日本フィル・第693回東京定期

9月8日と9日、日本フィルの9月東京定期が改装成った赤坂サントリーホールに戻ってきました(す)。私は金曜会員なので一足先に体験。実は土曜日会員にとってはネタばれになってしまいますが、私もこの後の予定が詰まっていますので、土曜定期が始まる前に感想を書いてしまいます。悪しからず。
ということで、9月は同団首席指揮者として5シーズン目を迎える山田和樹の指揮。このところ日フィル新シーズンの幕開けはヤマカズということに定着しているようですね。それも4曲プロということで。今回も意欲的な選曲で惹き付けます。

ブラッハー/パガニーニの主題による変奏曲
石井眞木/遭遇Ⅱ番作品19(日本フィル・シリーズ第23作)
     ~休憩~
イベール/交響組曲「寄港地」
ドビュッシー/交響詩「海」
 指揮/山田和樹
 雅楽/東京楽所(とうきょうがくそ)
 コンサートマスター/扇谷泰朋
 フォアシュピーラー/千葉清加
 ソロ・チェロ/菊地知也

演奏会が始まる前から、今回は「遭遇」に話題が集中していました。私のレポートもこの曲から始めましょう。
日本フィルが故渡邉暁雄氏の元で定期演奏会を開始したのは、未だ上野の文化会館が出来る以前のことで、定期の会場は日比谷公会堂でした。日フィルは、創設して直ぐに日本人作曲家に新曲を依頼する日本フィルシリーズを始めています。
やがて1961年春になると上野に文化会館が誕生し、その年の秋からは日フィルも会場を上野に移して定期演奏会を続けてきました。確かこの時までに日フィルシリーズは6作を数えていたと記憶します。

私が日本フィルの定期会員になったのは上野/渡邉時代の1965年。その最初のシーズンで、日フィルシリーズの第1作に当たる矢代秋雄の交響曲が再演するのを聴いたものです。
この間に音楽監督は創立指揮者の渡邉氏から小澤征爾にバトンタッチされ、私も何とか社会人になり、泣く泣く東京を離れて地方赴任。オーケストラとは無縁の田舎暮らしが始まりました。

東京からの風の噂に、文化会館も改修が必須の状況になり、1年間の閉鎖。この間、日フィルは会場を古巣の日比谷公会堂に移して定期演奏会(この当時は月2回開催)を続けていましたが、今回再演された石井眞木の遭遇は、この時代に委嘱初演されたものです。
記録を繙くと、1971年6月の2回目の定期で、もちろん小澤征爾の棒。次の9月からは東京文化会館に復帰していますから、日フィルが日比谷で定期を開催した最後の演奏会でもありました。
このあと日フィルは分裂、小澤を支持するグループは1972年秋から新日本フィルとして再出発することになりますが、日本フィル・シリーズは現在の日本フィルハーモニー交響楽団に引き継がれ、今日に至っています。従って私は、小澤/日比谷時代に初演された遭遇をナマでは聴いていません。

しかしこの時のプログラム、1曲目の遭遇と2曲目のブルッフ(ヴァイオリン協奏曲第1番、潮田益子ソロ)が録音されてLPで発売され、それを聴いた微かな記憶は残っていますが、ほとんど忘れていました。(この時のメインは小澤が拘っていたベルリオーズのイタリアのハロルドでした)

石井眞木作品について思い出せば、同じタイトルの「遭遇Ⅰ」はピアノと尺八のために書かれたもので、二重奏というより、遭遇Ⅱと同様に2つの音楽、西洋と東洋が同時に鳴らされて遭遇するという構成でした。
私の学生時代から放送されていた「題名のない音楽会」という番組に登場した石井が管弦楽法をテーマに、ベルリオーズの幻想交響曲から断頭台への行進を石井流にオーケストレーションして聴かせてくれたこともありました。最後の場面で鉄鎖などベルリオーズ時代には使われなかった打楽器を多用して奇怪な音響を作り出していたことを思い出します。

