札幌交響楽団第497回定期演奏会

内容は以下のものです。

指揮/クリスチャン・ヤルヴィ
ピアノ独奏/小川典子
コンサートマスター/大平まゆみ
ニールセン/「アラディン」組曲
グリーグ/ピアノ協奏曲
休憩15分
トゥビン/交響曲第4番イ長調「叙情的」

金曜の夜と土曜・マチネーの2回行われる定期の、金曜日です。
札幌コンサートホール Kitara も初めて、札幌交響楽団を聴くのも、このホールに限らず初めて、指揮のクリスチャン・ヤルヴィも初めてならニールセン作品もトゥビン作品もナマでは初めて、トゥビンに至ってはその音を聴くこと(ナマで)自体が初めてという「初めて尽くし」のコンサートでした。
それに加えてチケットの手配がギリギリだったので、既にSS席は完売、Sを選びましたが1階5列51-52番。この列は55番まであるのですが、要するに右端。コントラバスの前です。オーケストラのバランス、ホールの響き、ピアノの音量などどれをとっても理想的な席とは言い難いものでした。
その割にはSS席らしき場所にもかなり空席がありましたし、全体でも6割程度しか入っていません。やはり曲目が変わっている所為でしょうか。

この辺から推理するに、札幌の聴衆もかなり保守的なのでしょうね。これは東京も同じか。
従って何かと比較するという材料がありませんので、純粋にこのコンサートの印象を残しておくことにします。
(Eduard Tubin はトゥービンと言い習わしてきましたが、プログラムにはトゥビンと表記されていましたので、この日記はトゥビンを使います)

さてキタラに入館して驚くのはホワイエの広さですね。東京にはこんな広いホワイエのあるホールはないと思います。新国立劇場が比較的広いですが、ここはそれ以上に広い。あるいは広く感ずるような設計になっているのかもしれませんが、実際にかなり面積があるようです。
19時開演ですが、開場は40分前の18時20分。その広いホワイエの一角でミニ・コンサートがありました。毎回開催されるのだと思いますが、この日は打楽器奏者4人の演奏とパフォーマンス。ティンパニとバスク太鼓のような打楽器による知らない曲。パフォーマンスというのは、4人が楽器を使わずに、身体を叩いたり手を打ったりして音を出す曲?も演奏されたからです。ここでまず聴衆から喝采。

定刻、オーケストラが入場します。
東京の聴衆は差別意識が強いようで、海外オケの来日公演ではメンバーが入場する際に大きな拍手が起きます。しかし日本のオーケストラのときは一切この種の拍手はしません。どちらも均等に聴きに行く聴衆もかなりいると思いますが、舶来と国産をキッチリ差別、いや区別するのが東京のマナーらしいですね。例外は川崎ミューザで、ここは毎夏の東京のオケ・フェスティヴァルでも必ずメンバー入場時の拍手があります。
札幌コンサートホール Kitara でもメンバー入場の際には拍手がありました。プログラム後半も同じで、ここでも拍手。私も気持ち良く拍手で迎えました。ぱちぱちぱち。

最初はニールセンのアラディン、一度聴きたいと思っていた作品です。ブラスバンド編曲があるので、その方面のファンには馴染みある曲のようです。
全体は7曲からなる組曲ですが、注目していたのは第5曲「イスパハンの市場」。ここはオーケストラを四つに分け、それぞれがお互いとは無関係で演奏するという荒業で書かれているのですね。市場の雑然とした情景を描写しているのでしょう。

問題は指揮者がどのように振り分けるのか、です。第1オケはオーボエ・イングリッシュホルン・クラリネット・ファゴット・ホルン・トライアングルによる主に木管のグループ。第2は弦楽合奏。第3はホルン・トランペット・ティンパニのグループにアド・リブで合唱が入りますが、この日は声楽は省略。第4がピッコロ2本とゴング。
以上が時間をずらせて入り、それぞれが全く別のテンポで演奏して行くわけ。で、指揮者はどうしたかというと、新しいグループが参加するときには、そのグループのテンポで指揮するという具合で、先行部隊は一旦設定されたテンポをグループ内でシッカリ維持しながら指揮者を無視して演奏して行くのでした。
まぁ、手品の種明かしみたいなもので、こういうやり方しかないかな、と納得。
そもそもそういう仕掛けが施されているということすら気が付かなかった人がほとんどのようで、組曲は賑々しく終了。

