クァルテット・エクセルシオ第21回東京定期演奏会

前回、記念すべき第20回定期プログラムに掲載されたデータを続ければ、昨日の東京は曇りでした。年2回のペースで続いているクァルテット・エクセルシオ(通称エク)の東京定期、次の10年に向けたスタートとなる第21回は以下のプログラムです。

モーツァルト/弦楽四重奏曲第8番ヘ長調K.168
ベートーヴェン/弦楽四重奏曲第11番ヘ短調作品95「セリオーソ」
     ~休憩~
チャイコフスキー/弦楽四重奏曲第3番変ホ短調作品30
 クァルテット・エクセルシオ

この定期も恒例となっている九品仏・大瀧サロンでの試演会を経ての本番、それにも参加したので纏めての印象です。更にチャイコフスキーは今月初めにサルビアホールでも体験しましたし、エク自体はサントリーホールの室内楽の庭でも聴きました。
サントリーのパシフィカQも含めて、今月は何と多くの弦楽四重奏体験をしたことか。

今回の感想は演奏曲目順とは逆に遡ります。

メインのチャイコフスキー、これまでのエク定期としては珍しい選曲で、次の10年でレパートリーをロマン派作品に大きく展開しようという意味合いを持つ選曲かと思いましたが、現実にはヴィオラ(吉田有紀子)の強い希望で実現した由。
この話は試演会で初めて聴いたのですが、良く見れば事前のチラシにも紹介してありました。私のウッカリですね。何でも宮崎でコペルマンがファーストを弾いていた東京Qの演奏を聴いて感激したからとか。他にも隠れた理由があるようですが、要するに平均的日本人の感性にピッタリな作品とも言えましょう。

私もサルビア、サロンと合わせて3度目の体験。珍しいレパートリーと思っていましたが、たった一ヶ月で自分のレパートリーになってしまった感じです。(演奏者にレパートリーがあるように、聴き手にもレパートリーがある、というのが私の持論)

続いてベートーヴェン。試演会でも話題になっていましたが、エクが最も数多く演奏しているベートーヴェンがセリオーソなのだそうです。実は、私はエクのセリオーソは初体験、だと思います。
この日のプログラムにも「セリオーソはエクに合っている」という一文がありましたが、私にはセリオーソは今一つシックリ来ない曲でもあります。それは先日のパシフィカでも感じましたが、最後の明るいコーダがとってつけたように聴こえてしまう。この感覚は、今回も拭い去れたとは言えませんでした。それこそ、未だ私のレパートリーには入っていない作品です。

エクのホームページで過去の演奏履歴を調べたところ、セリオーソの前回東京定期は2006年5月13日の第11回でのもの。私のエク初体験は、前回の日記でも詳しく触れたように、2003年1月のラボ。この次の第12回定期は試演会から参加していますから、私にとってはエク本格参入直前のことだったようです。
ということは、エク体験が一巡したということ。セリオーソをもう少し聴き込む必要性も感じた定期でした。

最後に冒頭のモーツァルト。これが今回私にとっては大発見の一品でした。演奏にも納得した一日です。
実は試演会の段階では、これまで取り上げてきたミラノ四重奏曲集と同じイタリア修行中の作品と勘違いし、凡そモーツァルトらしくない修行中のモーツァルト丸出しの音楽と聴いていました。特に第2楽章の不安定な音調はイタリア辺りの斬新な作品を手本にしたのかと思ったほど。

ところがこの日のプログラム誌を開けてビックリ、これはミラノ旅行を終え、次にウィーンへ向かった際に書いたウィーン四重奏曲集の1曲だそうです。しかも例の第2楽章は、ハイドンの作品20-5の終楽章からの引用、と紹介されているではありませんか。
この記述(曲目解説/渡辺和)に腰を抜かさんばかりに驚いた私は、帰宅して早速ハイドンの譜面と照らし合わせてみました。
なるほど指摘の通り、作品20-5は♭4つのヘ短調で、終楽章は主調のヘ短調。モーツァルト作品はヘ長調で、第2楽章は同名調のヘ短調で同じ。ハイドンがフーガ主題のアラ・プレーヴであるのに対しモーツァルトは4分の3拍子という違いはありますが、最初の3音は全く同じ音程で書かれています。フーガ風に各楽器に引き継がれていくのも同じ。

更に思えば、モーツァルトの第3楽章、メヌエットとトリオが同じテーマに基づいている書き方もハイドンが盛んに用いた手法だし、終楽章のフーガは、正にハイドンの作品20での通し課題になっていた作曲技法。
そうか、ケッヘル168の手本はハイドンなんだ! この解説を読んでから聴いたモーツァルト、最初はシックリ来なかった音楽が、この日は実に滑らかに耳に飛び込んできます。まるで自分のレパートリーに入った感じ。そう、ハイドン風の演奏で間違いはないのです。

大友氏の述懐、「今まで演奏候補にも入りませんでした。初期の全曲をやるんじゃなかったら、取り上げなかったかも」は作品の本質を衝いているかも知れません。しかし知られざる作品を取り上げることの意義を示した一例であるのも事実。モーツァルトの成長過程を知る上では、極めて興味深い一品と断言して良いと思いました。この曲を忘れることはないでしょう。

以上、第21回定期の内容ですが、演奏会場について蛇足を。

6月は様々な空間で弦楽四重奏を体験したと書きましたが、私には鶴見のサルビアホールがベストの環境だと感じられました。今回エクのチャイコフスキーにも、パシフィカのラズモフスキー第1にも共通した印象です。
100席のサルビア空間は、室内楽体験に必要な細部の動き、奏者の細やかな表情、丁々発止の迫力が耳だけでなく目からも迫ってきます。
これに比べれば、サントリーのブルーローズも、小ホールとはいえ文化会館も直接的な迫力は今一つ。特に文化会館では、たとえ前列で聴いても箱庭的な小奇麗感は免れません。今回はサルビアで聴いて間もなかっただけに、一層そのことを感じたのでしょう。

もう一つ、この日は気温こそ低かったものの湿度がかなり高く、折からの節電モードで空調が控えられていたように思われます。ために楽器の「鳴り」が今一つ。全体にくぐもった響きだったことが残念でした。これまでこんな聴感は初めての経験。
エク定期、京都か札幌の好条件で聴くことを視野に入れなければいけないのかも・・・。

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