読売日響・名曲聴きどころ~08年9月
9月の名曲は二本立てです。ブラームスのピアノ協奏曲第1番とブルックナーの交響曲第0番。共に二短調であること、夫々の管弦楽曲としては初期の作品であることが共通点でしょう。
先ずブラームスの日本初演はこれ、
1928年2月8日 日本青年館 P.コヴァロフ(ピアノ)、近衛秀麿指揮新交響楽団。これは定期演奏会ではありません。
楽器編成は次の通りです。
ピアノ・ソロ、フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、ティンパニ、弦5部。真に標準的な2管編成です。
ブラームスのピアノ協奏曲のスコアをお持ちの方はもう一度確認していただきたいのですが、ピアノソロが書かれている位置に注目して下さい。1番にしても2番にしても、ピアノソロ・パートはヴァイオリンとヴィオラの間に置かれています。ロマン派の多くの協奏曲では、ソロ楽器の位置は打楽器と弦楽器の間に置かれるのが普通。その意味でも、「ブラームスのピアノ協奏曲はピアノ伴奏付き交響曲」と評価されていることの象徴のように思えませんか。
(ヴァイオリン協奏曲や二重協奏曲は通常の位置で書かれていますし、最新の校訂譜ではピアノ協奏曲も通常の並びに直されています)
単に印刷上の問題かも知れませんが、だからこそ意味があるようにも思えます。こういうことを指摘した解説を見たことがありませんので、敢えて触れてみました。ブラームスの自筆スコアはどうなっているのでしょうねぇ。
もちろんレコード録音でも生演奏でも、音だけ聴いていたのでは判らないことです。
それはさておき、ブラームスの第1ピアノ協奏曲はソリストにとってはもちろん、指揮者にとっても難曲として知られています。某指揮者の述懐では、指揮者にとって振るのが難しい協奏曲の三大難曲の一つだとか。(他の二つは、シベリウスのヴァイオリン協奏曲とバルトークの第2ピアノ協奏曲だそうです)
何処が難しいかと言えば、何といっても第1楽章の8分の6拍子の振り方でしょう。テンポにもよりましょうが、一小節を二つに振ればアンサンブルを合わせ難いでしょうし、六つに振ればコセコセした感じになってしまう。
スクロヴァチェフスキの棒捌き、シッカリと目に焼き付けておきたいものです。
音楽そのものでは、冒頭のティンパニが聴きどころでしょう。私はこの曲を初めてレコードで聴いたとき、このティンパニに痺れたことを思い出します。なんともカッコイイ。
第1楽章では再現部に入るところも聴きどころです。6拍子の中に3拍子と2拍子を巧に絡ませて緊張感を高める。ヘミオラというリズム処理ですが、ブラームスが先輩シューマンから受け継いだマジックですね。楽譜を見たことがない方でも、一瞬2拍子か3拍子か戸惑う箇所に気が付く筈です。
第2楽章のシットリした音楽も聴きどころでしょう。第1楽章がシューマンの悲劇的性格を表しているのに対し、第2楽章は妻クララの肖像だとも言われています。
私は、中間部でクラリネットに出るメランコリックなテーマが、ふと長調に転ずる箇所がたまらなく好きですね。ここは救われます。
第3楽章はロンド。そのロンド主題がピアノに出るとき微妙にアクセントがぼかされていて、オーケストラの入りが合わせ難い所があります。ここもこの曲が指揮者泣かせの難曲たる所以でしょう。聴く方もつい緊張してしまう箇所です。
続いてブルックナー。日本初演はこれだと思います。
1978年6月5日 フェスティヴァルホール 朝比奈隆指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第148回定期演奏会。
楽器編成はブラームス同様標準的2管編成で、
フルート2、オーボエ2、クラリネット2、ファゴット2、ホルン4、トランペット2、トロンボーン3、ティンパニ、弦5部。
さてブルックナー・ファンでない方には「交響曲第0番」という表記に疑問を持たれるでしょう。日本だけの特別な呼び方ではなく、ドイツ語でも「Nullte」と表記されます。事情はプログラムに詳しく掲載されると思いますが、ブルックナーが書いた交響曲の順番としては第1番の後に位置します。従って構想の段階では交響曲第2番になるはずでしたし、原稿の冒頭には「第2番」という書き込みがあるそうですね。それをブルックナーは線で消して、「無効」と書き付けてあるそうです。その結果、3番になるべきものが現在の2番になっているわけです。
この聴きどころシリーズでブルックナーを取り上げる時に必ず触れてきたカヒス番号では3番に当たります。版についての問題はありません。
初版はブルックナーの死後、1924年になって漸くユニヴァーサルから出版され、その年の5月にスケルツォとフィナーレが、同じ年の10月12日に全曲の世界初演が行われています。
現在はノヴァークが校訂した版がブルックナー協会から出ていまして、今回もこれによる演奏だと思われます。
序に触れておくと、ブルックナーにはもう1曲の習作交響曲があって、それは「交響曲第00番」と呼ばれています。ブルックナー・ファンは「ダブルゼロ」と読んでいますが、一般的にはヘ短調交響曲と表記され、これがカヒス番号の第1番に当たります。
スクロヴァチェフスキはこれもレコーディングしていますが、読響との全曲演奏プロジェクトには含まれないようです。
さて第0番、聴いてみると中々魅力もあって、ブルックナーが無効としながらも破棄しなかった気持ちも判るような気がします。他の交響曲と同じように、全体は4楽章で出来ています。各楽章の性格も番号付きの交響曲となんら変わるところはありません。
特にこの交響曲の聴きどころとしては、私は第3楽章スケルツォの中間部、トリオの旋律に心惹かれるものがあります。レから1オクターヴ下のレに急降下する音型が特徴なのですが、この音型が第4楽章の第1主題にも出てきます。明らかに同じ素材の変容でしょう。
また第1楽章を通して聴いてみると、試演の際にオットー・デッソフが評した、“で、何処に主題があるのかね”という感想も尤もだと思います。ブルックナーはこの感想に落胆して「無効」と書き付けてしまったのですね。
この第1楽章はチョッと聴くと第3交響曲の第1楽章を連想させます。ただし、第3のトランペット主題に相当するものが欠けているのです。
第2主題もシンコペーションが続くばかりで、主題としての輪郭がハッキリしません。そもそも「旋律」という概念がなくなったゲンダイオンガクに慣れてしまった現代の聴衆にとっては、第0交響曲は結構メロディックに感じられるはず。こうした作品を作曲家の視点で見直し、敢えて「名曲シリーズ」で作品の魅力を洗い出してくれる(はずの)マエストロの力量こそ聴きどころだと思います。
“なかなか良い曲じゃないか”という感想になるか、“所詮はゼロ番だね”と溜息を吐くか。9月の名曲は2曲とも指揮者とオーケストラの腕の見せ所に注目したいと思います。
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