英国競馬1962(4)
今回はダービーの翌々日、6月8日に同じく固い馬場で行われたオークスを取り上げましょう。
2000ギニー同様、1000ギニーを制したアバーメイド Abermaid も短距離血統の馬、オークスとは無縁の存在です。結局1000ギニー出走馬でオークスにも参戦したのは、不運の3着に敗れたウエスト・サイド・ストーリー West Side Story とニューマーケットでは6着だったフールズ・ゴールド Fool’s Gold の2頭だけでした。
ウエスト・サイド・ストーリーはオークスに直行しましたが、フールズ・ゴールドはヨークのミュージドラ・ステークス(10.5ハロン)に出走し、キッチリと1番人気に応えて優勝します。このとき3着のブルー・アズア Blue Azur もオークスに向かいました。
1000ギニーの1週前にエプサムで行われたプリンセス・エリザベス・ステークス(8.5ハロン)を快勝したアルミランタ Almiranta は、長距離馬アリシドン Alycidon 産駒という血統的魅力もあって、一部から密かなオークス馬として期待を集めます。彼女はそのままオークスに直行。
更にリングフィールドのオークス・トライアル(1マイル半)に勝ったノーシャ Nortia はこれがシーズン・デビューとなった馬で、2着惜敗のエリザベス女王所有馬アルビトレート Arbitrate と3着リトル・ミス・マフェット Little Miss Muffet 共々オークスに駒を進めます。
一方アイルランドからは、ブレンダーガスト厩舎のテンダー・アニー Tender Annie (愛1000ギニー5着)1頭が参戦。フランスからも2頭が挑戦してきました。
実はフランス組は3頭のはずでしたが、1頭が飛行機に搭乗する際に暴れて断念。結局はモナード Monade とモイラⅡ世 Moira Ⅱ が最終的にスタート・ラインに並びます。
1番人気は3対1でウエスト・サイド・ストーリー。フランスでトライアル戦を連勝しているモナードが7対1の2番人気で続き、アルミランタは15対2、ノーシャが10対1。女王のアルビトレートは100対8の5番人気でした。
エプサム開催初日のダービーから好天が続き、初日は欠席したエリザベス女王も風邪から回復して愛馬の走りを見守る中、18頭がスタートを切ります。
ダービーのようなアクシデントはありませんでしたが、ドラマが待っていたのは正にゴール板。一旦先頭に立った本命ウエスト・サイド・ストーリーを外から追い込んだモナードが交わし優勝かと思われた時、スタミナに一抹の不安があったモナードの脚が鈍り、ウエスト・サイド・ストーリーが二の足を使って巻き返した所がゴール。結果は、ほぼ同時にゴールインした2頭の写真判定に持ち込まれます。
この時の審判ジョン・ハンコック氏は最初ゴールのネガ写真を参考にしますが、丁度ウエスト・サイド・ストーリーの鼻先に白い切れ端が写っていて判定できず、写真のプリントを要求します。しかしこれもブレがあって明瞭でなく、もう1枚のプリントを印刷しなければなりませんでした。
こうした作業に手間取り、最終的にモナードの勝利が宣言されたのは15分後。牝馬クラシックは共に着順確定に長い時間を要することになってしまいました。
確定した着順はモナードが短頭差でウエスト・サイド・ストーリーを破ったと記録されますが、実際には同着と判定しても両陣営が納得するようなハナの皮1枚ほどの際どい差でした。
3着は1馬身差でアイルランドのテンダー・アニー、4着がもう1頭のフランス馬モイラⅡ世、5着にロマンティカの順。アルミランタは11着に敗退し、ノーシャが6着、女王のアルビトレートも10着に終わっています。
フランス馬がオークスを制したのは、戦後7頭目。調教師はジョセフ・リュース Joseph Lieux 師、オーナーはギリシャの船舶王M.グーランドリス氏です。
モナードの主戦騎手はM.ラローンでしたが、前々日のダービーで落馬負傷(クロッセン Crossen)したため急遽イヴ・サン=マルタンに乗り替わっていました。サン=マルタンはこの年既にフランスで両ギニーを制しており、英国クラシック初制覇のオークスに加えて仏オークスにも優勝、英国の競馬ファンに「フランスにサン=マルタンあり」を強く印象付けることになります。オークス前日にはディクタ・ドレイク Dicta Drake でコロネーション・カップも制するという活躍ぶりでした。
モナードは父が名マイラーのクライロン Klairon 、母モルミール Mormyre 、母の父アティス Atys という血統で、レース前には1マイル半を克服するスタミナに疑問も持たれていました。
2歳時は5戦してドーヴィルのフォール賞など2勝、ヤコウレフ賞ではその年のフランス版フリー・ハンデ(ハンディキャップ・オプシォナル)第2位のプルーデント Prudent の2着の実績もありました。
3歳初戦はメゾン=ラフィットのアンプルーダンス賞(1400メートル)とロンシャンのペネロープ賞(2100メートル)に連勝して急成長し、オークスにチャレンジして見事3連勝で栄冠を手にします。
オークス後は6戦。サン=クルーのユージェーヌ・アダム賞(2000メートル)4着、ドーヴィルではジャック・ル・マロワ賞(1600メートル)3着とフランソワ・アンドレ賞(2000メートル)4着と負けが続きましたが、春シーズンからずっと使い詰めできたことが影響したのは間違いないでしょう。
それでも秋のロンシャンでヴェルメイユ賞(2400メートル)に快勝してスタミナ不安を一掃、凱旋門賞ではソルチコフ Soltikoff の2着に食い込んでクラシック馬の実力を誇示します。
更にモナードはローレル競馬場のワシントンDCインターナショナルへの招待を受けて渡米、前哨戦としてベルモント・パークのマンノウォー・ステークス(12ハロン)に出走、歴戦と渡航の疲れもあってか着外に敗退し、インターナショナルには出走することなく3歳シーズンを終えます。
モナードは古馬としても2シーズン現役に留まり、4歳時は英国でコロネーション・カップ着外とチャンピオン・ステークス3着の他、地元ではポモヌ賞(2600メートル)、ラ・クープ・ド・メゾン=ラフィット(2000メートル)優勝とジャック・ル・マロワ賞3着。
5歳時にも又してもジャック・ル・マロワ3着した他、ガネー賞ではレルコ Relko の2着に入るなどトップ・クラスで善戦し、繁殖に入ります。
繁殖牝馬としてのモナードは成功とは言えませんが、継続的に勝馬も出し、その娘からは現在でも順調に枝葉を伸ばしているようです。名競走馬必ずしも名繁殖牝馬たり得ず、に数えられる1頭かも知れませんが、このファミリーから大物が出てこないと断言するわけにもいかないでしょう。
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