日本フィル・第592回定期演奏会
昨日は期待に胸を膨らませて初台へ。日本フィルの7月定期、プログラムは、
日本フィルハーモニー交響楽団第592回東京定期演奏会
ハイドン/交響曲第104番ニ長調「ロンドン」
モーツァルト/交響曲第38番ニ長調「プラハ」
~休憩~
プロコフィエフ/協奏交響曲(チェロ協奏曲第2番)
指揮/広上淳一
独奏/趙静
コンサートマスター/扇谷泰朋
初台は行き難い、とかいろいろ文句を言ってきましたけれど、これが東京オペラシティコンサートホールでの最後ですね。あっという間でした。最後となれば寂しい気がします。またあのサントリーの混濁に悩まされるのかと思うと・・・。
日本フィルはこの半年を実に上手く利用しました。前シーズンを小林監督で終了すると、この半期を使って体制を大幅に刷新、今日もその一環がチラシの形で発表されていました。
(詳しいことはホームページ)
演奏面でも新生日本フィルへの決意が感じられるようで、真に見事なコンサート。やや通向き、という意見もあったようですが、内容の素晴らしさには誰も納得したのじゃないでしょうか。今日も満席というわけにはいかなかったようですが、このコンサートを聴き逃す手はありませんね。
くどくど書くこともありませんが、私の感想はこれ。
ハイドン・・・楽し過ぎ
モーツァルト・・・凄過ぎ
プロコフィエフ・・・面白過ぎ
最後のプロコフィエフを独奏した趙静(ちょう・ちん)さん、名前は知っていましたが生演奏を聴くのは初めて。この人、上手過ぎ。
いやー、良かったですね。広上という男は、こちらの想定を一段と超えた所で音楽を創る。ハイドンだってモーツァルトだって何度も聴いているし、音楽がどこでどうなるなんてことは知り尽くしている積りであっても、“ウワッ”ということがアチコチに出てくる。それは奇を衒うということではなくて、全くオーソドックスな読みであり、楽譜にあること、いや、作曲家が意図したであろうことであるのが凄い。
ハイドンもモーツァルトも特に第2楽章、緩徐楽章の見事さは筆舌に尽くせるものではありません。
展開部などでの対位法的な扱いが目立つ部分は、広上独特のアクションが見られ、スコアの構造が文字通り「見えて」くる。ナマに行かなきゃ判らないスリルなんですなぁ。
二つの交響曲とも、繰り返しは全て実行していました。後で気が付いたので確信はありませんが、ハイドンは14型、モーツァルトは1プルト減らして12型で演奏していたようです。何か意図があったのでしょうか。
プロコフィエフも驚異ですよ。こんなに面白い曲だったのか!!
この曲の日本初演は1958年、レニングラード交響楽団が初来日した時に、ロストロポーヴィチのソロとザンデルリンクの指揮で行われています。大阪と東京(2回)で。
日本人による初演は堤氏と渡邉=日本フィル。そのあとはN響がゲリンガスのソロとフルネの指揮で演奏しています。その後は記録を捜していませんが、ヒョッとすると今回はそれ以来かもしれません。
ゲリンガス=フルネは確か何箇所かカットが施されていて、曲想の重さばかりで面白くなかった記憶があります。
レコードでも聴いていますが、それほど感心したことはありませんでした。
しかし今回は素晴らしい演奏で、私にとっては作品の再発見でした。やはり広上の掴み方が見事。このヘンテコリンなスコアからスリリングな音楽を曳き出す荒業は只者ではないです。ホント。
特に大太鼓の処理には唖然。まるでチェロと大太鼓のための二重協奏曲。要所の決まり方はウルトラC級だヨ。
ということで、期待を大きく上回るコンサート。大満足で初台に別れを告げました。
*****
プロコフィエフに関する備忘。
①この曲には第3楽章に二種類の版があるけれど、この日は短いほう(オリジナル)を選択。別版の長いモノは未聴。
②第2楽章の練習番号10の7小節目から始まる第2トランペットの目茶難しい低い持続音。ホルンが代吹してもよいことになっているけれど、譜面通りトランペットが演奏。女性トランペット奏者にブラヴァ!
③第3楽章の練習番号25からはオリジナル通りチェレスタを使用。(木管での代吹も可)
④第3楽章30、トランペット・ソロではアドリブ指示の第3トランペットは使用せず。
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