英国競馬1963(5)

半世紀前の英国クラシック回顧、少し間が空きましたが、最後は第187回目となったセントレジャーです。

ダービー馬レルコ Relko のその後、ダービーに関する薬物疑惑の顛末は前々回詳しく触れました。
煩わしいのを承知で繰り返せば、愛ダービーのスタートまで進んだレルコはレース直前の跛行により取り消し。主役不在の幸運に恵まれたとは言え、1962年から大幅に賞金がアップしたアイルランド・ダービーは英ダービー3着馬ラグサ Ragusa の圧勝で終わります。2着ヴィック・モ・クロイ Vic Mo Croi に2馬身半差を付ける楽勝で、エプサム4着でラグサとは殆ど差の無かったターコガン Tarquogan が今回は7馬身以上の差を付けられたことでも、如何にラグサが成長したかが判るでしょう。

二つのダービーを終え、3歳馬が立ち向かうのは古馬の壁。その最初の大レースとなるエクリプス・ステークスは、またもやアイルランドのプレンダーガスト厩舎に所属する3歳馬カルキス Khalkis の制する所となります。
続いてアスコットのキング・ジョージⅥ世クィーン・エリザベス・ステークス。オークス、愛ダービー、エクリプスと大レースを撃破したプレンダーガスト師は、当初ノーブレスで挑むプランを立てていましたが、前回も紹介したように同馬が調教で故障を発生し、急遽ラグサを出走させます。
前走ゴールド・カップを快勝した古馬トゥワイライト・アレー Twilight Alley が1番人気に支持されていましたが不運にもレース中に故障、2番人気のラグサが古馬ミラルゴ Miralgo に4馬身差を付けて快勝します。2000ギニー馬オンリー・フォア・ライフ Only for Life も出走していましたが、トゥワイライト・アレー故障の煽りを受けて最下位に敗退、こちらはアンラッキーでした。

一方ダービー2着、ラグサには3馬身差を付けたマーチャント・ヴェンチュラー Merchant Venturer は8月グッドウッドのゴードン・ステークスでレジャーに向けて再始動、他馬より5ポンド重い負担重量を背負っていたとは言え、伏兵タイガー Tiger の2着に屈します。勝ったタイガー(この馬も後に日本に輸入されました)は既にセントレジャーからは撤退していました。
グッドウッドの翌週、ライポン競馬場のセント・レジャー・トライアルでこれまで忘れられてきた馬が復活します。前年にロイヤル・ロッジ・ステークスに勝って注目されていたスター・モス Star Moss で、肩を痛めたためシーズン前半を棒に振っていた存在。復帰戦で2着に8馬身差の楽勝を演じたスター・モスもセント・レジャー候補として急浮上してきました。

続いてトライアルはヨーク競馬場に移り、グレート・ヴォルティジュール・ステークスに注目が集まります。中でもプレンダーガスト厩舎が何を出走させてくるかが話題になりましたが、最終的にはラグサが登場してきました。
当初プレンダーガスト師の青写真はノーブレスでのセントレジャー制覇、ラグサはチャンピオン・ステークスに、凱旋門賞をカルキスでという構想だったようですが、ヴォルティジュールの1週前にカルキスが腸の疾患を発症、結果的にはこれが同馬の現役生活を終えることになり、またしてもラグサがピンチヒッターに選ばれる羽目になったようです。
結果は、ラグサは勝ったものの2着オンリー・フォア・ライフとは頭差。しかしながらラグサは本来は予定に無かったレースでの出走であり仕上げ途上であったこと、レースでも後方に待機していたマーチャント・ヴェンチュラーの出方を窺っていたために仕掛けが遅れたこともあっての頭差です。観戦したファンも陣営も、本番で対決すればラグサが圧勝するという感触を得たことは間違いないでしょう。

このような前哨戦を経てセント・レジャーを迎えます。9月のドンカスター開催は、前年とは打って変わって天候に恵まれ、馬場状態もラグサにはピッタリの稍重から良馬場に近いもの。最終的には7頭が出走し、当然ながらラグサが5対2の1番人気に支持されていました。
これに次いではトライアルでラグサを苦しめ、何と言ってもクラシック馬であるオンリー・フォア・ライフと、未知の魅力も手伝ってスター・モスが並んで8対1の2番人気、マーチャント・ヴェンチュラーが10対1の3番人気で続きます。

レースはマーチャント・ヴェンチュラーのペースメーカーを務めるモリアティー Moriaty が飛ばし、他の6頭はほぼ一団。中間地点で距離を意識したマーチャント・ヴェンチュラーが早目に2番手に上がって直線へ。
直線で先ずオンリー・フォア・ライフが行き脚鈍く後退、残り半マイルでモリアティーも一杯となり、マーチャント・ヴェンチュラーが先頭に立ちましたが、内々4番手を進んだブーグール騎乗のラグサがスパートすると勝負あり。ほとんど持ったままで2着スター・モスに6馬身の大差を付ける圧勝に終わりました。
こうして1963年のクラシックは、ダービー、オークスに続いてセント・レジャーも勝馬の大楽勝で締め括られます。これほどに1頭の馬が傑出したクラシックが続いたのは、英国競馬史上でも珍しい年だったと言えるでしょう。

