クァルテット・エクセルシオ第14回定期演奏会

前日の晴海に続き、連日のクァルテットです。会場は上野の東京文化会館小ホール。今日のメインはベルク、さすがに疲れました。先週の金曜日に試演会でタップリ予習した曲目は、

クァルテット・エクセルシオ 第14回定期演奏会
モーツァルト/弦楽四重奏曲第13番 二短調 K173
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第3番 二長調 作品18-3
~休憩~
ベルク/抒情組曲

プログラム冒頭に大友肇(同団チェロ)氏が書かれているとおり、ベートーヴェンを現在とすれば、ウィーンの過去(モーツァルト)と未来(ベルク)を俯瞰するプログラム。中々凝った選曲です。
彼らは元々ベートーヴェンを中心に定期を続けてきましたが、作品18はいよいよ残すところ2番と4番だけになります。これは次とその次の定期で完結する予定。

調性にも拘りがあります。上記を見れば判るように、二(D)を主音とする調で統一を図っているのです。もちろんベルクは無調、一部12音技法を使っていますが、それは「調性の発生、展開、変化、破壊、喪失」という意味を持たせているのであって、正にウィーン音楽の大俯瞰なのです。

演奏も又それに添ったもので、無意識のうちにも「ウィーン」を強く意識させる世界が展開されました。エクセルシオの意図は見事に伝わり、成功であったと思います。
3曲に共通していたのは、弦の響きが実にピュアであったこと。アウトリーチや試演会などによる「練り込み」の機会が増え、団の音を磨き上げる課程が凝縮されてきた効果の表れでしょう。
試演会も何度か参加しましたが、今回は特にその点を強く感じましたね。

個々の曲についてのポイントは、プログラムの曲解の下に、「練習場のエク」という形で簡潔に纏められていました。試演会ではもっと踏み込んだ遣り取りが紹介されていましたが、本番だけ、プログラムだけ見た人にどこまで伝わったでしょうかね。
ベートーヴェンについて言えば、チェロの大友氏がベートーヴェンの初期室内楽曲を全て演奏した経験がある、ということ。現役日本人では、恐らく唯一人なのだそうです。

その大友氏から見た作品18。そのスタンスが演奏に良く出ていました。思わずニンマリする位。そしてそれが、最近の作品18の演奏スタイルの主流にもなってきつつあることを実感しました。
ベルクについて言えば、第1ヴァイオリンの西野さんの実感でしょう。世間では難しい曲(演奏上)の代表のように言われるけれど、自分は決して難しいとは思わない、と言うのです。誤解されると困るのですが、ベルクは決して理解困難な作品ではなく、“とても判りやすく、親しみの持てる作品だ”ということでしょうか。
第2ヴァイオリンの山田さんもサポートします。“巷に流れている酒場の音楽とかを12音でやっているだけで、実は非常に馴染みのある音”と。
ベルク、本当に面白かった。

試演会ははるかに狭いスタジオで行われたので、もっと尖がった、先鋭な現代音楽としての側面がいやでも耳に突き刺さってきたのですが、本番のホールでは、良くも悪くも広い空間が先鋭さを和らげ、ベルクは紛れもないウィーンの音楽として響くのでした。演奏する“場”によって如何に印象が変わるか。その実例を見た思いです。

アンコール、試演の段階ではするべきか否か迷いがあったようですが、結局ハイドンが選ばれました。この日のプログラムに唯一欠けていたウィーンの弦楽四重奏史を代表する大作曲家。
そもそもモーツァルトのウィーン四重奏曲集は、ハイドンの作品20に刺激されたもの。だから終楽章がフーガなんです。
そのハイドン、弾かれたのは作品42の第3楽章、アダージョ・エ・カンタービレでした。この楽章こそ変ロ長調なのですが、作品42の主調は二短調。よく考えられた心憎い選曲じゃありませんか。ウィーン繋がり、D繋がりの一夜を締め括るに相応しいアンコールでした。
満足しましたか、S先生?

 

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