今日の1枚(24)

毎年作曲家のアニヴァーサリーを取り上げていますが、演奏家はやったことありません。何しろ数が多いし、データをキチンと整理していませんから、ウッカリ書くと重大な漏れが生ずるかも知れませんので。
それでも、少しずつこの方面に関心を持とうと思って取り上げるのが、エドゥアルド・ヴァン・ベイヌム。今年が没後50年に当たります。

ベイヌムは来日していませんし、もちろんナマで聴いたことはないのですが、何とも好きな指揮者。その素晴らしさはレコードでも伝わってくるのです。
録音年代の古い順に聴こうと考えて引っ張り出したのが、オランダのQディスクという所が2000年に発売した 97015 という品番のライヴ録音集。ベイヌムは1900年生まれですから、生誕100年を記念したセットです。

これを1枚づつ聴いていきますが、こればっかりでは飽きます。続けては中断、を繰り返しながら、今年はベイヌムをしゃぶり尽くしましょうか。
オーケストラは全てアムステルダム・コンセルトへボウ管弦楽団。録音場所は特記がない限り、コンセルトへボウでしょう。プロデューサー、エンジニア等の記載は一切ありません。
演奏会の記録のためにガラス・ディスクに記録されたものですから、古いものは録音劣悪。辛うじて製品化できる水準で残っていたものの貴重な記録です。
全て、演奏の最後に聴衆の拍手が収録されています。現在の感覚では、かなりフライング気味なのも面白いところ。
最初の1枚は、

①リスト/ピアノ協奏曲第2番
②バッハ/カンタータ第56番「われ喜びて十字架を担わん」
③チャイコフスキー/幻想序曲「ロメオとジュリエット」

①は1935年9月8日の演奏。ピアノはヨゼフ・ペンバウアー Josef Pembaur 。
②は1939年2月19日、バリトン独唱がマック・ハレル Mack Harrell 。
③が1940年6月6日の記録です。

①は、よくこのようなものが残っていた、という記録。ノイズは酷いですし、リストの作品を楽しむという種類の音源じゃありません。
ペンバウアーという人は、1875年生まれのオーストリアのピアニスト。1950年に亡くなっています。父親とヨゼフ・ラインベルガー Josef Reinberger にピアノを習っています。このラインベルガーはリストの弟子という触れ込みだったそうですが、どうも眉唾じゃないか、と言われているそうです。
ペンバウアーは作曲もし、「ピアノ演奏における詩情」(1910)という著作もあって良く読まれていた由。興味深い事実として、グスターヴ・クリムト Gustav Klimt が彼の肖像画を描いているそうです。
この録音はペンバウアーが十八番にしていたリスト。第2協奏曲のベイヌムとの二度目の演奏記録です。
慣習的なカットは無く、完全演奏。CDは4つのトラックに分かれています(以前取り上げたアラウ盤と同じ箇所)。

②はアリア→レシタティーヴォ→アリア→レシタティーヴォ→コラールの5曲からなる作品。歌は全てバリトン。ここで歌っているハレル (1909-1960) はアメリカのバリトンで、この時30歳。主にメトロポリタン歌劇場でリリックな役柄を歌っていた人で、有名なチェリスト、リン・ハレルの父親です。
コンセルトへボウにはメンゲルベルクが始めた毎年のマタイ受難曲の伝統があって、ここでもそのバッハ演奏スタイルの傾向が感じられます。
要するに、弦ならモダン・ボウをタップリ使った重いバッハ。
ハレルの歌唱も、第2曲・第4曲などレシタティーヴォというより壮大な歌になっているのが如何にも時代物。
最後のコラールは混声四部合唱ですが、合唱団の名前はクレジットされていません。資料が散逸して不明なのでしょうか。

③は演奏日付に注目。ドイツ軍のオランダ侵攻の数週間後のコンサート記録です。演奏に異様なほどの緊迫感が感じられるのはそのためでしょうか。
当時の演奏習慣の一つ、ポルタメントが頻りに登場します。例えば192小節から始まる弱音器付きヴァイオリンの囁き。まるで猫がニャーニャーと鳴き交わしているよう。ベイヌムですらポルタメントを多用していたことに驚き。

参照楽譜
①オイレンブルク No.720
②カーマス No.820
③オイレンブルク No.675

 

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