続いてグリーグのピアノ協奏曲。これは皆さん良くご存知でしょう。
オーケストラの編成が一気に12型に落とされます。コントラバスが2プルトしかありませんでしたから間違いありません。
このホールはスタインウェイの他にベーゼンドルファー、ヤマハ、カワイなどが常備されているそうですが、小川は当然の如くスタインウェイを弾きます。
この編成でもオーケストラはよく響いていました。私の劣悪な席で聴いても、バランスに不満はありませんし、木管のソロもヴァイオリン群もそれなりに響いていました。ホール全体の音響が良いのでしょうね。

小川典子はここでも聴衆を魅了しました。最初の下降スケールでキタラの聴衆は圧倒されてしまったようです。とにかくピアノが良く通ります。高音のトリルなど北の冷たい空気に敏感に反応するように、凛たる響きが冴え渡っていました。
第1楽章に長いカデンツァがありますが、ここでコンサートマスター(大平さん、おおひら、と読みます)が食い入るようにピアノを見つめ、聴き入っていたのが印象的でした。
第2楽章は本当に素晴らしい出来で、客席も息を潜めるように聴き入っている様子が感じられます。
ヤルヴィ=札響も地味ながら実に丁寧な伴奏でソロを盛り立てて行きます。ホルン・ソロも見事。

最後は大喝采。この日一番湧いたのは、何と言っても小川のピアニズムに対する賞賛でしょう。いつまでも拍手鳴り止まず、小川さんはコンサートマスターと二言三言交わして、アンコール。同じグリーグからノクターンが演奏されました。
定期演奏会の協奏曲でアンコールが弾かれるのはそう珍しいことではありませんが、この日は予定外だったような感じ。なんか得をしたような気分ですね。

休憩時間を利用して、楽屋の小川さんを表敬訪問しました。“東京から聴きに来ました” “エーッッッ! そこを強調してください” ということで “トーキョーから来ましたァァァッ!” と楽屋奥のオーケストラメンバーにも大声で挨拶。
“今日はプログラムも珍しいですね”と、百戦錬磨の小川さんにとっても珍しい機会のようです。“それもありますし、その上に小川さんのグリーグですから、仕事をほったらかして来ました。今度の京都のラフマニノフも行きます” “エーッッッッ!”

休憩後のトゥビン。私としては最大のお目当てで、トゥビンをナマで聴けたことだけで大満足でした。とにかく感動的な音楽です。レコードでも雰囲気は充分に伝わりますが、やはりナマでは感動が違います。
指揮者が登場する前、チューニングを終えたコンサートマスターが身体を揺するように演奏をイメージしている姿。集中力を高めているのでしょう、優れたコンサートマスターだと感心して見ていました。第3楽章にソロがあるのですが、見事な演奏でしたね。札響の顔です。

クリスチャンは、さすがヤルヴィ家の一員、この作曲家の紹介に使命をかけているのでしょう。極めて情熱的、推進力に溢れた力強いトゥビン像を描いてみせました。
フィナーレで弦だけが残ってユニゾンで歌う箇所、僅かにプッチーニの一シーンを連想させる所も殊更に思い入れをせず、音楽の勢いを重視した表現。パパ・ヤルヴィの解釈を継ぐ姿勢と見ました。

トゥビンはスウェーデンに亡命したとはいえ、エストニア人です。実はエストニア人は民種的には「エースチ」と呼ばれる民族で、ウラル・アルタイに源を持つ点で日本人とも共通項があります。第1楽章に使われる主題など、どことなく日本に通ずる雰囲気があって、我々には馴染み易い諧調を含んでいます。
今回の演奏で、改めてその意を強くしました。
シベリウスの音楽に共感を覚える聴き手にとって、次に聴き進んで行くべきはトゥビンでしょう。同じ質の響き、感情、風景を感ずるはずです。

この日はフルート奏者の清水国雄さんが定年退職を迎えたそうで、楽団から花束が贈られ、ヤルヴィ氏と共に暖かい拍手で送られました。
札幌交響楽団は、コンサート終了後に10名ほどの楽員がエントランスで聴衆を見送る習慣があるようで、今回も退職されたばかりの清水氏以下、夫々の楽器を手に挨拶をされていました。良い雰囲気ですね。

コンサートを終えて外に出ると、中島公園はかなりの積雪が残っており、静けさの中。皆、公園を通って地下鉄の駅に向うのですが、東京と違って都会の喧騒がありません。高い夜空を見上げながら、今聴いた音楽を思い浮かべつつ家路につく。これは東京では味わえない雰囲気ですね。
我々はホールから徒歩5分のノボテルに宿をとっていましたから、皆とは反対方向。雪道を踏み分けながら塒に向いましたとさ。

ということで初めてのキタラ、良い印象でした。次はもっと良い席で聴きたいですねぇ。それにあのオルガンも。

 

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