辰年生まれの大作曲家

今日は正月のお遊びネタ第三弾で、干支に纏わるお話です。この趣向、確か丑年から始めたと思いますので、今年が4回目ですね。こうなりゃ12回続けるッきゃないでしょ、それまでブログが長続きするかは知ったことじゃありませんが・・・。

さて「辰」というのは想像上の動物で、どうもイメージが沸きません。近年では「龍」や「竜」も使われるようです。名前にこのどれかが使われていれば、まずその人は辰年生まれと見て間違いはなさそうですね。
尤も江戸から明治にかけては「辰五郎」や「辰吉」のように「辰」が主流でしたが、現在は「龍」か「竜」がほとんど。世の中がハイカラになったということなんでしょう。それだけに坂本龍馬は時代を先取りしていたと言えるでしょうか。

広辞苑によると「竜」は本来「りょう」と読むべきで、「りゅう」は慣用音の由。優れた人物の譬え、という意味もあるようで、竜は一寸にして昇天の気あり。天才が産まれても不思議はなさそうな年回りですな。
占い本などによると、辰年生まれの人は正義感が強く、意欲的な活動家。自我が強く寛容さに欠けるところあり。我慢強い反面、負けず嫌いで短期、とあります。

ということで音楽史を紐解くと、西暦1400年丁度が辰年に当たります。この頃生まれたとされるギョーム・デュファイがどんな人だったのか知る由もありませんが、そもそも本当に1400年に生まれたかどうかも定かじゃありません。

1532年のオルランド・ラッススも似たような状況ですが、漸く1760年に至ってケルビーニが出てきます。現在はほとんど聴かれなくなった人ですが、ベートーヴェンに大いに影響を与えたことで、最初の辰年生まれの大作曲家と言って良いでしょう。

時代を徐々に下って、1784年のシュポア、1796年のベルワルド、1820年のヴュータンと続きます。ヴュータンはもちろん演奏史に輝くヴァイオリンの名手で、ベートーヴェンのヴァイオリン協奏曲を復活させて今日に伝えたという意味でも重要な人物。6歳でリサイタルを開いたというから辰年の面目躍如と言ったところ。

ヴュータンから二回り下の1844年、またしてもヴァイオリンの天才が登場します。そう、サラサーテ。彼がヴァイオリンを始めたのは5歳の時で、公開リサイタルを行ったのは8歳のときだったとか。作曲家としてはツィゴイネルヴァイゼンなどの名人芸を駆使した楽曲でのみ知られる存在。
サラサーテと同い年にリムスキー=コルサコフがいます。彼の名作「シェヘラザード」でも艶々としたヴァイオリンのソロが活躍するのはご存知の通り。

どうも辰年はヴァイオリンに縁があるようで、1892年に生まれたグロフェも辰年。彼は名曲(迷曲かな?)グランド・キャニオンで知られていますが、実はヴァイオリンの名手でもあった人で、ロサンジェルス・フィルのコンサートマスターを10年間勤めたという経歴の持ち主でもあります。だから「山路にて」には華やかなヴァイオリン・ソロが出てくるのですね。
ヴァイオリンに絞って辰年生まれの名手を探すと、ジャック・ティボー(1880年)、ヨゼフ・シゲティ(1892年)、ナタン・ミルスタイン(1904年)、ユーディ・メニューイン(1916年)など大家が綺羅星の如し。だからと言って、辰年の子供にヴァイオリンを習わせれば名手に上達する、ということにはなりませんから念のため。

チョイと脱線しましたが、作曲家に話を戻しましょう。

グロフェより一回り上の1880年組からはブロッホ、ピツェッティ、メットナーが出ましたが、知名度は今一つ。グロフェと同い年にミヨーとオネゲルがいて、作曲家としてはこちらの二人の方が遥かに重要でしょう。特にオネゲルの音楽は辰年の特徴をよく捉えているように思いますがどうでしょうか。

あとは1904年のダルラピッコラとカバレフスキー、1916年のヒナステラが続き、1928年のシュトックハウゼンに至っては、こちらの頭も朦朧としてきました。
どうも「辰」はイメージが定まりませんね。この辺でお開きにしましょう。

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