札幌交響楽団・第498回定期演奏会

感動が冷めないうちに昨日の札響定期の感想を、と言ってもこれは容易に忘れることのできないコンサートでした。もちろん期待があったればこそ札幌まで飛んで行ったのですが、これほど凄いとは・・・。
まず内容を

札幌交響楽団第498回定期演奏会 札幌コンサートホール Kitara
ヴェルディ/歌劇「シチリア島の夕べの祈り」序曲
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番
~休憩~
ベルリオーズ/幻想交響曲
指揮/広上淳一
ピアノ/小菅優
コンサートマスター/伊藤亮太郎
前回の3月定期でコンサートマスターを務めた大平まゆみさんがフォアシュピーラーに座ります。

前回は2日間ある定期の内の初日を聴きましたが、今回は二日目のマチネーです。午後3時開演。
で、その前にロビーでの開幕ミニ・コンサートが行われますが、この日は札響若手で結成されている弦楽四重奏団の演奏でした。
ノンノン・マリア弦楽四重奏団、メンバーは第1ヴァイオリンが三原豊彦、第2が福井岳雄、ヴィオラを三原愛彦、チェロが荒木均という面々です。
5月10日に予定されている同クァルテットのコンサートの演目から、吉松隆の「アトム・ハーツ・クラブ・カルテット」が演奏されました。定期会員の皆さんも熱心に耳を傾けています。

なお、このクァルテットの名は、ロッシーニの歌曲「ラ・プロメッサ」とバーンスタインの「マリア」の歌詞に由来しているとのことです。
まぁ軽い作品で、先ずは耳慣らし。

客席に戻ろうとすると、評論家二人の顔が見えます。東条碩夫氏と奥田佳道氏。休憩の間も、終演後も何やら談笑しておりましたね。
東条氏はプログラムに「札響礼賛」というコラムを書かれていますし、奥田氏は先月のトゥービンも聴きに来ていたはず。商売とはいいながら、このコンサートが全国区で注目されているのは歴然ですね。
今回は3月と違ってチケットの売出しから間もなかったためSS席、1回12列41・42番という良席です。

クァルテットで耳慣らしをしてからホールに入ると、正面のオルガン下に鐘が二つ並んでいます。おぉぉ、教会の鐘だぞ。確か日本フィルにもあったなぁ。と、いやが上にも期待が高まるのであります。
例によって拍手に迎えられながらメンバーが登場。今日は曲が曲だけによく入っています。空席は僅かにあるだけ、休日ということもあるのでしょう。

そうそう、先月の定期は未だ積雪がかなり残っている中島公園でしたが、今日は雪は全く無く、気温も上がってコートは要りません。園内ではサンシュユが黄色い花をビッシリと付け、東京の早春と同じ風景が広がっています。サクラは未だ蕾。

冒頭のヴェルディ。単なるコンサート・オープナーを超える力演で期待は高まります。ですがこれはまだまだ序の口。

続いてベートーヴェンの第4協奏曲で、期待の小菅優登場。オーケストラは何と10型編成にまで落とし、コントラバスだけが3名の小編成。東京では小振りなホールでの編成ですが、これで大丈夫だろうか。
それは全くの杞憂。このホールの響きの良さは日本でもトップクラスでしょう。といっても各地のホールを大して聴いてはいないのですが、東京圏ではミューザ川崎が匹敵するだけですね。サントリーなどは遠く及ばないでしょう。
例えば第3楽章でチェロがソロ1本になる箇所があります。ここにピアノが一くさりメロディーを歌った後にクラリネットとオーボエが対話の形で入ってくるのですが、ここなど各楽器の音が手に取るように、均等に響いてくる。サントリーではもやもやするだけの箇所が、ここでは全ての音に意味が籠められて聴こえてくるのです。もちろん指揮者の功績が大きいことは言を俟たないのですが、それにしても何と美しいバランスでしょうか。

小菅のピアノも実にシッカリしたリズムとアクセントが冴えます。それも決して重くならず、それでいてベートーヴェンの堅牢な響きが濁りもなくホールを満たしていく。
先月の小川典子のグリーグ、今月は小菅優のベートーヴェンと、札幌の聴衆は幸せですよ。何と来月はハイドシェックがモーツァルトを弾く。札幌の聴衆は耳が肥えて当然ですね。
小菅は今後の活躍が期待される若手ですが、ベートーヴェンに対する適正に大きな存在感を聴き取りました。弾かれたカデンツァはベートーヴェン作の大きい方。聴衆の心を完璧に掴みましたね。

先月の小川に倣ったのか、大曲の後にもアンコール。これ、知らないなぁ。リストの知られざる作品かしら、と思いましたが、終演後の掲示で知ったのは、何とシベリウスの「トリューズ」という作品。そんな作品あったっけ。
北欧の作品がどこまでも相応しい札幌キタラなのです。

休憩後、期待のベルリオーズ。広上の幻想は何種類かの録音があるにも拘わらず、東京ではこれまで聴いたことがありませんでした。録音では今一つ燃えきらない憾みが残るのですが、この日の演奏は凄まじかったですね。いゃ~、札幌まで来た甲斐があった。
第4楽章の途中までは全くの正攻法ですよ。幻想は、作品の派手さを強調して示威的な演奏に陥る例をいやというほど聴いてきましたが、広上は正攻法、というか交響曲としての本質にあくまでも忠実。楽章の繰り返しも全て実行しながらシンフォニックな構成を全面に出していきます。
第2楽章のワルツではコルネット使用版を取り上げていました。

局面が凄まじさを加え、音楽の形相が変わって行くのは第4楽章の後半から。
阿修羅の如き第5楽章の地獄絵巻。いや~、参りました。札幌まで来た甲斐がありましたね。
しかし間違えないで下さい。札幌交響楽団の素晴らしさは、決して音が粗くならず、例えば第1楽章冒頭の弱音器を付けた弦合奏はどこまでもピュアで、限りない美しさを実現していたことです。
とんな小さなパートも決して音塊に埋もれることなく、ホールの隅々にまで冴え渡っていく。

阿修羅の如き第4・第5楽章も、響きはあくまでも透明で美しく、一点の曇りをも見せない。音楽は激しく燃え、聴くものを鼓舞して頂点にまで昇り詰めていくのですが、響きは何処までも美しく、決して濁らない。札幌交響楽団はワールド・クラスのアンサンブルです。お世辞じゃないです。
東京のオーケストラの中に入っても、決して負けないでしょうね。いや、それどころか一・二を争う存在と言っていいでしょう。

この日の広上=札響の成功は、最後に起きたどよめきに近い喝采が全てを現していると思います。
かつて広上=札響の関係は不幸なものであったと聞きます。今やその確執は完全に解消し、恐らく札幌のファンは彼にもっと深いオーケストラとの関係を期待してくるのじゃないでしょうか。
それを予感させるほど見事なコンサートでした。広上を札幌に取られないように、東京のオーケストラも気合を入れてくださいね。チョッとホールが不利かなぁ。
いや~、参った。

そうそう、最後に鐘のことを聞きに楽屋へ向ったのですが、係員がいろいろ難しいことを言っています。
諦めて帰ろうと思った時に、鐘を担当した楽員氏が出てこられたので聞くと、あの鐘は札響支援者が寄付してくれたものだそうで、1台200万円、2台揃いのものですと楽員氏が解説してくれました。

確実に札幌交響楽団は実力を蓄えてきました。当然ながら、キタラという世界でも有数な名ホールが力を与えていることは明らかです。
東京のオーケストラよ、強敵は北から来ますぞ。

 

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