お正月に見た音楽番組(2)

ウィーン・フィルのニューイヤー・コンサート2008

 

BS2で恒例のウィーン・フィル、ニューイヤー・コンサートが放送されました。暫く前までは衛星同時ナマ中継でしたが、去年辺りから「同時」は地上波だけ。衛星放送では録画によりやや遅れて放送されるようになっています。
理由は判りません。音質を考えてのことなのか、クラシックは衛星放送向きじゃないのか。はたまた、ニューイヤーはお茶の間重視か。
いずれにしても私はクラシック音楽を地上波で見る習慣はありませんので、昨日初めて2008年バージョンを堪能したわけです。

で、今年はジョルジュ・プレートルの指揮。最初は“エッ、何で? プレートルってウィーン・フィル振ったことあるのかしら。よりによってシュトラウスとは” 、と考えたものです。プレートルとウインナ・ワルツは結びつかない。
ですから、ほとんどBGMの積りで見始めました。つまらなかったら途中で止めちゃお。例によって、馴染みのない曲が並んでいますな。

それが“おっ”という感じに変わったのが、2曲目の「オーストリアの村燕」。これは良く知っています。それが、いつもとまるで違う。
どこが違うって、何ともテンポが悠然としている。テンポが遅いと推進力がなくなり、音楽が死んでしまうものですが、この人はそうならない。
いやむしろ、オーケストラから微妙なニュアンスを引き出し、音楽が薫り立ってくるのが手に取るようにわかります。

“プレートル、なかなかやるな” という感想は、後半で更に加速。圧巻は「皇帝円舞曲」でした。
この死ぬほど聴いている名曲が、まるでたった今作曲された新作の如し。絶妙なニュアンスは冴えに冴え、トロンボーンは哀しいまでの美しさを湛える。
こんな皇帝円舞曲、聴いたことないッッ!!

プレートルへの認識は完全に変わってしまいました。ウィーン・フィルの音が変わった!!!
“やれば出来るじゃないかVPO” 恐らくウィーンの聴衆も同じ気持ちだったんじゃないでしょうか。ここ何十年と聴いていなかった本物のウィーン・フィル。それをプレートルが取り戻してくれた。

会場はアンコールが始まる前から手拍子の嵐。最後は会場ほとんど総立ち状態でしたね。
彼の指揮するワルツを聴いたあと思い当たったのは、如何にこれまでの指揮者たちが振ってきた演奏が「ジンタ」だったか、ということ。
恒例のラデッキー行進曲も、手拍子よりはプレートル/ウィーン・フィルの素晴らしく繊細でニュアンスに富んだフィルハーモニカーの音を聴き逃がすまい、という聴衆の気持ちが先に立っていたように感じられるのでした。

いやー、これは驚き。大手レコード会社推薦の「名指揮者」たちがいかにボンクラであったか。世界には凄いマエストロが潜んでいるものよ。
私は41年前にプレートルをナマで聴いているんですよ。読響に登場してマーラーの巨人他を振ったのです。今日の放送を見ていて思い出したのは、手をやや高く上げて、お世辞にも見易いとは言えない無骨な棒。最初の曲目、シャブリエの「グヴェンドリーヌ」序曲がまるでワーグナーのように響き、トロンボーンが堂々と鳴り響いていたこと。
私の席はかぶりつきではなかったものの、1階の相当前の方でした。ですから指揮者の足元が良く見えたのです。指揮者は普通、黒くピカピカ光るエナメルの靴を履いていますね。ところがプレートルは、今で言うスニーカー、当時の「運動靴」とも取れるような薄汚れた履物で出てきたんです。“おやおや、この人は靴も買えないほどギャラが廉いのか”、と感じたこと。

今年のウィーンに出掛けた人は大当たりでした。来年はまた「ジンタ系」指揮者に戻ってしまうようですが・・・。
ベルリンと違って、ニューイヤー・コンサートの音質は素晴らしいですね。これはやはりホールが良いからでしょう。このホールで聴くからこそウィーン・フィル。ウィーン・フィルはムジークフェライン大ホールが育んできたオケなのです。サントリーではこのオーケストラを聴いたことにはならんでしょ。

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