前置きが長くなりましたが、要するに遭遇Ⅱは私にとって初遭遇。例によって山田和樹は自らプレトークを行い、その中で石井はブラッハーの弟子であったこと。ベルリンにある氏の墓地はブラッハーのそれと背中合わせになっていること、などを紹介してくれました。
既に触れましたが、この作品は西洋のオーケストラと日本の雅楽とのアンサンブルのために書かれたものではなく、夫々の譜面が同時に鳴らされるもの。何処で夫々の音楽が遭遇するかは指揮者の考えに委ねられており、演奏する時と場合によって違ってくるということでもあります。
金曜日はオケから始まり、指揮者が指示を出したところから雅楽も演奏を開始。プレトークによれば、土曜日は雅楽から初めて、しかる後にオケが加わるというスタイルを取りたいとのことでした。ネタばれとはそういうことで、もし土曜日の16時以前にこれを読まれて終ったら御免なさい、ということなのです。

東京楽所の10人は舞台上手、いつもはヴィオラが座る所に赤毛氈を敷いて座り、衣裳はもちろん伝統的なもの(何と呼ぶのかは知りません)。
最初のブラッハーが終わってから舞台配置を変更するのですが、それが中々の見もので、係員が華麗な装飾が施された太鼓や、琴、琵琶などを運んでくる光景は見ていて飽きません。
中でも笙を温めるための火鉢(のようなもの)を設定するのは、私には初めての景色で、それこそ天平時代との遭遇を目の当たりにするようで興味津々でしたね。

実際の作品は、客席によって印象が異なっていたようです。私は比較的ステージに近く、しかも上手側でしたので雅楽の音色もそれなりに楽しめましたが、後方や階上の席ではオケの大音量に消されてしまったかもしれません。
いずれにしても大半の聴き手は初体験でしたでしょうし、大いに楽しめた方、凄かったという感想を持たれた方、良く判らなかったという人たち様々でしたが、一様に面白い試みだった、という印象は持たれたようです。
私もその口ですが、演奏の度に遭遇する場面が変わってしまう仕掛けなので、どんな状況で聴いたかによって評価も変わるでしょう。それこそが偶然性の音楽の本質であり、石井眞木が目指した所でもあろうかと想像しました。

遭遇一色になってしまいましたが、他の作品も簡単に。

最初のブラッハーは、個人的には昔からフリッチャイの録音で楽しんできた作品で、ブラッハーのスコアで手元にあるのはこの曲だけ。
例のパガニーニ主題が冒頭コンマスのソロで開始され、以下16もの変奏を繰り広げるという趣向。プレトークで山田が明かしていたように、今回の隠れテーマはジャズ。ブラッハーの作品も極めてジャッジーな変奏が多く、今回の4曲では最もテーマに近い音楽でしょう。
山田の棒も真に活き活きとしたもので、かつて愛聴盤だったドイツの連中のぎこちなさに比べれば遥かに名演。改装されたホールの音響も、バランスが更に良くなり、響きも柔らかくなったのではと感じたほど。実際のところは良く判りませんが、この日最も感銘深く聴いたのがブラッハーでした。

後半は海に因んだフランスの名曲2つ。山田の解説では、ジャズはアメリカで生まれ育っただけではなく、ヨーロッパでもジャポニズムの影響を受けたドビュッシーが発明した全音階の作り出すハーモニーと共に発展してきたという歴史がある。
ここでも山田のしなやかな感性が光りましたが、例えばイベール(第2楽章のオーボエ・ソロは留学から帰国したばかりの杉原由希子が担当)など、欲を言えばもう少し「色気」が欲しいと感じたのも事実。未だ成長途上の山田、この辺りが将来大成するうえでの課題かもしれません。
海はオリジナルに戻した形。即ち第3楽章、練習番号50の第4小節からの楽句に金管のファンファーレを追加して演奏されました。

次回の山田/日フィルは来年1月、埼玉と横浜でバーンスタイン、ガーシュウィン、ラヴェルなど、引き続きジャッジーな世界を楽しませてくれることになっています。

 

 

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