日本フィル・第656回東京定期演奏会

師走は第9と相場が決まっている日本の音楽界ですが、それとは別に定期演奏会を励行する団体ももちろん存在します。私が会員になっている日フィルと読響もその二つ。
昨日はサントリーホールで日フィルの12月定期を聴いてきました。ホール前のカラヤン広場はクリスマスの飾り付けと臨時屋台で大混雑。

さて12月は、来年4月から東京都響の終身名誉指揮者に就任することが決まっている小泉和裕の指揮。得意のベートーヴェンで久し振りの日フィル定期登場です。

ベートーヴェン/交響曲第2番
小倉朗/交響曲ト調(日本フィル・シリーズ第20作)
     ~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第7番
 指揮/小泉和裕
 コンサートマスター/木野雅之
 フォアシュピーラー/江口有香
 ソロ・チェロ/菊地知也

古い記録を繙くと、小泉が日フィル定期の指揮台に立ったのは1992年3月以来のこと。その時はプーランクやドビュッシーなどのフランス作品集でした。それ以来実に21年振り、2度目の客演となります。
私個人としても小泉を聴くのは久し振りで、彼が未だ新日フィルを率いていた当時に何度か接して以来のこと。都響には縁が無いので、最近の活躍は横目に見聞きしているだけでした。
数少ない印象を思い起こせば、とにかく師であるカラヤンそっくりな振り方をする人で、出てくる音楽もプチ・カラヤンとでも言う思い出。鮮明に覚えているのは、シベリウスの「ポヒョラの娘」の颯爽とした演奏です。

今回はベートーヴェンの交響曲2曲に、日本フィル・シリーズ再演企画第7弾の一環として小倉作品の交響曲を組み合わせたもの。取り合わせとしては若干違和感もありましょうか。

ベートーヴェンの感想については2曲纏めて。上述したように、カラヤンそっくりな指揮振りは相変わらず。目指す音楽も、かつての音楽界の帝王のコピーでした。と書けば悪口の様に取られるかもしれませんが、その模倣もここまで徹底すれば称賛もので、懐かしく60年代のベートーヴェンを楽しみました。
やや前屈み、フォルテでは両腕をサッと広げ、オケから音楽を掬い上げるような指揮のスタイルは、私の年代なら誰でも憧れた姿です。私も何度真似してカラオケならぬカラ指揮に挑戦したことか。小泉とカラヤンの違いは、師匠が目を瞑って振ったのに対し、弟子はちゃんと目を開けてオケと対峙している位なもの。左手で音を抑える仕草も、思わず苦笑してしまうくらいソックリですね。

オケから出てくる音の質、繰り返しをする・しないの個所も全く同じで、最初は“相変わらず似てるなぁ~”と笑っていましたが、次第に巨匠風かつ颯爽たるベートーヴェンに惹き込まれて行く自分を見出していました。
第7交響曲第2楽章のテーマをレガートで奏させるスタイル、凄いテンポで開始する第7フィナーレの嵐等々、私がカラヤン/ベルリンを初体験したのがこの曲だっただけに、どうしても比較しながら聴いてしまうのでした。

現在のベルリン・フィルは、アバド、ラトルを経てすっかりスリムなオケに変身。最早カラヤン時代の重厚な表現は録音でしか聴くことが出来ません。この夜の日フィルは、小泉の指揮で聴くと恰も60年代のベルリン・フィルが蘇ったよう。時代をタイムスリップした錯覚に捉われました。
カラヤン/ベルリンの第7は、レコードでこそ一糸乱れぬ名演を残していますが、私がナマで聴いた時には、フィナーレ冒頭などアンサンブルがバラバラ。漸く全員の呼吸が整ったのは練習記号A辺りからでした(ミシェル・シュヴァルべがコンマスだったにも拘わらず)。それだけカラヤンのテンポが速かったということでしょう。
それに比べれば、昨夜の日フィルは最初から小泉の棒にピタリと寄り添い、最近の好調ぶりを証明する名演。もちろん小さな瑕疵は散見されましたが、それはライヴならではの楽しみとして聴くべきでしょう。近年の演奏技術の上達は、何も日本に限ったことではなく、音楽の聖地たるベルリンでも同じことと見えます。

オケのメンバーにもカラヤンを知らない人、もちろん聴き手にもカラヤンを聴いたことが無い人も多くなったでしょう。そんな若い音楽ファンにとって、このベートーヴェンは却って新鮮に響いたかもしれません。私には懐かしさの極みでしたが。

最後に小倉作品について。
この交響曲は1968年6月に渡邉暁雄氏の指揮で初演されたもの。私も初演に立ち会ったはずですが、失礼ながらどんな曲だったか全く記憶に残っていません。この時は前半にブラームスの悲劇的序曲と、シューマンの珍しいヴァイオリン協奏曲が演奏されています。シューマンは予習のためにスコアを購入、手元の楽譜には購入した「1968年4月24日」という書き込みがありますから、この演奏会を聴いたことは間違いないのです。
記録によれば、その後この交響曲は都響(同年9月 渡邉)、名フィル(1970年 清田)、N響(1982年 外山)と弾き継がれ、今回の日フィルに回帰してきたことになります。
折角の機会ですから、プログラムに掲載された楽器編成を転記しておきましょう。
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット3、トロンボーン3、テューバ、ティンパニ、打楽器(大太鼓、小太鼓、タムタム・サスペンデッド・シンバル、トライアングル、シロフォン、ヴィヴラフォン)、ハープ、ピアノ、弦5部。

全体はオーソドックスな4楽章から成り、第1楽章アレグロ・ヴィーヴォ、第2楽章アンダンテ、第3楽章アレグロ、第4楽章マエストーソ~アレグロ・ヴィーヴォという内容。
プログラムの曲目解説には、オグラ―ムスとかバルトークの影響が紹介されていましたが、今回改めて聴いた印象は、ルーセルを基本にし、所々プロコフィエフ、隠し味にオルフという印象です。
要するに作曲家の個性はそれほど強くなく、作品も古典的な印象を残していると言えましょうか。第2楽章が演奏時間も最も長いようで、その変奏曲と思われる抒情性が魅力と聴きました。

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