マーラーの第3楽章が終わった所で頻りに脚を動かす運動をしていましたっけ。
老婆心ながら、前半のモーツァルトは無くても良かったのでは・・・。

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