2017クラシック馬のプロフィール(6)

昨日のオークスに続き、今日はダービー馬のプロフィールです。最近でも珍しい大逆転でプレミエ・クラシックを制したのは、ウイングズ・オブ・イーグルス Wings Of Eagles
ウイングズ・オブ・イーグルスは父プール・モア Pour Moi 、母イゾルディナ Ysoldina 、母の父ケンドール Kendor という血統。

今回も父に付いて簡単に触れますが、先ず驚くのは父と子がまるでビデオテープを見ているようにソックリな勝ち方だったことでしょう。どちらもタテナム・コーナーを回った時には後方3番手辺り、先頭からは大きく離されていましたが、そこから末脚を爆発させて差し切った脚には、単なる親子制覇以上の類似点を感じた方も多かったのじゃないでしょうか。
東京と同じようにダービー馬はダービー馬からとなったわけですが、2代父のモンジュー Montjeu はダービー馬を4頭も輩出した種牡馬。プール・モアはモティヴェイター Motivator 、オーソライズド Authorized に続く3頭目で、その翌年にはキャメロット Camelot が続きました。

プール・モアに付いてもう一つ紹介すると、この馬はクールモア所有で2歳時はフランスでアンドレ・ファーブル師が管理していました。その年の暮れに一旦エイダン・オブライエン厩舎に転じましたが、何故かオブライエン厩舎では1戦も走らないまま翌春再びファーブル師の元に戻り、フランス調教馬としてダービーを制したのです。
ダービーが現役最後のレースになったというのも覚えておきたいことで、実際のところプール・モアがどの程度のレヴェルのダービー馬だったかは、永遠に解かれることのない謎でもありましょう。プール・モア産駒ではこれまでGⅢに勝った馬が1頭出ているだけで、突然出現したウイングズ・オブ・イーグルスは父にとって最初のクラシック馬、GⅠ馬でもあります。

さて母に話題を移しましょう。今年のオークス馬は長年に亘って築いてきたオーナー/ブリーダーの成果だと紹介しましたが、今年のダービー馬にはそのような歴史はありません。
オーナーのクールモア・チームは数多くの名馬を生産・所有している競馬界の大勢力ですが、ウイングズ・オブ・イーグルスは公開の競りで購入された1頭。毎年夏にドーヴィルで行われるアルカナ・グループ Arquana が主催しているイヤリングセールで、22万ユーロで購入されました。生産者はフォリアン夫妻。

そのフォリアン夫妻が生産し、夫人の勝負服で走ったのが母イゾルディナ(2002年 芦毛)で、アラン・ド・ロワイヤー=デュプレ師が調教し、2歳から4歳まで11戦1勝の成績を残しました。
初勝利は2歳時の3戦目で、9月メゾン=ラフィットの1600メートル戦。この勝利に続いて10月のドーヴィルでレゼルヴォアール賞(GⅢ)に挑みますが、9頭立ての3着。2歳時は4戦1勝2着2回3着1回でシーズンを終えます。
3歳になったイゾルディナは3月サン=クルーのリステッド戦3着から始動し、仏1000ギニーのトライアルであるグロット賞(GⅢ)で2着。続く本番仏1000ギニーではディヴァイン・プロポーションズ Divine Proportions の3着と好走しました。しかしクラシックの後はシーズンを全休。次に競馬場に姿を現すのは、4歳の3月のことになります。

4歳時のイゾルディナはシーズン初戦のリステッド戦が3着、続いてエドモン・ブラン賞(GⅢ)7着、アレ・フランス賞(GⅢ)3着、コリダ賞(GⅡ)も3着とG戦に走り続けましたが、結局的に勝鞍は2歳時の1勝のみで現役を引退。1勝馬と言えば軽視されがちですが、イゾルディナにはクラシック3着、殆どをG戦で戦ってきたという実績があります。なお、4歳時最初からの3戦は何れもクリストフ・ルメールが騎乗していましたから、ダービー馬の母に付いてはルメール騎手に訊くのが一番でしょう。
母としてのイゾルディナは、
2008年 トレントーザ Torentosa 黒鹿毛 牝 父オアシス・ドリーム Oasis Dream 9戦2勝。デュプレ厩舎で、勝鞍は1200メートルと1400メートル。
2009年 リュサイル Lusail 鹿毛 牝 父オラトリオ Oratorio 未出走?
2010年 ジレーラ Gyrella 鹿毛 牝 父オアシス・ドリーム 12戦2勝。デュプレ厩舎で、勝鞍は1000メートル。
2011年 エロルディナ Heroldina 芦毛 牝 父インヴィンシブル・スピリット Invinsible Spirit 未出走?
2013年 スイート・エレクトラ Sweet Electra 芦毛 牝 父シー・ザ・スターズ Sea The Stars 8戦1勝で現役。パスカル・ベイリー厩舎で、勝鞍はシャンティーの1800メートル。ペネロープ賞(GⅢ)が唯一のG戦出走で、9頭立ての8着。
2014年 ウイングズ・オブ・イーグルス

