ザルカヴァ論~引退に寄せて

昨日のニュースですが、先の凱旋門賞を圧勝したザルカヴァの引退が正式に発表されました。来年も現役に残り、2度目の凱旋門賞制覇を目標にするという観測もあったのですが、オーナーであるアガ・カーン氏が繁殖に上げることで決断したようです。
ザルカヴァの評価については、英国権威筋のハンデキャッパーは127程度とあまり高くありませんが、タイムフォームは133に評価するようです。レース中に馬群で揉まれる不利があったこと、勝ち方にも余裕があったことで、レースそのものの評価である131に2ポイント上乗せがあるとか。
もっと一般的な感情では、ザルカヴァは世紀の名牝という評価が圧倒的で、これだけの名馬は何十年も見られないのではないか、という意見が大勢のようです。
ここでは改めてザルカヴァ Zarkava の血統について詳しく触れ、この名牝への別れの挨拶にしようと思います。
     1.牝系
ザルカヴァの牝系を遡ると、5代目に名馬プティット・エトワール Petite Etoile が登場します。実に14戦9勝2着2回。1000ギニー、オークス、チャンピオン・ステークス、コロネーション・カップ2回、ヨークシャー・オークス、サセックス・ステークス、クィーン・エリザベスⅡ世ステークスなど、1マイルを中心にスタミナもあり、1959年から1960年の英国競馬界のアイドルでした。
この芦毛の名牝こそ、アガ・カーン家の基礎牝馬の1頭、時代は祖父アガ・カーンでした。
繁殖に上がったプティット・エトワールは、正直に言って失望。ほとんど名前を残すような競走馬を出すことなく、時代から忘れられていきました。
しかしアガ・カーン家は、彼女の娘たちを手放すことはありませんでした。その娘の1頭にザーラ Zahra がいます。1974年生まれの芦毛馬、父はハビタット Habitat です。アガ・カーン家の王女の名前を持っていることが、その後の運命を象徴するようではありませんか。
ザーラもまた、競走成績も繁殖成績も目立ったものではありません。しかしザーラの娘たちから、漸く花が開き始めるのです。
ザーラからは、5頭ほどの娘が今日にプティット・エトワールの血を伝えています。
ザーラの1980年に生まれた娘ザリーヤ Zariya は、グリーンハム・ステークスに勝ったザヤーニ Zayyani を出します。
ザーラの1983年の娘ザラファ Zarafa からは、その娘ザファドラ Zafadola がアイルランドのオークス・トライアルに勝ち、アイルランド・セントレジャーで3着に食い込み、良血の片鱗を見せました。
1987年生まれのザルナ Zarna こそ我がザルカヴァの直接の祖先になるのですが、その前に、1988年生まれのザイラ Zaila に触れなければなりますまい。
ザイラは1995年、父カヤージ Kahyasi との間にザインタ Zainta という牝馬を儲けます。カヤージこそ、現在のアガ・カーンにダービー優勝をプレゼントした名馬。
さてザインタはフランスで頭角を現し、アガ・カーンの勝負服を背に、サンタラリー賞、フランス・オークス、ノネット賞、ヴァントー賞などパターン・レースに4勝、ヴェルメイユ賞こそ3着に負けたものの、遂にこの牝系からクラシックを制覇したのです。
去年、ザインタの弟ザイヤード Zaiyad は意外にも障害レースのGⅠを制し、この牝系がスタミナを充分に兼ね備えていることを証明してみせます。
さてザルカヴァの3代母となるザルナに行きましょう。
ザルナは小さいレースに勝っただけですが、繁殖に上がってからザランダ Zarannda という馬を出します。この馬はアスタルテ賞で2着。
ザルナの1992年の娘ザルカナ Zarkana もまた1マイルの小さいレースに2勝しただけ。大した競走成績も残さないまま繁殖に上がり、ザルキーヤ Zarkiya を出します。この馬はサンドリンガム賞に勝ってスピードがあることを立証しましたが、残念ながら早くに死亡。
一方でザルカナの仔ザリヤン Zariyan はリステッド・レースで入着した後、障害レースに活路を見出し、スタミナを武器にしました。
ザルカナは1999年、先に紹介したカヤージを父として娘ザルカシャ Zarkasha を出します。ザルカシャは一度も競馬場の土を踏むことなく引退、ザミンダー Zamindar を父として2005年に産んだのが、今年の凱旋門賞馬ザルカヴァ Zarkava だったのです。
ザルカヴァの兄弟姉妹には、一つ上の未出走馬ザラキーシャ Zarakiysha (父ケンドール)と、一つ下の牝馬(父はソヴィエト・スター)、2007年生まれの牡馬(父アザムール)がいます。
以上見てきたとおり、卓越したスピードを持っていたプティット・エトワールの牝系、現在はそのスタミナに力点がある、と言っても過言ではないでしょう。
     2.父系
ザルカヴァの父はザミンダー Zamindar 、ゴーン・ウエスト Gone West を経てミスター・プロスぺクター Mr Prospector に遡る、現在最も繁栄しているサイアー・ラインと言えましょう。
ザミンダーは1994年生まれの、どちらかと言えばスプリンターです。当初ザルカヴァのスタミナを疑問視する意見が多かったのも、この父の戦績から判断されたためと思われます。
ザミンダーには全兄(同じ父と母を持つ)ザフォニック Zafonic がいます。2000ギニーに圧勝した名馬です。
ザミンダーもデュプレ厩舎に属し、兄と同じクラシック路線を歩みました。2歳の時に新馬戦とカブール賞と2連勝、モルニー賞でも人気を集めましたが、バハミアン・バウンティーに首差負け。
続くサラマンドル賞では、無謀とも思えるスピードで先行し、完全にバテてレヴォケーの3着に沈んでしまいます。
兄のザフォニックはモルニーもサラマンドルも快勝し、翌年の2000ギニーに圧倒的な1番人気に支持されています。
ザミンダーも翌年の2000ギニーに挑戦しましたが、5着に敗退。結局3歳時は3戦して勝てませんでしたが、1マイルの適正に欠けていたわけではありません。
兄と同じバンステッド・メイナー・スタッドで種牡馬生活に入ったザミンダーは、初年度から仏1000ギニー馬ゼンダ Zenda を出して快調に滑り出したかに見えました。
しかし3年目に健康を害し、この年はほとんど産駒がいない状態に陥ってしまいます。
その後ザミンダーはフロリダに移籍、5000ドルの種付け料で2年を過ごします。この2年、特に名のある馬を出せなかったのですが、2002年に兄ザフォニックが死亡してしまいます。
これを機に、ザミンダーは再び古巣バンステッド・メイナーに戻り、兄の後継を務めることになったのでした。
競走馬としては、ザミンダーは兄に遠く及びません。しかし種馬としては別。兄より質量ともレヴェルの落ちる繁殖牝馬との交配で、既にGⅠ勝馬の数でザフォニックに並びました。
種付け料は7千ポンドから1万5千ポンドに跳ね上がり、ザルカヴァの出現で更に生産界から熱い注目を浴びることは間違いありません。
最後に一つ面白いエピソードを紹介しておきましょうか。
ザルカヴァがヴェルメイユ賞のスタートで大きく出遅れたことが話題になりましたね。
実は父ザミンダー、デビュー戦となるはずのシャンティーの新馬戦でスタートに失敗、頭をぶつけて出遅れし、結局はレースを取り消してしまったのですね。
ということで繁殖に上がるザルカヴァ。偉大な5代母プティット・エトワールの後を追うことになるのか、競馬の大きな楽しみである血統の歴史を注視して行こうではありませんか。

 

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