クァルテット・エクセルシオのベートーヴェン・サイクルⅠ

梅雨入りとほぼ同時、6月4日の土曜日に毎年恒例、東京赤坂にあるサントリー・ホールのブルーローズ(小ホール)でチェンバーミュージック・ガーデンがスタートしました。
今年が6年目、サントリーホールの開館30周年に当たるということで、いつもより1週間長く、6月26日のフィナーレまで3週間以上に亘って室内楽漬けの日々が続きます。

今年はアジアに焦点を当てるということで、日本はもちろんシンガポール、韓国、中国から世界の第一線で活躍する音楽家たちが登場。6回目を迎えるベートーヴェンの弦楽四重奏サイクルは、遂に我がクァルテット・エクセルシオが担当することになりました。
全5回、当初はサイクルを終えてから纏めて感想をアップしようと考えていましたが、室内楽ファンは御存知のように、ほぼ同時進行の様な形で鶴見サルビアホールでもパシフィカQによるショスタコーヴィチ・プロジェクトが開催される予定。私は無謀にも両サイクルを完走する計画なので、恐らく途中で脳味噌が満杯状態になってしまうでしょう。
そこで予定を変更、どちらも1回のコンサートを終えた後にブログを更新し、順次吐き出していくスタイルにすることとしました。

細部にまで立ち入った感想にはならないと思いますが、記録だけでも残しておきましょう。ということで、6月5日の日曜日、午後2時に開演したベートーヴェンの1回目は次のプログラムでした。

ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第2番ト長調作品18-2
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95「セリオーソ」
     ~休憩~
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第6番変ロ長調作品18-6
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第12番変ホ長調作品127

エクセルシオのメンバーについては改めて紹介するまでもないでしょう。去年は療養のために休んでいたファースト・西野ゆかも復活を果たし、その艶やかな音色で楽しませてくれました。

さてベートーヴェンの全曲演奏に当たっては、曲目の組み合わせに各団体の個性が出ます。大雑把な選択は二通りあり、例えば去年のミロや3回目のボロメーオの様にほぼ作曲順に並べるやり方。
もう一つが今回エクセルシオが選択した、初期・中期・後期の各作品を毎回バランス良く組み合わせる方法。その意味では第1回で登場したパシフィカと同じスタイルですが、各回の具体的な曲目は微妙に異なっています。

毎年統一されたプログラム冊子に平野昭氏が書かれた紹介によれば、どの回にも初期・中期・後期作品が配されることによってベートーヴェンの表現様式の変遷過程を見ることが出来る。
更に調関係による響きまでもが考慮され、一回の演奏会としても統一や調和にまで神経を配っている、とのこと。この辺りにも考えを巡らせながら、5回を楽しんで行きましょう。

ベートーヴェン初期の作品18は6曲から成っていますが、これを5回に鏤めるには、何処かで2曲を取り上げなければなりません。エクは第1回に作品18から2曲を選びました。従って中期と後期は比較的演奏時間の短いものが並ぶのは自然の成り行きでしょう。
冒頭に据えたのは第2番で、プログラムで平野氏も指摘されているように、これは「挨拶」というニックネームを持つ作品。ベートーヴェン・サイクルの冒頭に「挨拶」として演奏するのは真に理に適っていると思いました。
そして残る3曲が全て主調がフラット系で書かれている作品で、11番と12番は5度関係、12番と6番も5度関係にあるという凝りよう。これに対して第2番がシャープ一つのト長調と言うのも、エクが考え抜いた上での結論だったのでしょう。先ずここにブラヴォ~を一つ。

実際に演奏された第2番。タイトルが挨拶というに留まらない、エクの意思を感じます。
冒頭楽章は典型的なソナタ形式ですが、彼等は提示部を繰り返して展開部に入った所で、微妙にテンポを変えます。ほとんど気が付かないレベル。更に再現部の直前で軽く(譜面に指示は無い)リタルダンドを掛け、テンポを最初に戻して再現部に突入する。聴き手は嫌でもソナタ形式という構造を意識し、これが古典派作曲家の原点であることを改めて認識するのです。
何でもないような第3楽章スケルツォでも、エクは普通に通り過ぎたりはしません。冒頭8小節の繰り返し、1度目と2度目では僅かにニュアンスを変える。これによって単純な繰り返しに聴こえる舞曲楽章が変化の場へと変貌して行くのでした。

この第2弦楽四重奏の演奏、エクはサイクルをスタートさせるに当たり、自分たちが考えているベートーヴェン像を凝縮させて見せたのだと思慮します。形式と多様性を重視して全曲に挑む、正にその挨拶だった、と私は聴きました。

以下はエクの表現に身を委ねるだけ。セリオーソは一気呵成の第1楽章に続き、早くも後期を思わせる内面的な深さに焦点を当てた第2楽章。後半2楽章も速目のテンポ、自然なフレージングで全曲中で最も演奏時間の短いベートーヴェン中期を一気に聴かせます。

休憩を挟んで後半。前半は流石にサイクルのスタートということで多少の緊張感もあったのでしょうが、後半は更に磨き込まれた表現が自然に溢れ出し、第6番と第12番はエクの真骨頂。
フラット4つの短調、セリオーソから一気にフラット2つの長調による6番に移った効果もあって、第6番はこの作品の明朗な気分が滑らかに表出された名演。
第4楽章にメランコリアという密やかな部分と、フォルテによる強い部分とが対置されている序奏を聴いたことで、耳は自然に後期ベートーヴェンの世界に入ります。

作品127の冒頭、変ホ長調の堂々たる和音がヴァイオリンの装飾音から主部に入る個所は、いつ聴いても目が熱くなります。
その主部、同じ調、同じ3拍子の刻みは、ベートーヴェンが古典の殻を破ったエロイカ交響曲の余韻でしょうか。エクの刻みの確かさに、改めてあの大交響曲を思い出してしまいました。

長大なアダージョ楽章は、ベートーヴェンが通り抜けて来たばかりの、第9交響曲・緩徐楽章の世界。深々とした楽章を、固唾を呑んで聴いた後に訪れる暫しの休息。ここでホッと溜息を吐くのは誰しも同じでしょう。

全曲をたった3日間で弾いてしまったパシフィカとは異なり、エクはこのあと9日、12日、15日、18日とほぼ3日間周期で演奏し続けます。聴く方も余裕を持ちながらの鑑賞になる配慮ですが、間を縫うようにショスタコーヴィチも。
昨日は会場のあちこちで話題になっていたようですが、全9日間の苦行のスタート、いや快楽の始まり、かな。

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