クァルテット・エクセルシオ第31回東京定期演奏会

11月27日、紅葉・黄葉真っ盛りの上野公園で、約1年振りにクァルテット・エクセルシオの定期演奏会を聴いてきました。今回が第31回、年2回の定期を続けてきたエクですが、今年は様々な要因が重ねって1回だけの定期となります。プログラムは、

ハイドン/弦楽四重奏曲第81番ト長調作品77-1
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番へ短調作品95「セリオーソ」
     ~休憩~
メンデルスゾーン/弦楽四重奏曲第5番変ホ長調作品44-3

結成20年を迎えた後のエクセルシオには様々な試練が待ち構えていました。ファースト西野の療養休演、復帰を待っていたかのようなサントリーホールでのベートーヴェン全曲演奏、息つく間も無くのドイツ楽旅。
タフが売り物?の彼等でも、その間隙を縫いながら春の定期を敢行するのは無謀、ということもあって、2016-2017シーズンの定期は秋の1回のみ、との決断に至ったようです。春は札幌、秋の京都という例年のスケジュールも変更し、年1回となった東京定期に合わせ、札幌と京都も同時進行して昨日のコンサートに終着しました。先ずは祝着、祝着!!

従って西野・山田・吉田・大友の4人による定期は、2014年秋以来ということにもなります。この間は休演していた奥沢の隠れサロンでの試演会も復活し、先の同会にも彼らをサポートしているメンバーが久々に集い、支援会も兼ねた次第でした。
その試演会は11月12日。このあと18日が京都(今回は京都府立文化芸術会館という如何にも昭和レトロな会場だったそうな)、22日の札幌(札幌コンサートホールKitara小ホール)と練り込み、27日の上の・東京文化会館小ホールというスケジュール。私は京都も参戦する予定でしたが、神様からの“無理はするな”というお告げがあったので、試演会と上野だけの定期です。

気持ちも新たに臨むエクが今回選んだのは、前半が師弟関係にあるハイドンとベートーヴェン、後半はベートーヴェンを意識していたメンデルスゾーンというドイツ・プログラム。3曲ともに作曲家の円熟機の作品という共通点で結ばれています。
ハイドンはチェロ・大友のリクエストの由。「今を外すとその後の選択の余地から遠ざかる」ということのようですが、老巨匠が最後に完成させた2曲の一つで、予定していたセットにならなかったという意味でも「ほい、とやってみよう」(笑)ということでしょう。ベートーヴェンが作品18を献呈したロプコヴィッツ伯爵に捧げたという点で、プログラムの構成上も好選択。

ハイドン好きの私にとって、その作品に同じものは二つと無いというのが私感ですが、この曲の場合は第3楽章が特に面白い。
三部形式のメヌエットは通常、メヌエット主部とトリオ中間部から成り、夫々が前半と後半を持ち、共にリピートされるものです。だから一つの楽章に反復記号が4つ出てくる。しかし作品77-1の場合、リピートはメヌエットの後半のみで、反復記号は一つだけ。しかもトリオ部が主部より速いテンポで演奏されるのも珍しいケースで、スタッカートの激しい刻みは、明らかにベートーヴェンに受け継がれて行くDNAでしょう。

また渡辺和氏の曲目解説によると、第1楽章はハンガリーの流行歌、第4楽章にもクロアチア民謡が使われているとのこと。民謡や俗歌を引用するのはベートーヴェンも良くやっていたことで、当時の聴き手は交響曲や弦楽四重奏のような「真面目な」音楽にも馴染みあるメロディーを見つけてニンマリしていたのでしょう。肩を怒らせて聴くばかりがクラシック音楽じゃない。

続けて演奏されたベートーヴェンは、6月に全曲完奏後の新たな出発。凝縮された大作として取り組んできたセリオーソでしたが、一つのヤマを越えて「全曲の一部、みたいな感覚」が生まれ、「今度はソフトになっちゃうかもしれない」セリオーソ。
確かに強烈一点張りではないアプローチに、より高い視点でベートーヴェンを見るエクの兆しが見えていたようにも感じられました。

そして後半。

閑話休題ということになりますが、日本の弦楽四重奏団にとって目標となるのは、やはり巌本真理弦楽四重奏団でしょう。文化会館小ホールで100回近くまで続いた定期演奏会は、我が国楽壇にとっての金字塔。
毎月のように定期演奏会を開いていたマリカルとは異なり、クァルテット・エクセルシオの定期は年2回。とても通算回数では届きませんが、エクはラボ、旅、クァルテット+など定期以外の企画も多く、演奏回数や取り上げる作品の多彩さでは負けていません。
実際、マリカル定期では純粋な弦楽四重奏曲以外にも三重奏のみの回もあったし、五重奏や六重奏、時には八重奏が並ぶこともありました。ラボ並みに現代作品を取り上げることも多く、マリカルとエクには様々な共通点もあるでしょう。

巌本真理弦楽四重奏団もメンデルスゾーンを度々取り上げていましたが、彼らの定期演奏会の演目に上らなかったのが、作品44-3。それを知ってか知らずか、リクエストしたのはファースト西野だそうです。
ベートーヴェンでは作品127が好きという西野にとって、メンデルスゾーン第5も同じ変ホ長調というのがミソ。

実は試演会の時から感じていたことですが、今回の演目で最初から仕上がっていたのがメンデルスゾーンだったような気がします。明らかにベートーヴェンへの対抗意識が感じられる両端楽章、メンデルスゾーンの独自性が最も強く表出されるスケルツォ楽章も素晴らしいのですが、私が最も共感できるのが、アダージョ・ノン・トロッポの緩徐楽章。
ハイドンやベートーヴェンは流行歌や民謡を借用しましたが、メンデルスゾーンは逆に、賛美歌などに転用されている作曲家でもあります。この第3楽章を静かに味わっていると、恰も神父が「それでは皆さん、声を合わせて賛美歌第何番を合唱しましょう」と諭しているような錯覚に陥るのでした。
「ミ・レ・ファ・ミ」(移動ド)という短いモチーフが4つの楽器間で受け渡されて行く個所は、それこそ「神ってる」瞬間でしょう。あたかも一つの楽器の様に鳴らされていくエクの演奏は、正に「神って」ましたね。

日フィル事務局によると、世の中には「聴く薬」というものがあるそうな。メンデルスゾーンを満喫した後、心なしか腰が大分軽くなったようにも感じました。クァルテット・エクセルシオの尖がり過ぎないスタイル、適度に刺激ある演奏を聴いていると、良質な室内楽ほど「効く薬」は他にないのじゃないでしょうか。
京都にも出かけた知人によると、彼の地ではトロイメライ(弦楽四重奏の旅で演奏したもの)がアンコールされたそうですが、東京ではアンコール無し。本編だけで充分に癒された耳には、アンコールは蛇足かも。

一夜明ければ雨も上がって心身ともに爽快。パソコンの電源を切って、今日は外出しましょうか。

 

 

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