結局イギリス調教馬が勝ったのは2000ギニーのみ。他は1000ギニーとダービーがフランスへ、オークスとセントレジャーがアイルランドの手に落ち、戦後続いている英国馬の退潮が又しても明らかになるクラシックになってしまいました。
プレンダーガスト師はオークスとセントレジャーを、ブーグール騎手も同じく2冠を達成した事になります。

ラグサの生産者は、H・F・ガゲンハイム大尉。母ファンタンⅡ世 Fantan Ⅱ はアメリカで大成功している牝系で、当時はイタリアで供用されていた名馬リボー Ribot と交配すべくアメリカからイタリアに空輸されて種付けに臨みました。しかしファンタンは受胎に時間が掛かる馬で、最終的に受胎が確認できたのは6月になってからでした。
従ってラグサは一般的なサラブレッドに比べて生まれたのが遅く、誕生日は1960年の5月26日。加えて生まれながらに小柄な馬で、その成長には牧場関係者も大変な苦労をしたと伝えられています。大量の卵とミルクが使用された由で、一時は窒息であわや命を落とすという危機にも遭遇しました。
ということは、ラグサがダービーを迎えたのは3歳になって未だ3日目のこと、ダービー3着のあと急速に成長したのも納得できますね。

ガゲンハイム大尉の生産馬を預かってきたセシル・ボイド=ロシュフォール調教師は、大尉からの打診を馬が小さ過ぎることを理由にやんわりと断ったほど。止むを得ずラグサは競売に出され、プレンダーガスト師が馬主、スコットランド人で香港で船舶業を営むジョン・マリオン氏のために3800ギニーという安値で購入します。
もしラグサが普通のサイズで生まれていたなら、またロシュフォール師が快くラグサを受け入れていたなら、この名馬は英国馬としてクラシックに勝ったはず。運命の皮肉と言えましょうか。

それでも何とか成長したラグサ、地元アイルランドで新馬戦に1勝したのみで2歳シーズンを終えます。
ラグサの3歳初戦はフェニックス・パークのプレイヤーズ・ネイヴィー・カット・トライアル・ステークス、33対1という全くの人気薄で、ロック・ハード Lock Hard の5着。
翌月、ラグサは初めて英国に遠征し、チェスター競馬場のディー・ステークス(10ハロン)に出走。1番人気に支持され、先頭で直線に入ったものの一旦は交わしたマイ・ミオソティス My Miosotis に差し返されて2着敗退。騎手の仕掛けが早過ぎたという批判と、ラグサには10ハロンの距離は長過ぎるという二つの評価があったようです。

3歳として3戦目に出走した英ダービー、ここでラグサのスタミナ不安説は一掃されることになります。その後の戦歴は詳述した通り、この年の3歳馬でも屈指のステイヤーに成長して行きます。遅生まれであったことを考えれば、ダービー時のラグサとセント・レジャーでの同馬の間に大きな成長が見られたことは当然。
この年のタイムフォームが、ダービー馬レルコの評価を136、対してラグサに137を与えたことでも、同馬の晩熟の特質が明らかでしょう。

ラグサはセント・レジャーで3歳シーズンを終え、4歳時には4戦。初戦にナース競馬場の小レースに勝ったものの、カラーのロイヤル・ホイップ・ステークスでカシム Cassim の3着に凡走、その評価を落とします。
7月にはエクリプス・ステークスを制して名誉を挽回しますが、最後のレースとなった凱旋門賞は同じリボー産駒のプリンス・ロイヤル Prince Royal の着外に終わり現役を引退、アイルランドで種牡馬になります。

種牡馬としてのラグサは、ダービー馬モーストン Morston 、愛2000ギニー馬バリモア Ballymore 、コロネーション・カップのカリバン Caliban 、ゴールド・カップのラグストーン Ragstone 、セント・レジャー2着のホメリック Homeric などが代表産駒。全体に牝馬より牡馬に活躍馬が多かったようです。
残念ながら日本には余り縁が無く、彼の直仔ロンバード Lombardo が種牡馬として輸入され、メジロファントム、メジロトランザム、メジロフルマーなどの重賞勝馬を出している程度に留まりました。

父リボーに限らず所謂セントサイモン系は、現在では絶滅状態にあるサイヤーラインですが、半世紀前のヨーロッパを代表する小柄な巨人としてラグサを記憶しておいて損は無いでしょう。

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