第460回・読売日響定期演奏会

5月11日の金曜日、東京芸術劇場で読売日響の第460回定期演奏会を聴いてきました。読響は定期演奏会を1日しか開催しません。そろそろこのシステムを変更する時が来たのじゃないでしょうか、そう思いたくもなる定期でした。
会場に着くと、テレビカメラが何台も入っていることに気が付きます。後で確認したところによると、今年の10月10日に日本テレビで放送される由。たんとクラシック。
で、曲目などは、

第460回定期演奏会 東京芸術劇場
プロコフィエフ/交響組曲「キージェ中尉」
プロコフィエフ/ヴァイオリン協奏曲第1番
~休憩~
ラフマニノフ/交響的舞曲
指揮/ユーリ・テミルカーノフ
ヴァイオリン/庄司紗矢香
コンサートマスター/デヴィッド・ノーラン

最初は楽しいプロコフィエフ。冒頭と最後のコルネットは舞台裏で吹きました。これとは別に舞台上に田島首席が席を取り、第3曲と第4曲のコルネットを担当します。
演奏後も姿を見せなかったので憶測ですが、舞台裏は長谷川首席が吹いたのでしょう。
ということは、コルネットに二人の奏者を充てたということ。現実的であり、このオケならではの贅沢な対処です。

ところが演奏は、少し疑問符が付きました。精度が普段の読響に比べるとやや物足りません。肝心のコルネット、舞台の裏も上も小さなミスがありましたね。アンサンブルの精度も仕上げ途上の感は否めません。リハーサル不足?
テミルカーノフは楽しそうに振っていましたが、全体を戯画的に捉えているのか、こちらも良く言えば大らかな印象。悪く言えば大雑把。金管群のフォルテが少し荒れ気味。

庄司さん登場。これは大変なテクニックで弾き切りました。特に第2楽章の目も眩む早業は圧巻。ヴァイオリンの美しさには目もくれず、打楽器的要素を前面に押し出していきます。
反面で、両端楽章の抒情性にやや欠けた恨みがありましたね、少なくとも私の耳には。印象を一言で言うと、女シゲティ。良い意味ですよ。プロコフィエフにはピッタリだ。

この大曲の後でもケロッとしてアンコール。同じプロコフィエフの無伴奏ヴァイオリン・ソナタの第2楽章。大喝采。

後半。これは凄かった。テミルカーノフはここに勝負を賭けて来ましたね。いやそういう表現は下品。入魂のラフマニノフ、と言い直しましょう。
読響のアンサンブルも完全復活。こうでなくちゃ。テミルカーノフは最初の一音からラフマニノフの憂鬱に焦点を絞っていきます。

音楽が進むに連れ、ホールには「憂」を含んだ空気がヒタヒタと満ちてくるのが目に見えるよう。アルト・サクソフォンが登場すると、最早、胸を掻き毟るようなメランコリーから逃れることはできません。
第2曲の素晴らしいこと。楽譜にはとても書き切れない種類のテンポ・ルバートを巧みに織り込み、変幻自在にオーケストラを操っていきます。曲間に何度も出現するファンファーレの一つ一つに意味を籠め、都度違う表情で訴えていく。
そして第3曲の最後、ドラの音だけを響かせたまま、余韻が消えるのを待ちます。そう、かつて広上淳一が聴かせた傷つき易い繊細な魂。テミルカーノフもやりました!! この曲の終わりはこうあるべきなのです。

ただ惜しむらくは、聴衆の反応が早かった。音が消えてなお一瞬、その静寂にラフマニノフの憂愁と悼みを感じて欲しかったですねぇ。私が聴いた日の広上/日本フィルにはそれがあった。残念です。
テミルカーノフは、ラフマニノフでは演奏中も演奏後もニコリともせず、指揮台に立っていました。完全に作品と同体になっていましたね。顔つきも次第次第にラフマニノフそっくりに変わっていくのです。戦場の英雄、という面差しでした。

それはさておき、これは何と素晴らしい作品であることか。私はラフマニノフの最高傑作はピアノ協奏曲ではなく、交響的舞曲だと断言します。これがあまり演奏されないのは極めて遺憾。
折角の機会がたった1回だけというのは残念です。出来る限り多くの方にこの作品を体験して欲しい。それがこれほどの名演奏であれば尚更のこと。
何度でも繰り返し聴きたい曲。仮にもう一晩演奏会があれば、間違いなく聴きに行きますね。

読売日響さん。他のシリーズを一つ減らしてでも、定期演奏会の数を2回に増やすべきではありませんか。指揮者としてもオーケストラとしても主食たる定期のプログラムを複数回演奏することで、アンサンブルも更に磨かれるでしょうし、多くの聴衆に聴く機会を与える。一考して頂けないでしょうか。

最後に一つ。大切なことに思い当たりました。
例の第1曲に出るサクソフォンのメロディー。これ、♯四つで書かれていたんですね。つまり嬰ハ短調。
嬰ハ短調という調はあまり使われませんが、ラフマニノフの嬰ハ短調には彼の出世作になった前奏曲(4つの小品の一つ)があります。ピアニストとして演奏活動を始めたとき、何処でも演奏を求められたのがこの前奏曲・嬰ハ短調。あまりのことにラフマニノフはこれを作曲したことを悔やみすらしたのです。
自身にとって運命調とも言える嬰ハ短調を、最後の作品に使ったラフマニノフ。明らかに意識した上での選択ではないでしょうか。

聴きどころというのは限りが無いものです。

 

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