2017クラシック馬のプロフィール(1)

今年もこのテーマで書く季節になってしまいました。目は霞み、手は震え、集中力は下がる小欄にとっては辛いコーナーになってきましたが、ブログのタイトル名にもなっているクラシック馬の血統観察を辞める訳にはいかないでしょう。
ということで今年の第一弾は、ニューマーケットの2000ギニーを1番人気で制したチャーチル Churchill です。

チャーチルは父ガリレオ Galileo 、母ミャオ Meow 、母の父ストーム・キャット Storm Cat という血統。ガリレオについては改めて書くこともありませんが、2000ギニーはフランケル Frankel 、グレンイーグルス Gleneagles に続く3頭目となります。
母親の名前は変な感じがしますが、要するに猫の鳴き声、擬声語でしょう。ミャオでもミャウでも、果て又日本風にニャオでも良いんじゃないでしょうか。どうしてこの名前になったのか、その仔が何故チャーチルなのかまでは聞いていません。

ミャオ(2008年 鹿毛)はチャーチル同様クールモア・スタッドの持ち馬ですが、調教したのは昨シーズン限りで引退したアイルランドのデヴィッド・ウォッチマン。この点では1000ギニー馬ウインター Winter と共通しています。
競走成績は5戦2勝。全て2歳時のレースで、ダンダルクのデビュー戦2着の後、2戦目のティッペラリーで初勝利。3戦目はロイヤル・アスコットに遠征してクィーン・メアリー・ステークス(GⅡ)で2着と好走。アイルランドに戻ってカラーのリステッド戦(グランジソン・スタッド・ステークス)に勝ち、再びドンカスターに遠征したフライング・チルダース・ステークス(GⅡ)では12頭立ての12着最下位に惨敗に終わりました。
これが戦績の全てで、走ったのは全て5ハロン戦。初戦のみウェイン・ローダンが騎乗し、残りは全て今調教師となっているジョニー・ムルタでした。2歳時のみの成績ですから断言はできませんが、短距離馬と評価しても良いと思われます。

繁殖に上がったミャオは、現在までのところ以下の様な仔出し。
2012年 カーリールックス Curlylooks 栗毛 牝 父ガリレオ アイルランドでデヴィッド・ウッチマンが調教し、2歳時2戦3着2回、3歳時2戦未勝利。去年はレースに使われていないようです。
2014年 チャーチル

産駒は記録がある限りでは上記2頭で、2013年が空胎だったのか死産だったのかは不明。真の評価は今後を待たなければなりません。

2代母はエアウェイヴ Airwave (2000年 鹿毛 父エア・エクスプレス Air Express)。彼女はイギリスでヘンリー・キャンディー厩舎に所属し、2歳から5歳まで22戦して6勝したタフな馬で、特に2歳時にチーヴリー・パーク・ステークスを制してGⅠ馬になった優秀な牝馬でした。
もう少し詳細に見て行くと、デビュー戦2着の後2戦目にレスター競馬場の6ハロンで初勝利。一つ置いてエア競馬場で6ハロンのリステッド戦に勝ち、2歳の最終戦がチーヴリー・パーク・ステークス。
しかしこの年のレースホース誌は、彼女をスプリンターと断言。翌年の1000ギニーへのトライアルで7ハロン以上の距離を使うことすら無駄だとすら書いています。それは彼女のスピードだけではなく、気性面からも判断されたことで、父エア・エクスプレスはイタリア2000ギニー、ドイツ2000ギニーだけでなくクイーン・エリザベス2世ステークスも制したマイラー。かなり思い切ったコメントと言えるでしょう。

明けて3歳初戦、その評を証明する様にエアウェイヴは1000ギニーには目をくれず、5月のサンダウン競馬場のテンプル・ステークス(GⅡ)に優勝。この年の勝鞍はこれだけでしたが、ゴールデン・ジュビリー2着、ジュライ・カップ3着と、徹底してスプリント路線を歩みます。
4歳時も同様に短距離に徹しましたが、前年ほどの成績は残していません。それでもエア競馬場では5ハロンのリステッド戦に勝ち、アスコットのダイアデム・ステークス(GⅡ、現在のGⅠアスコット・チャンピオンズ・スプリント)2着でシーズンを終えました。

