ご隠居一行のドイツ珍道中(5)ゼーリゲンシュタット初日

今日は、今回のドイツ旅の目的地ゼーリゲンシュタット Seligenstadt への移動日。そもそもゼーリゲンシュタットとは何か、から説明しておきましょうか。
今回のドイツ行、“ゼーリゲンシュタットでクァルテットを聴くんですよ”と言っても、“あぁ、そうですか”という人は全く無く、“エッ、何処ですって”と聞き返されるのが落ち。日本で出版されているかなり詳しい世界地図にも載っていない地名です。
ここでゴチャゴチャ書くより、ウィキペディアで見た方が早いか↓

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BC%E3%83%BC%E3%83%AA%E3%82%B2%E3%83%B3%E3%82%B7%E3%83%A5%E3%82%BF%E3%83%83%E3%83%88

記録が確認されてからでも1200年の歴史があり、町の名前は「至福」Selige と「都市」Stadt の合成語。カール大帝の伝記記者だったアインハルトが創設した修道院を中心とした街で、現在は保養観光地といった所。修道院が機能していたのは18世紀までで、今は修道士は生活していません。
ここで毎夏行われている「Kleines Streicherfestival」は、聞く所によるとヘンシェル兄弟の母君であるチェンバロ奏者が始めたものだそうで、ここ20年はヘンシェル・クァルテットが受け継いでいるとのこと。毎年海外から室内楽一団体が招かれ、夫々の演奏会と合同演奏会が行われます。興味ある方に第1回からの共演者を列記しておきましょう(プログラムから転載)。

1998年 ミンゲット・クァルテット Minguet Quartet
1999年 パノハ・クァルテット Panocha Quartet
2000年 カメラータ・クァルテット・ワルソー Camerata Quartet Warschau
2001年 トリオ・オーパス8 Trio Opus 8
2002年 リゲティ・トリオ Ligeti Trio Paris
2003年 マンデルリング・クァルテット Manderling Quartet
2004年 クレンケ・クァルテット Klenke-Quartet, Weimar
2005年 フォーレ・クァルテット Faure-Quartet, Karlsruhe
2006年 クス・クァルテット Kuss-Quartrt, Berlin
2007年 エベーヌ・クァルテット Quatuor Ebene, Paris
2008年 トリオ・コン・ブリオ Trio con Brio Copenhagen
2009年 パイゾ・クァルテット Paizo Quartett Kopenhagen
2010年 カプラロヴァ・クァルテット Kapralova Quartett Prag
2011年 トリオ・ディ・パルマ Trio di Parma
2012年 クァルテット・ダネル Quatour Danel Brussel
2013年 アマリリス・クァルテット Amaryllis Quartett Koln
2014年 セント・ペテルスブルグ・クァルテット St. Petersburg Quartett
2015年 デリアン・クァルテット Delian Quartett
2016年 クァルテット・エクセルシオ Quartet Excelsior Tokio

今回が19回目、東京からエクが参加するという歴史です。

移動バスの出発時間は午後2時。それまで時間があるので、ご隠居一行は前日と同じルートを辿り、一つ先の「鉄の橋」Eiserner Steg を亘ってフランクフルト最大の観光地レーマー広場へ。週末に迫った西洋式蹴鞠大会の準々決勝・ドイツ対イリア戦のパブリック・ヴューイング会場作りに慌ただしい観光スポットを気儘に歩きます。序でと言っては不謹慎ながら、Dommuseum Frankfurt am Main も参詣。
オペラの前を通ってホテルに戻れば約束の2時。チャーターしたバスを待ちます。

移動のためにチャーターしたバスはホテル前には着けないということで、事前に荷物をホテルに届ける算段。ところが到着時間に齟齬があって段取りがゴチャゴチャしましたが、何とか解決したようです。バスが入れないというのは道路が狭いからではなく、古くからの旧市街には大型車両乗り入れ禁止条例があるからでしょう。この辺りは真面目なドイツ人の面目躍如。
ミネルバで荷物を積み込み、サヴォイに寄って魚津組と合流。“いやー、久し振り。無事でしたか?”などと挨拶を交わしつつ20数名御一行様はゼーリゲンシュタットに向かいます。個人的には胸騒ぎするフランクフルト競馬場の向正面を横目に30分ほど、最終目的地に到着。フランクフルトと同じマイン川沿い、川の左岸に位置し、フランクより上流、東に位置する瀟洒な佇まい。

psゼーリゲン 650-001

6月29日は音楽祭初日。開演は午後8時30分とのことで、8時頃会場に着けば良いか。それまでに夕食、ということで宿泊予定マインシャトーの食堂で3品ほど注文して落ち着きます。

psゼーリゲン 706-008
ところがこれは日本感覚。食事が出てくるのが何ともユッタリで、ドクトルYから会場にはボツボツ人が集まり掛けていますッ、という情報。出てきたパスタ等をガツガツと喰らって修道院へ。しまった、もう会場は一杯で空席は隅っこの方だけ。初日はヘンシェルの面々を斜め後ろから観察する羽目になってしまいました。で、初日のプログラムは、

モーツァルト/弦楽四重奏曲第22番変ロ長調K589
ヒナステラ/弦楽四重奏曲第1番
~休憩~
ドヴォルザーク/弦楽六重奏曲イ長調作品48
ヘンシェル弦楽四重奏団
ヴィオラ/吉田由紀子
チェロ/大友肇

会場は修道院の中庭に設えられた特別な舞台。後で判ったのですが、ここは修道院の「夏の食堂」と「冬の食堂」の間に挟まれたスペースで、後は貧しい人たちに食事を施す門になっています。
屋外ですから雨が降ればアインハルトバジリカ Einhardbasilika という内部で演奏されることになっていましたが、幸い(バジリカは響き過ぎて音がゴッチャになる、とはドクトルの解説)三日間とも雨は降らず、当初の予定通りのコンサートとなりました。
修道院ですから15分毎に鐘が鳴らされます。空港も近いので真上を飛行機が爆音を響かせもします。誘われるようにクロウタドリやナイチンゲールが楽の音に合わせて合唱したりもします。それでもこれは夏ならではの体験、楽器の音が直接耳に届くような体験も貴重なものでしょう。

演奏の前にモニカの挨拶。

psゼーリゲン 672-007

プログラムの前半が終わるころになって漸く辺りは闇に包まれ、演奏会全てが終わった11時には真の闇。照明の中でドヴォルザークの第3楽章「フリアント」の一部がアンコールされ、初日が終了。
客席の中にはドイツ在住の日本人男性とドイツ人女性のカップルも聴きに来ておられ、ここでは滅多に耳にしない日本語が飛び交っているのに吃驚し、懐かしく思ったとか。こういう出会いもあるんですね。

 

 

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