日本フィル・第714回東京定期演奏会
世界のクラシック音楽界、来年に迫ったベートーヴェン生誕250年祭の話題が増えてきました。2020年を目前に、敢えてベートーヴェンは来年に回してください、という雰囲気も生まれているやに聞いています。
そんな中、早くもベートーヴェン・チクルスに踏み出したのが日本フィル。おい、フライングじゃねぇか、という声も聞こえてきそうですが、そこはインキネンと日本フィルの戦略でしょう。その第一弾が10月18日の金曜日、赤坂のサントリーホールで開催されました。
ドヴォルザーク/歌劇「アルミダ」序曲
ベートーヴェン/ピアノ協奏曲第4番ト長調作品58
~休憩~
ベートーヴェン/交響曲第3番変ホ長調作品55「英雄」
指揮/ピエタリ・インキネン
ピアノ/アレクセイ・ヴォロディン
コンサートマスター/田野倉雅秋
ソロ・チェロ/菊地知也
曲目を見てお分かりのように、インキネン/日本フィルのベートーヴェン・シリーズはオール・ベートーヴェン・プロじゃありません。もちろん交響曲だけの全曲演奏会でもなく、5回のコンサートで一気に交響曲を通してしまうスタイルでもありません。
この日は演奏会終了後に急遽アフタートークの催しがあり、その中でインキネン本人が語っていたように、日本フィルのベートーヴェン祭は2シーズン、即ち9月に始まった2019/20年シーズンから、次の2020/21年シーズンにかけて長いスパンで取り組むのが特徴です。ということは、ベートーヴェン以外の作曲家の作品も同時に演奏されるし、協奏曲も万遍なく取り上げる。そこには音楽史の長い流れの中でベートーヴェンが占めている位置を再確認していこう、という思惑が感じられるじゃありませんか。
そんな意味も込められた第一回、選ばれた交響曲はいきなりエロイカ、ピアノ協奏曲も個人的には最も好きな第4番でした。
組み合わされたのはドヴォルザーク。それも殆どの人が聴いたことのない、最後のオペラ作品の序曲。インキネンはプラハ交響楽団の首席指揮者も務めており、そこで得た知見や音楽的成果を日本でも披露しよう、という目的もあるでしょう。
ということで最初に取り上げられた「アルミダ」は、ドヴォルザークが死の前年に完成させた最後のオペラで、十字軍兵士と魔女の悲恋を扱ったストーリー。3管編成に大太鼓・シンバル・ハープ、更にはハープも加わる大編成で、多くの楽員は序曲だけが出番という珍しいコンサートでもありました。
交響曲を全て書き終えた晩年のドヴォルザークは、一連の交響詩群などワーグナーの影響を大きく受けていた頃。アルミダは私の記憶では未だ出版されておらず、楽譜も一般人には見ることも出来ません。もちろんナマ演奏で聴くのは初めてで、耳だけの印象で言ってもワーグナー風の重厚な響き、ドヴォルザーク特有のメランコリックなメロディーが合体したものと聴きました。
僅か6分ほどのアプレティフでしたが、東京定期ならではのインキネンからの素敵な贈り物と言えましょうか。
ドヴォルザークが晩年に取りつかれていたワーグナーこそ、ベートーヴェンとドヴォルザークを繋ぐ架け橋。ワーグナーが憧れ続けていたベートーヴェン、そのツィクルスは、珠玉の名作第4ピアノ協奏曲からスタートします。
大役を任されたのは、レニングラード生まれの名匠ヴォロディン。初来日から20年近くを経ているお馴染みのピアニストですが、恥ずかしながら私は初体験でした。
楽器はもちろん専属アーティストでもあるスタインウェイ。冒頭、何時も聴いているはずの楽器から深々としたト長調の響きがホールを暖かく包み込みます。豊かな包容力と、繊細な切れ味を挟みつつ、ベートーヴェンは堂々と進行。カデンツァは両楽章ともベートーヴェン自作の正攻法で、客席からも大きな拍手が寄せられました。