彼女の転機はそのあと、5歳になったのを機に、それまでのキャンディー厩舎からアイルランドのエイダン・オブライエン厩舎に移籍した時。もちろん理由はオーナーでもあったキャンディー氏から、クールモア・グループが彼女を繁殖目的で購入したからです。
オブライエン厩舎では彼女は3戦。それまでは5ハロンと6ハロンの経験しかありませんでしたが、新しい環境では初めて7ハロンと1マイルに挑戦し、2戦目のカラー競馬場で1マイルのリッジウッド・パール・ステークス(GⅡ)に優勝します。
その後の繁殖成績の中でチャーチルの祖ともなったエアウェイヴ、現役時代のスプリンターという判断は気性面の要素が大きかったと思いますが、今振り返れば競馬サークルの見立てが本当に正しかったのでしょうか、大いに疑問が残るじゃありませんか。

繁殖牝馬としてのエアウェイヴには、ミャオの他にはデニス・コーデル・フィリーズ・ステークス(GⅢ、約1900メートル)を勝ったアルーフ Aloof 、フランスで1600メートルのリステッド戦を制したオラトール Orator などの産駒があります。
アルーフもオラトールも共にガリレオ産駒ですが、そのスタミナは必ずしも父からのみ受け継いだものだったとは言い難いのではないでしょうか。

3代母カングラ・ヴァレー Kangra Valley (1991年 栗毛 父インディアン・リッジ Indian Ridge)に行きましょう。彼女は16戦1勝とムラな成績のスプリンターで、2歳時にサースク競馬場で5ハロンの短距離戦に勝ったのが唯一の勝鞍でした。
皮肉なことにカングラ・ヴァレーは、2002年にサラブレッド・ブリーダーズ・アソシエイションからその年のブラッドメア・オブ・ザ・イヤーに選ばれています。エアウェイヴの他、ビヴァリー・メッカ Beverly Mecca 、カンガリラ・ロード Kangarilla Road 、ダナキム Danakim の3兄弟が何れもこの年、5ハロンと3ハロンで大活躍したのが理由。どれもレースの価値としては大したものではありませんでしたが、この受賞が短距離馬というイメージを更に強くしたものと思われます。

更に、2009年に産まれたカングラ・ヴァレーの仔ジワーラ Jwala (2009年 鹿毛 牝、父オアシス・ドリーム Oasis Dream)に触れない訳には行きません。
彼女が突然脚光を浴びたのは、4歳の8月。短距離の大レースであるヨークのナンソープ・ステークス(GⅠ)を40対1で制した時でした。私もこのレースをレポートしていますから、こちらをご覧あれ。

スティーヴ・ドラウン、久々のGⅠ

何しろ前走のキング・ジョージ・ステークス(GⅡ)が17頭立ての最下位でしたから、競馬ファンが戸惑ったのも止むを得ません。
彼女はこのあとアベイ・ド・ロンシャン賞は4着、そして引退レースとして遠征した香港スプリント(GⅠ)で致命的な落馬事故にあり、その生涯を終えます。繁殖牝馬として期待されていただけに、そして今年のチャーチルの快挙を見ればこそ、最後のレースが悔やまれてなりません。

この後は馬名を連ねるだけ。
4代母ソーナー・レーン Thorner Lane (1985年 鹿毛 父ティナズ・ペット Tina’s Pet)は6戦2勝のスプリンター。そして5代母スピンナー Spinner (1979年 鹿毛 父ブルー・カシミア Blue Cashmere)も9戦1勝、3歳時に5ハロンで勝っただけのスプリンターでした。

ファミリー・ナンバーは19-a。1787年生まれのコンテッシーナ Contessina を基礎牝馬とする牝系です。

 

 

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