読売日響・芸劇名曲3月

いろ~んな経緯は全部端折って、昨日は読響を聴いてきました。第137回東京芸術劇場名曲シリーズ。アルブレヒトの指揮でベートーヴェン第5交響曲とブラームス第1交響曲の二本立て。コンサートマスターはノーラン、フォアシュピーラー小森谷というコンビでした。

しかしよくこんなプログラム組みますね。名曲には違いないけれど、ピークが2度あって、心臓にはあまりよろしくありません。前半に置かれたベートーヴェンが一つ燃焼不足のように感じられるのは、プログラム故の錯覚なんですね。拍手もコンサートの最後のような感じにはならない。もちろん演奏の質を反映したものでは、ない。
アルブレヒト最後の月ということで、雰囲気がいつもと違うのかなと思いましたが、ぜ~んぜんそういうことはなくて、実にアッサリしてました。センチメンタリズム、なし。
予想通り、アルブレヒトらしいスピード感溢れるベートーヴェン、ブラームスでしたね。アルブレヒトのベートーヴェン第5は私にとって初めての体験でしたが、ブラームスは丁度9年前の常任指揮者就任披露の演奏をCDで聴いたばかり。どうしても比較して聴いてしまいます。

結果はどうだったかというと、全く同じですね。ビデオテープでもう一度、という感じ。第4楽章など、感心・感動というよりも可笑しさすら感じてしまいました。これってどういうことでしょうねェ。
アルブレヒトのテンポは速い、とほとんどの人が言います。確かに速いのですが、真実は「速く感ずる」ということだろうと今回気付きましたね。
ブラームスなど落ち着いて聴いてみると、そんなに速くないです。序奏など昔聴いたカイルベルト/N響の方がメチャクチャ速かった。それに比べると常識的なテンポの範囲内です。

ベートーヴェンもそうで、これが速いと感ずるのは、他にもっと遅い演奏を聴きなれているからでしょう。これが普通だと私は思いますね。

これが出来るのは、実は指揮者が凡庸でない証拠で、オーケストラにこのテンポを要求出来るということは、オケの能力が高く、それを指揮者が信頼してるってこと。それに尽きるように思います。
一般にアルブレヒトを速く感じさせるのは、あるフレーズから次のフレーズに移る際の自然なりタルダンドを一切許さないからでしょう。楽譜に書いてあると否とを問わず、アルブレヒトはこうした人間の生理を排しますね。それが聴く人によってはブッキラボウに聴こえる。
私も最初はそうでしたし、今でも“少しやり過ぎ”と思わぬでもありませんよ。でも聴いた後の爽快感というか、胃凭れしないスッキリ感を味わうと、これが正解だと思ってしまいます。

例えばKなどは、細部への思い入れを重視するあまり音楽が停滞し、聴く方は辟易する。欧米の超有名指揮者にも現役、故人に限らず、そういう人は掃いて捨てる程いますでしょ。
アルブレヒトを聴きに行くときは、適切なテンポを思い浮かべ、それをイン・テンポに徹して想定し続ければ良いのです。
見事に決まりますから。

 

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