インキネンのドイツ音楽は、必ずヨーロッパ風の対抗配置。コントラバスが舞台下手から、ホルンが上手から聴こえてくるオーケストラ・サウンドも新鮮で、仮にブラインドで聴けば日本のオーケストラ、と言い当てられる人は少ないのじゃないでしょうか。
喝采に応えてヴォロディンがアンコールしたのは、定評あるショパンから夜想曲第5番嬰へ長調作品15-2。一音たりとも揺るがせにしないベートーヴェンとは一味違ったピアニズムも垣間見せてくれました。
そして後半はエロイカ。インキネンは事前にインタヴューなどでも語っているように、「ヴィブラートかノン・ヴィブラートか、といった無意味な議論と無縁」(プログラムに掲載された舩木篤也氏の一文より)のベートーヴェンを響かせてくれました。
私は、個人的にはピリオド奏法には反対の立場。子供のころから聴き親しんだ巨匠風ベートーヴェンに憧れを抱き続けてきたロートル世代でもあります。インキネンのベートーヴェンが、ギスギスした古楽器奏法とは無縁であることに大いなる幸せを感じたツィクルス第一弾でした。
インキネンは、往年の巨匠たちが試みた「スコアに手を入れる」ことからも無縁で、管楽器を2倍にする大時代的発想もありません。繰り返しはスコア通り実行し、テンポは速過ぎず遅過ぎず。
第1楽章など、出だしの和音を勢いよく開始すると、テーマの提示は1小節一つ振りで進めていく。しかしいつの間にか棒は1小節を三つに振るパターンに変わり、これに連れてオーケストラが熱っぽく高揚していく。この心地良さ、ベートーヴェンの推進力こそ、200年以上もベートーヴェンが聴かれている要因ではないでしょうか。
ところで、これには触れずにおこうかと思いましたが、やはり事実ですから記録しておきます。
第2楽章の後半、というか大きな緊張が去った後、アクシデントは起きました。私の1階席前方では良く見えなかったのですが、舞台上手で大きな音がし、見るとホルン辺りで動きが。最初は譜面台が倒れたのかと思いましたが、二度目に起きた時、ホルンの2番奏者が倒れたことを確認しました。
もちろん演奏は終結に向かって淡々と進んでいます。トランペット奏者や舞台スタッフが咄嗟に救護し、何とホルンの代奏者が登場して無事に第2楽章を終えました。
第3楽章は例のホルン3重奏が活躍するトリオ。ここも恰も何事もなかったように演奏が続けられ、最後は客席からの暖かい拍手に包まれます。
思えば、コンサートは3管編成で始まりました。ドヴォルザークでホルンは4本使われていたのです。その4番目のホルニストが急遽ピンチヒッターを演じたわけ。この間、演奏は些かの乱れも見せず、ベートーヴェンに集中していたのは驚きでしょう。
プロフェッショナルと言えばその通りですが、オーケストラはチーム・ワーク。思わず目下話題のラグビーを連想してしまいました。あって欲しくないアクシデントでしたが、日本フィルの適切な対処に敬意を表したいと思います。
当然ながらアフタートーク。ホルンの件が気になって聞かずに帰るわけにはいきません。インキネンと共に登場した聞き手の舩木篤也氏が開口一番、ホルン奏者は意識を回復しましたからご安心を、という一言で聞き手の気持ちを一安心させてくれました。
あとは予定されたトーク。インキネンのベートーヴェン・サイクルにかける思いが語られましたが、組み合わせのドヴォルザークがワーグナーの影響下にあった話から、自然にバイロイト音楽祭にテーマが移ります。客席も2020年のリングがインキネンに委ねられたことは良く知っており、残った聴き手一同も盛大な拍手でマエストロを讃えました。
バイロイトでの体験、知見が日本フィルにフィードバックされることは必定。次のシーズンにも続くベートーヴェンが益々楽しみになってきました。
最後ですが第2ホルン氏、無事に回復されることを祈っています。どうか、お大事に。
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