以上、ダービー馬以前に目立った馬は無く、ウイングズ・オブ・イーグルスが母にとっての最初の牡馬。産駒は全て配合した父の特性を受け継いでいるようで、スプリンターの仔はスプリンター、ダービー馬の仔がダービー馬になったと言えなくもありませんが・・・。

2代母ロティーナ Rotina (1988年 鹿毛 父クリスタル・グリッタース Crystal Glitters)は7戦して未勝利馬。現役時代はウイングズ・オブ・イーグルズを生産したフォリアン夫妻が所有していた馬で、競走馬としては何の実績もありませんでしたが、繁殖に上がってからは期待以上の成功を収めます。
即ち、先ず6年目の産駒ヴァレンチノ Valentino (1999年 鹿毛 せん 父ヴァラヌール Valanour)がアンドレ・バボアン賞(GⅢ)、パース賞(GⅢ)、エドモン・ブラン賞(GⅢ)とG戦に3勝し、ダルクール賞(GⅡ)とカンセー賞(GⅡ)でも3着。

その翌年に産まれたウォートルベリー Whortleberry (2000年 栗毛 牝 父スターボロー Starborough)は社台の吉田照哉氏が購入し、ジャン・ロマネ賞(GⅠ、当時はGⅡ)、リディア・テシオ賞(イタリアのGⅡ)、ミネルヴァ賞(GⅢ)に優勝し、日本で繁殖入りしてユニコーン・ステークス(GⅢ、東京ダート1600メートル)に勝ったストローハットを産みました。
ストローハットは3歳時、スプリング・ステークスで8着と敗れたのを転機としてダートに転向し、初ダートを圧勝してユニコーン・ステークスを制したのは皆さんの記憶に新しい所でしょう。
なおウォートルベリーは2歳から5歳までの4シーズン走りましたが、ミネルヴァ賞とリディア・テシオ賞は3歳時、ジャン・ロマネ賞は4歳時に勝ったもので、4歳の11月には京都のエリザベス女王杯に参戦して18頭立ての15着に敗れました(勝馬はアドマイヤグルーヴ)。
その縁もあってか、5歳時の最終戦でジャン・ロマネ賞の連覇を掛けて出走した時には日本から駆けつけた武豊が騎乗、残念ながら12頭立ての3着でした。この時の勝馬がプライド Pride で、翌年凱旋門賞でディープインパクトに先着することになります。

ロティーナ産駒を続けると、イゾルディナの2年後に産まれたアペル・オ・メートル Appel au Maitre (2004年 栗毛 牡 父スターボロー)はノルウェーで調教され、ノルウェー・ダービー、スウェーデン・ダービー、ストックホルム・カップなどを勝った怪物で、デンマークで種牡馬入り。初産駒からデンマーク・ダービー馬やノルウェー1000ギニー馬を出してその将来が嘱望されています。
北欧の怪物の翌年に産まれたベル・エ・セレーブル Belle et Celebre (2005年 鹿毛 牝 父パントル・セレーブル Peintre Celebre)はフォリアン夫人の勝負服で走り、デュプレ師の管理下でサン=タラリ賞(GⅠ)に優勝。その前後に勝鞍はなく1勝馬で終わりましたが、その一発がGⅠ戦というところが如何にもファミリーの伝統と言えるのかもしれません。

3代母ルドルフィナ Rudolfina (1979年 鹿毛 父ファーリー Pharly)は英国競馬界の重鎮だったバシアニー侯爵夫人の自家生産馬で、フランスで走り14戦4勝。G戦の勝鞍はありませんでしたが、クロエ賞(GⅢ)2着、フィーユ・ド・レール賞(GⅢ)2着、コリダ賞(GⅢ)3着、メッシドール賞(GⅢ)3着の実績があります。
ルドルフィナの産駒ではロティーナの他に、ダフニス賞(GⅢ)2着のランポルディ Rampoldi 、ギッシュ賞(GⅢ)3着のルパート Rupert 等が出ましたが、残念ながら牝系としては、ロティーナが現在に血を残している唯一の母系のようです。

4代母ロジャーナ Rojanya (1972年 鹿毛 父ペティンゴ Petingo)は未出走。
5代母ロゼッタ Rosetta (1965年 鹿毛 父オルジーニ Orsini)はドイツ産馬でドイツとフランスで15戦4勝。未だパターン・レース・システムが導入されていない当時の競馬で、後にG戦に格付けされるレゼルヴォアール賞、ポルト・マイヨー賞、ゴールデネ・ペイチュなどに優勝しました。

ファミリー・ナンバーは14-c。1901年生まれの名牝プリティー・ポリー Pretty Polly を基礎とする牝系です。

 

 

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